グレアスの日誌と聖本
「……こんな代物が見つかるなんて想定外だよ」
手紙を読み終えた僕がため息を吐くと、ティンクが「しかし、グレアス様も草葉の陰で喜んでいると存じます」と目を細めた。
「どうして?」
「リッド様は『曇り無き目を持つ者』ですから」
「あ、あはは。そう言ってもらえると嬉しいけどね」
照れ隠しに頬を掻きながら返事をしたけど、僕は曇り無き目なんて持ってない。
ただ、家族であるバルディアの皆を守りたいだけだ。
「それにしても、グレアスもとんでもないものを隠していたものだね」
僕は手紙を机に置くと、グレアスの日誌と著者不明の聖本を並べた。
グレアスが書き記した日誌は『紙』で作られ、背表紙が紐で括られてまとめられている。
経年で表紙が黄ばんでいる以外は、そこまで現代の冊子と変わりない。
問題は著者不明の聖本だ。
表紙の半分に縦線が引かれて左側に太陽、右側に月が描かれている。
その中心下部には祈りを捧げる少女が描かれ、全体に細かい装飾が施されているようだ。
経年劣化しているのに荘厳さを失っていない。
この本の作りから察するに『古代マーテル語を使えるのは教養と見識を持つ高位の司教や司祭だろう』というのは、おそらく本当なんだろう。
気になるのは手紙に記されていた『女神ミスティナ・マーテルの脚色なく一人の人間として書かれている』という文言だ。
ミスティナを唯一神として神格化。
ミスティナ教を国教とし、布教活動を続けるトーガにとっては女神の神格化を揺るがしかねない内容だろう。
貴重な資料だから処分はできずとも、鉛の箱にでも入れて地中深くに埋めたいぐらいの代物なはず。
まぁ、中身を見てないから何とも言えないけど。
僕は深呼吸すると、まずはグレアスの日誌の表紙を丁寧にめくって内容に目を通していく。
横文字に手紙同様の筆跡で書かれている内容を追っていくとガレス、エルバ、マルバスが如何に軍拡を進め、民をないがしろにし、豪族達を腐敗させていったのか。
グレアスの恨み言は書かれておらず、赤裸々に淡々と事実だけが書き記されている印象だ。
「……グレアスは高潔な人だったんだな」
文字と内容から彼の性格や人柄を感じ取り、日誌の頁【ページ】をめくるとそこには腐敗した豪族達の名前が連ねてある。
「これは……」
眉を顰め、僕は内容を見て唸らずにはいられなかった。
日誌に書かれていた腐敗した豪族達というのは、アモンが改易を命じた豪族がほぼ網羅されていたからだ。
当然、没落した狐人族の豪族ことサンタス家の名前も書き記されている。
もし、グレアスがエルバとガレス達を討ち果たしていれば、この日誌に記された豪族達は改易されるか、重い処分が下ったはず。
狐人族領の現状はかなり違っていたものになっていただろう。
彼の人柄や考え方を察するに、バルディアとも良い関係性を築けていた可能性は高いように思える。
狭間砦の戦いも起こることはなかっただろうな。
日誌に記された名前を凝視しながら指先で隅々まで追っていくと、アモンの改易から逃れた豪族の名前もいくつかある。
でも、それはごく僅かだし、中には当主が変わっているものもあった。
「……アモンは、知らず知らずのうちにグレアスの遺志を果たしたみたいだね」
「そうですね。お伝えしたらアモン様もお喜びになると存じます」
ティンクが嬉しそうに目を細めると、僕は再び日誌に目を落として頁をめくっていく。
でも、これといって目新しい情報はないなと思ったその時、とある文言に目が留まった。
『ガレス・グランドークの許されざる大罪の一つが、獣王となる最強の子を欲するあまりに、数多の狐人族を秘密裏にどこかへ差し出し、妻ベナリナを迎えていたことだ。
彼女は見た目こそ狐人族だが、各部族の血が入り混じっていたらしい。
そして、ベナリナとガレスの間に生まれたのが『エルバ・グランドーク』を初めとする子供達だ。
この件を知ったのは、私もこの日誌を書く直前のことである。
ベナリナの出身は巧妙に隠されており、詳細を調べることはできなかった。
ベナリナの出自さえわかれば、エルバの異常な強さの秘密を知る術があったかもしれない』
「エルバも各部族の血筋を引いていたのか」
思わず驚きが声に漏れ出てしまった。
奴と対峙した時、まるで戦うだけに生まれてきたような、何か異様な力を感じたのはこれのせいだったのかもしれない。
「リッド様、よろしいでしょうか?」
「え、うん。どうしたの」
呼びかけてきたのはカペラだ。
「これには『子供達』とあります。もしかするとアモン様、ラファ様、シトリー様。そして、エルバと共に逃走中のマルバスもその血を引いているのかもしれません」
「……そうだね。でも、この件は後でアモンにだけ尋ねてみるよ。出自は機微な問題だからさ」
「それがよろしいかと存じます」
カペラが会釈すると、僕は日誌に目を落として頁をめくっていく。
少し読み進めると『ここからは妻と子に送る内容だ』と書いてあった。
一応確認のため流し読んでいくと、グレアスと彼の妻であるマリチェルとの馴れ初めにはじまり、恋に落ちた切っ掛け、告白と結婚の申し入れ、はじめ……。
「ここから先は私めが確認いたします故、リッド様はそちらの聖本をご確認ください」
「あ……⁉」
読み進めている途中、ティンクがにこりと微笑みながらすっと本を横にずらしてしまう。
僕が目を瞬くと、彼女は小さなため息を吐いた。
「グレアス様は高潔で人格者のようですが、生真面目が過ぎますね。少々書き過ぎです。私がマリチェル様なら怒って頁を破り捨てているところでございます」
「あ、あはは。辛辣だね」
ついつい読み進めてしまったけど、ティンクの言わんとしていることもわかる。
グレアスの娘、現在バルディアにいるノワールがこれを読んだら、赤面して怒り狂うかもしれない。
今となっては貴重な資料になるから破り捨てるわけにもいかず、バルディアか狐人族領で大切に保管されることになるからだ。
両親の色恋沙汰が今後、様々な人に読み解かれていくことになる……そう考えると、乾いた笑いしか出てこない。
『へくち⁉ 何でしょうか、リッド様』
ふと脳裏でノワールがきょとんと小首を傾げる姿が浮かんできた。
ごめんね、ノワール。
心の中で謝罪していると、カペラが机の上に置いてあった『聖本』を僕の前に移動させた。
「リッド様。どうぞ読み進めてください」
「……わかった」
頷いた僕は、咳払いをして身構えた。
グレアスの日誌も、当時から今に繋がる狐人族領の状況を知り得る貴重な資料だ。
でも、この古代マーテル語で書かれたこの聖本は、歴史的な資料かつ開けてはならない『パンドラの箱』なのかもしれない。
もし、女神ミスティナ・マーテルの存在を根底から覆すようなことが記載されていたらどうなるのか。
考えるまでもなく、トーガという国に僕が、ひいてはバルディア家が睨まれる。
そんなことが書かれていたら、絶対にこの本の存在をトーガには知られてはならない。
万が一にでも知られた時には、命を狙われかねないからだ。
いや、でも、女神ミスティナの人物像って言っても好きな食べ物とか、趣味趣向。
意外とおっちょこちょいな方だったとかもあり得る。
前世で読んだことのある『日常系漫画』みたいな、のほほんとしたことが書かれている可能性だってあるじゃないか。
僕は気負いすぎ、気負いすぎなんだよ。
こういう文書は不安で胸一杯になりながら読むものじゃない。
世界でも貴重な歴史的文書の発見なんだから、わくわくしながら読まないとね。
自分にそう言い聞かせて深呼吸すると、僕は聖本の表紙に手を置いた。
何で出来ているのかよくわからない材質だ。
古い本のはずなのに、不思議とグレアスの日誌の方が経年劣化を感じる。
「よし、めくるよ」
「はい、お願いします」
カペラとティンクの注目を浴びる中、僕はゆっくりと表紙をめくった。
すると、最初の頁には古代マーテル語で大きく書かれた文字が記載されている。
ぱっと見は読めなかったけど、マーテル語の隣にグレアスが翻訳したと思われる小さな文言が書いてあった。
「えっと、なになに……」
僕は頁に顔を近づけ、小さく書かれた文字に目を凝らした。
『女神ミスティナ・マーテルは虚構である』
サーッと血の気が引き、僕は『パタン』と本を閉じた。




