著者不明の聖本
「えっと、なになに……」
僕は頁に顔を近づけ、小さく書かれた文字に目を凝らした。
『女神ミスティナ・マーテルは虚構である』
サーッと血の気が引き、僕は『パタン』と本を閉じた。
ティンクとカペラは顔を合わせ、きょとんと首を傾げてしまう。
「リッド様、どうされたんですか」
ティンクが恐る恐る切り出した。
「淡い期待を全て打ち砕かれた気がしてね……」
「はぁ……?」
首を捻るティンクとカペラを横目に、僕は深いため息を吐き、顔を両手で覆って俯いた。
いや、イビの言葉の真意を知りたくてズベーラのことを調べていたし、新しい情報を求めていたよ?
ただ、これは知りたかった情報とはちょっと違う。
『女神ミスティナ・マーテルは虚構である』……こんな事実を知るにしても、バルディアがもっと力を得た未来で知りたかった。
古代マーテル語でミスティナ教が神聖視している女神を否定する本なんて、万が一にでもトーガに存在が知られたら絶対に国家間の問題になる。
下手をすれば、僕が未来で断罪される前にバルディアが潰されかねない禁忌的内容だ。
いくらバルディアが帝国の剣と称され、発展著しい領地であっても、トーガという一国に太刀打ちできるほどの大きな力はまだない。
国力から考えてみても、かの国に対抗するには帝国全土の力を集結する必要になるだろう。
この大陸においてトーガという国は、それほどの大国だ。
そもそも、『ときレラ』でトーガのミスティナ教がここまで作り込まれていたんだろうか。
『未読スキップ』していた僕が覚えていないだけかもしれないけど。
トーガには、『ときレラ』で登場する攻略対象にして第一王子の『エリオット・オラシオン』がいる。
いずれ彼とも顔を合わせることになるだろうから、表立った対立は出来る限り避けたいと思っていた。
その矢先に、こんな禁忌にしてパンドラの箱を掴むことになるなんて、全くの想定外だ。
でも、こうして得てしまった以上はしょうがない。
幸いなことに、トーガとバルディアは物理的な距離もある。
情報管理を徹底すれば、何とかなるかもしれない。
いや、何とかするしかない。
うん、ここは前向きに考えよう。
マグノリアのデイビッドとキール、レナルーテのレイシス、ズベーラのヨハン……『ときレラ』の登場人物であった彼等も、この世界では現実を生きる一人の人間。
必ずしも国の思惑と、彼等の考えが合致しているわけじゃない。
『エリオット・オラシオン』だって、教国トーガの王子だからといって、必ずしもミスティナ教を妄信しているとは限らないはずだ。
もし、彼が妄信者で僕と対立するようなことになれば、古代マーテル語で書かれた『女神ミスティナ・マーテルは虚構』という文字は、切り札になり得るかもしれないじゃないか。
僕は考えをまとめて深呼吸をすると顔を上げ、両頬をぱちんと叩いて気合いを入れた。
「よし、もう大丈夫。読み進めるよ」
そう告げると、僕は本の表紙をめくった。
『女神ミスティナ・マーテルは虚構である』
古代マーテル語で最初の頁【ページ】に大きく書いてある文字。
その横に小さく書かれている、グレアスの文字と思われる翻訳。
そして、よくよく見れば頁の最下部の一部が黒塗りされていた。
インクの色合いからして、これは大分昔に塗りつぶされたようだ。
多分、ここには著者名が記載されていたと思われる。
理由は不明だけど、内容から察するに、明らかな意図を持って塗りつぶしたんだろう。
この頁をめくれば、もう後には戻れない。
ごくりと喉を鳴らして息を呑むと、僕は最初の頁をめくった。
『私はミスティナ様が聖女と世間に認められる前、一人の少女の頃に出会い、彼女に仕えた従者の一人だった。
今現在におけるミスティナ教では、ミスティナ様は『女神ミスティナ・マーテル』として神聖視され、崇められている。
しかし、『聖女ミスティナ』と『女神ミスティナ・マーテル』が、見た目こそ同じだが、中身は全くの別人だったと、私は断言する。
だが、これはミスティナ教の布教において都合の悪い真実であったために闇へ葬られ、ミスティナ教の教典から抹消されてしまった。
この点に私は憤りを禁じ得ず、密かに筆を手に取ることにした。
もし、この本が聖女ミスティナ様を女神だなんだと崇める者の手に渡れば、必ず処分されることになるだろう。
願わくばそうならず、遠い未来で本当のミスティナ様を知りえる資料となることを祈るばかりだ。
さて、本題に移ろう。
ミスティナ様は、昨今ズベーラと呼ばれるようになった国の出身だ。
彼女は慈愛溢れた良き両親のもとに生まれ、十一人の友人に恵まれ、様々な動物たちに囲まれて育ち、ミスティナ様は純真無垢の心優しい少女へと成長していった。
ミスティナ様が聖女となる転機を迎えたのは、十五歳頃。
当時のズベーラ国内には様々な国が点在して領土を巡って争いを起こし、戦乱の火が絶えなかった。
ある日、その戦火にミスティナ様の住んでいた村も巻き込まれ、両親、友人と動物たちを全て失い、彼女だけが命からがら逃げおおせたという。
だが、戦乱の世は十五歳の少女が一人で生きられるほど甘くはない。
攻め入ってきた兵に見つかれば殺されるか、良くて奴隷。
運良く逃げ切れて別の村に行き着いても、戦乱の世では誰も助けてはくれない。
結局は奴隷に身を落とすか、身を売るしかないのだ。
かといって、森や山を彷徨っていても冬を越すことは不可能で、いずれ死を迎えることになる。
ミスティナ様は自らの行方に絶望しながらも森の奥に足を踏み入れ、ひっそりと死を迎えることを覚悟したらしい。
だが、ミスティナ様は森の中で『こっちにおいで』という声を聞いたそうだ。
その声に導かれるままに彼女は足を進め、森の奥にあった洞窟に足を踏み入れた。
そこで光を放つ不思議な存在と出会い、とてつもない力を得たという。
力を得た彼女は滅ぼされた村に舞い戻り、圧倒的な力で敵兵を全て追い払った。
そして、友人達と動物たちの亡骸を前に涙するが、得た力によって十一人と動物たちを混ぜ合わせて復活させるという奇跡を成し遂げる……これが新たな種族こと獣人族誕生の瞬間である。
この時、彼女は天翔る竜も生み出した。
獣人族は未来永劫続く新しい人種となったが、天翔る竜は語述する女神ミスティナ・マーテルとの戦いにおいて死亡。
その亡骸はミスティナ様の生まれ故郷の大地に埋葬されている。
領土を巡って争っていた国々は、力を得たミスティナ様が後に全て滅ぼしたが、この点は後述で詳細を記載する予定だ。
次にミスティナ様がここから何を成し、聖女として崇められていったのかを語ろう』
グレアスの字による古代マーテル語の翻訳はここで途切れ、続きを読むことはできない。
ここまでの内容で約三頁、本の続きはまだまだある。
彼の手紙にあったとおり、翻訳する時間が限られていたんだろう。
ペラペラと最後までめくってみるが、やっぱり翻訳はされていない。
でも、本の途中や最後の頁で黒塗りされた箇所があった。
どうやら日付や名前、年代や著者を特定できる部分は、徹底的に黒塗りされているようだ。
緊張というか、独特の重い雰囲気と静寂が流れるなか、僕が本を丁寧に閉じると『パタン』という音が室内に響く。
僕は背中をソファーに預けると、ゆっくり大きく息を吐いた。
「……獣人族の成り立ちとか、ミスティナ・マーテルの生まれとか、大発見なんだろうけどね。この本はやっぱり禁忌というか、危険過ぎるよ」
「そうですね。まさか獣人族の成り立ちがミスティナ・マーテルの力とは、驚くばかりです」
ティンクが相槌を打つと、カペラが思案顔で唸った。
「……ミスティナ・マーテルが獣人族を生み出した。これが事実であれば、トーガはさらにズベーラに圧力をかけるでしょう。まだ三頁のみですが、ここだけ抜粋すると、ズベーラにとっては不利な内容です。どちらにしても、トーガとズベーラ、両国の関係性を根底から覆す本であることは間違いないかと」
「だよねぇ。こんなの僕どころか、父上だって持て余すよ。いや、アーウィン陛下やマチルダ陛下だって扱いに困るかもね」
僕は頭を抱え込んで、がっくりと項垂れた。
ミスティナ教の聖典に記載されていた太古の英雄譚。
その元になった事実を垣間見ることができたのは感動すべき事なんだけど、それによって自分の命が危うくなる。
いや、それだけに留まらない。
バルディアにまで危険が及ぶ可能性がある。
イビが『深入りするな』と言っていたのは、こうした事実がズベーラの歴史にあるからなのかな。
そう思った時、ふとある考えが脳裏に浮かんだ。
「……ひょっとして、パドグリー家が強化血統に拘る理由は、この事実を知っているからだったりするのかな」




