グレアスの手紙
「いやいや、歴史的価値が高くて国宝級というのはまだわからなくないよ。政治的交渉に使えるは、いくら何でも言い過ぎでしょ」
ハッとして頭を振るも、カペラとティンクの真剣な表情は変わらない。
「リッド様。アモン様やセクメトス様をはじめ、部族長の皆様がトーガの仕掛ける領土問題に頭を抱えていることはご存じでしょう」
淡々とした口調で切り出したのはカペラだ。
「それは知っているさ。でも、この本一冊の内容次第でトーガが領土問題で引くとは思えないよ」
「確かにトーガが引くことはないでしょう。しかし、トーガの大義名分を揺るがし、ズベーラの主張を各国が支持する切っ掛けになる可能性は十分に考えられます。何せ、古代マーテル語で書かれた文書をトーガは『聖本』と指定。国を挙げて保持、保管していますから」
『古代マーテル語』はトーガに伝わる古語で、かつては大陸中に浸透していたらしい。
でも、何故か歴史の中で大陸では廃れてしまったそうだ。
今となってはトーガでも『聖本』と定められた過去の本にしか記載されておらず、カペラの言うとおり国庫で大切に保管されているらしい。
「トーガが『聖本』を重要視しているのはわかるよ。でも、だからと言って……」
「リッド様、ミスティナ教にとって『古代マーテル語』で書かれた本というのは特別な意味があるのでございます」
「え……?」
ティンクの言葉に首を傾げると、彼女はそのまま口火を切った。
「古代マーテル語で現存する書物は少ない上、当時の識字率から鑑みれば確実に高い地位……聖女ミスティナと近い場所にいた人物が書いた可能性が高いのでございます。聖本に指定されるということは『女神ミスティナ・マーテルの教えを世に伝える文書』と認定され、真の意味で聖本として厳重に扱われることになるのでございます」
「な、なるほど。そこまで重要視されるとなれば交渉材料に使えるかもしれないね」
「それだけではありません」
僕が相槌を打つと、再びカペラが切り出した。
でも、その口調はちょっと強い。
「それだけじゃないって、どういうこと?」
「グレアス様がここまで厳重に隠していたということは、トーガが歴史の闇に葬った女神ミスティナ・マーテルにまつわる不都合な真実が書かれているかもしれません」
「不都合な真実って、例えばどんなことさ」
聞き返すと、カペラは目力を強くして凄んだ。
「……トーガが主張する『歴史的にズベーラは自国の一部である』ということを根底から覆す、ということも考えられるかもしれません」
「な……⁉」
僕は思いがけず目を丸くしてしまった。
同時に前世の記憶にある世界情勢が脳裏に蘇る。
各国が様々な思惑で領土問題を展開する中、重要視されていたのが表向きの『大義名分と正当性』だった。
その『大義名分と正当性』に持ち出されていたのが『歴史』であって、領土問題に片を付けるべく考古学調査に莫大な予算を投じている国もあったような気がする。
もし、『古代マーテル語で書かれた女神ミスティナ・マーテルの教えを説く聖本』の中でカペラの言うとおり、今のトーガが展開する主張を根本から覆す内容が書かれていたらどうなるのか。
当然、トーガはすぐに否定するだろうけど、書かれている文字は彼等が神聖視する古代マーテル語だ。
偽物だと言ってはくるだろうけど、そうなれば『古代マーテル語の神格化』が揺らぐ切っ掛け……蟻の一穴になりかねない。
間違いなく、トーガにとっては開けてはならない『パンドラの箱』で『玉手箱』の部類だろう。
この『本』の可能性をようやく理解し、青ざめていると「リッド様」とティンクが切り出した。
「ミスティナ教を国教と定めているトーガですが、教皇を支える司教や司祭達にも異教徒に対するタカ派とハト派がおります。いまの教皇は中立的な立場のようですから、すぐに国家間の問題にはならないと存じますが、タカ派がこの本の存在を知れば何かしら動いてくるかもしれません。彼等は少々過激なところがありますから」
「過激なところって。ティンクはタカ派を知っているの?」
「クロスと出会う前の冒険者の時代、一時トーガにおりました。その時、タカ派の連中が子供を拉致していたことを知り、捕まった子達を連れて国境を越えたことがございます」
「えぇ⁉ それって言って大丈夫なの?」
驚愕しながら聞き返すと、彼女はこくりと頷いた。
「もう十年以上前の話になりますし、顔も隠していたから誰も覚えていないかと。ですが、ここだけのお話でお願いいたします」
ティンクが片目を閉じてウィンクした姿に、僕は思わず「はは」と噴き出してしまった。
「わかった、もちろん誰にも言わないよ。カペラもね」
「畏まりました」
彼が一礼すると、僕は深呼吸をして手紙に目を落とした。
グレアスがどうして日誌とこの本を床下に隠し、箱にまで仕掛けを施していたのか。
おそらく、ガレスやエルバに存在を知られれば、国内外の混乱を招く原因と考えたんだろう。
でも、内容次第ではトーガとズベーラの領土問題に一石を投じる資料になり得る。
処分するにしても、保管するにしてもリスクが高い。
そして、グレアスは床下に隠すことで未来に託す選択をした、ということか。
僕の手にも余る代物だけど。
「……心して続きを読むよ」
僕はそう呟くと、再び二通目を始めから目で追っていく。
『二つ目の本は、私が趣味としている歴史研究の中で見つけた貴重な資料だ。
教国トーガの古代マーテル語で書かれた著者不明の資料であるが、ミスティナ教の教典にあるような神聖、信仰化された物語や教えではない。
現在、ミスティナ教で女神と崇められているミスティナ・マーテルの人物像が記載されている。
彼女が現実に何を成し、何をもたらし、何をしたのか……それらが脚色なく一人の人間として書かれているものだ。
この本を見つけて手にした時、私の心は躍った。
だが、記載されている古代マーテル語を全て翻訳するには時間がかかる。
残念ながら私で解読できたのは、この本の冒頭のみだった。
どうかこの手紙を見つけた者よ。
この本を密かに解読し、ズベーラとトーガを導く糸口を見つけてほしい。
私は狐人族であるが、同時にズベーラを護るべき部族長の血族でもある。
民なくして長は務まらぬ。
国の行く末を案じる者の願い、どうか叶えてほしい。
もし、この手紙を見つけた者に力がなければ最初に記載したアモンやラファに渡せばいい。
それが厳しいのであれば、隣領の狸人族か馬人族。
距離はあるが、猫人族と鼠人族の部族長を頼るのだ。
彼等であれば私の名前とこの本を渡せば、すぐに価値に気付いてくれるだろう。
どうかこの手紙が曇り無き瞳と心を持つ者に届くことを願って。
グレアス・グランドーク』




