アモンの受難
「アモン様、長旅でお疲れとは存じます。存じますが、少しでも事務処理を進めていただけないでしょうか」
「わ、わかった。これからすぐにでも始めよう」
必死の形相で迫るバルバロッサ。
彼の切実かつ悲痛な口調に、アモンは顔を引きつらせながら頷いた。
「ありがとうございます。それでは急ぎ執務室に参りましょうぞ」
「え、ちょっと待っ……⁉」
バルバロッサは返事を聞くなり、ぱぁっと満面の笑みを浮かべてアモンを両手で抱きかかえた。
いわゆるお姫様抱っこである。
僕達の手前、アモンは気恥ずかしそうに頬を赤くするが、バルバロッサはそれどころではないらしい。
相当、ラファに頭を抱え、アモンの帰りを心待ちにしていたんだろうなぁ。
「お前達、後の荷卸しを頼むぞ」
「畏まりました」
いつの間にかバルバロッサの背後に狐人族の戦士達が並び立っていた。
彼等が返事をすると、バルバロッサは「では、リッド様。これにて失礼致します」と一礼してアモンを抱えたまま屋敷に向かって駆けだした。
「ば、バルバロッサ。下ろしてくれ、私は自分の足で歩けるし、走れるよ」
「何を仰います、長旅でお疲れでございましょう。申し訳ありませんが少しでも体力を温存していただき、事務処理に進めていただきたいのです」
「姉上、名代を任せたのに一体どれだけ溜め込んだんですか⁉」
バルバロッサの腕の中、アモンがラファに向かって叫んだ。
「執務室にいけばわかることよ。でも、大丈夫。扉から執務机に行くまでの動線には書類を置いてないわ」
「あ、姉上ぇえええええ⁉」
ラファの言葉にアモンの怒りと悲しみが入り混じった返事が聞こえてきた。
僕は一部始終に呆気に取られていたが、ハッとして恐る恐る切り出した。
「ラファ、動線には書類がないって言ったよね。それってつまり、それ以外の場所は書類だらけってこと?」
「あら、それはちょっと違うわ」
彼女はこちらに振り返ってにこりと微笑んだ。
「だらけ、じゃないの。それ以外の場所は書類が天井近くまで積み上げているのよ。あんまり激しく扉を開けたら、書類の山が雪崩を起こすかもしれないわ」
「えぇ……」
僕がラファの言葉にドン引きしたその時、部族長屋敷から『ばさばさばさばさ』という何かが崩落したような音が轟き「なんでこんなところに一升瓶が……⁉ うわぁあああああああ⁉」と、アモンの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「あらあら、馬鹿ねぇ。バルバロッサ、きっと慌てて扉を開けたんだわ」
ラファはにやりと口元を緩めるも、その笑顔は小悪魔そのものだ。
僕は唖然としながらも「ちなみに……」と切り出した。
「どうして事務処理を進めなかったの? アモンから名代を任されていたんでしょ。それに、こんなことしたら豪族達の中でラファの評判が……」
そこまで言ったその時、「ふふ……」とラファが口元が僅かに動く。
その仕草にハッとした僕は「まさか……」と目を瞬いた。
「えぇ、そのまさかよ。だって、私がアモンの名代で仕事をしちゃったら、また豪族達が部族長がどうのこうって騒ぎ出しちゃうでしょ。だから、この機会に思い知らせてあげたのよ。私が部族長になったら、どんな恐ろしいことになるのかをねぇ」
「……相変わらず恐ろしいことを思いつくね」
アモンが新部族長となって間もない頃、旧グランドーク家派ともいうべき豪族達がいて、彼等は『新部族長はラファ・グランドークが相応しい』と主張していたのだ。
もっとも、彼等のほとんどは旧政権時に中々の悪事に手を染めており、放置すれば新政権の『癌』となりえる存在でもあった。
それでも恩赦の機会は与えたんだけどね。
彼等はそれを尽く突っぱね、利権維持に走った結果アモンから改易を命じられた。
現在、狐人族領の運営に携わっている豪族達はアモンを部族長として認め、支持をしている。
でも、あくまでそれは表向き。
胸の内で『やはり、ラファ・グランドークの方が対外的に良いのではないか』と考え、燻っている豪族達も必ずいるだろう。
人の考えなんて、そう簡単にまとまるものじゃないからね。
だけど、今回の外遊でアモンが不在となる間、名代を務めたラファが働き方を知って迷惑を被った豪族達が果たして『ラファが部族長に相応しいかも』と今後考えるだろうか。
ゼロとはいかないまでも、おそらくは相当少数派になることは間違いない。
残念ながら誰しも『恩』は忘れても、『迷惑を被った』ことは中々に忘れないからだ。
「なんでこんなところに一升瓶が置いてある。姉上ぇえええええええ⁉ 執務室で一体何をしていたんですかぁあああああ⁉」
屋敷から珍しいアモンの怒号が轟いた。
彼が感情を露わにしたこんな声を聞いたのは、これが初めてかもしれない。
「アモンも察しが悪いわねぇ。さっきバルバロッサが『お酒を飲んでいた』って教えてくれたじゃないの」
ラファはやれやれと肩を竦めると、僕に顔を寄せてきた。
「ふふ。リッドの顔も見られたし、そろそろアモンを宥めにいくわ。じゃあね」
「あ、あはは。アモンによろしく言っておいて」
「えぇ、わかったわ」
彼女はこくりと頷くと、踵を返して屋敷に向けて歩き出す。
彼女の背中を見送っていると、ティンクが「アモン様は……」と心配そうに呟いた。
「七難八苦の星の下に生まれたのでしょうか」
思いがけず笑いのツボに入って噴き出すが、僕は咳払いをして「まぁ、でも……」と苦笑した。
「これを乗り越えれば豪族達も『ラファを部族長に』とは言わなくなるでしょ」
「そうですね。しかし、アモン様の姉がラファ様である以上、七難八苦は続くことかと存じます」
カペラが相槌を打って淡々と語るも、声にあんまり感情が籠もっていないから、より辛辣に聞こえてくる。
「そう考えると、アモン様はライナー様と立場が似ているかもしれませんね」
ティンクがそう言うと、僕はきょとんとするもすぐにハッとして凄んだ。
「それって、父上にとって僕が『ラファ』だってことかな?」
「いえいえ、滅相もございません」
彼女は頭を振ると、にこりと微笑んだ。
「リッド様は『ラファ様』以上でございます」
「同意いたします。ラファ様に振り回されるアモン様が不憫と思いましたら、リッド様も自重を心がけていただきたく存じます」
「か、カペラまで……⁉」
ラファ以上という酷い言われようにたじろぐと、ティンクが「ですが……」と続けた。
「リッド様にはファラ様がいらっしゃいますからね。いざとなったら、ファラ様が止めてくださるかと存じます」
「そうですね。リッド様を止められるのはファラ様だけかもしれません」
「え、えぇ……⁉」
カペラとティンクは息を合わせたように何度も首を縦に振っている。
僕はそんな二人の姿を目の前に、唖然とするしかなかった。




