リッドの慧魔眼
魔波が吹き荒れる中心でアステカの全身が頭髪と同じ赤茶の毛に覆われていく。
みるみる全身が馬体へと変わっていき、両手両足が馬の四つ足となって瞬間、彼は嘶いて前足を上げてから大地に立った。
「……まぁ、こんな感じだな」
吹き荒れていた魔波が収まると、そこには全身が逆立つ赤色の剛毛で覆われ、鋭い目付きで凄む巨大な『赤兎馬』が立っていた。
そして、彼はそのままにやりと不敵に笑った。
「す、凄いです。これが獣化の形態変化なんですね」
好奇心を抑えられずに僕が駆け寄ると、馬となったアステカはきょとんと目を瞬いた。
「リッド。お前、この姿が怖くねぇのか」
「え、どうしてですか? こんなに格好良くて素晴らしい獣化なんですよ。感動で驚くことはあっても、怖がる事なんてありませんよ」
僕はそう告げると、「あはは、凄いなぁ」と興奮が抑えきれず、思わず笑みがこぼれてしまった。
サンドラ曰く『獣化』は、獣人族特有の種族魔法に分類されるため、他種族が使うことは不可能とされているそうだ。
バルディアには第二騎士団の子達もいるから、色んな文献を集めて獣化については一通り調べている。
だけど、まさかこんな変化まであるなんて思いもしなかった。
熊人族領や牛人族領でカムイやハピスが見せてくれた『獣化』の巨大化と、アステカが披露してくれた形態変化と似ているような気がする。
でも、カムイやハピスは何も言及していなかったし、カルアとトルーバの獣化は彼等とあまり変わらなかった。
おそらく、あれはあくまで『獣化』の範囲なんだろう。
アステカを前にして考えを巡らながら、手で触れようとしてハッとする。
「あ、申し訳ありません。ところで少し触ってもよろしいですか?」
「はは、特別だ。構わねぇぜ」
「ありがとうございます!」
心底嬉しくて微笑み掛けると、アステカは何やら鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「触るなら早くしろよ」
「は、はい。じゃあ、失礼しますね」
アステカの胴体にゆっくり触れてみると、剛毛に押し返されるような感覚はあるけど毛の手触りはとても優しい。
シャドウクーガーことクッキーの毛をふわふわの『もふもふ』とするなら、アステカの毛はちょっと堅さのあるふわふわ、言うなれば『もふもっふ』だろうか。
僕はごくりと喉を鳴らすと、無意識に両手を伸ばして顔をその毛に埋めていた。
「はわぁ。とっても気持ちいいですよ、これ。このまま寝られそうです」
「……おい、なにやってんだ」
「あ……⁉」
アステカの低い声が聞こえ、僕は慌てて飛び退いた。
「も、申し訳ありません。素晴らしい『もふもっふ』ではなく、毛並みだったもので、つい……」
頬を掻きながら苦笑すると、アステカは「ふふ、あっはは」と噴き出して大声で笑い始めた。
何事かときょとんとしていると、彼はにやりと笑った。
「本当に変わった奴だな。普通の人族が俺の変化を目の当たりにして睨まれたら、怖気付いて腰を抜かすか、悲鳴をあげてたじろぐもんだ。ほれ、後ろを見てみな」
「え、後ろですか?」
首を捻って振り向けば、ゲディングが目を丸くして僕とアステカを見つめている。
おまけに少し離れた場所にいたはずのカペラとティンクが、いつの間にかすぐ側で頭を振っていた。
「……リッド様、アステカ様が発する気配を何も感じないのですか」
「え、気配って?」
ゲディングに言われるも、特に殺意や恐ろしい気配は感じない。
そりゃ、多少の魔圧というか、魔力は感じるけどね。
「えっと、多少の圧は感じるよ。でも、そんな怖気づくようなものじゃないでしょ?」
聞き返すと、カペラとティンクがため息を吐いた。
「姿を変えてからのアステカ様は、常人であればすくみ上がるような魔圧を発しております」
「カペラさんの仰る通りです。それだけの魔圧を間近で受けながら、アステカ様の体に顔を埋めて至福の表情を浮かべるなんて。驚きを通り越して、呆れるほかありません」
「え、えぇ⁉ で、でも、そんな気配は微塵も感じないよ?」
僕は困惑しながら電界を発するも、やっぱり気配はない。
アステカを見やると、彼は「はは」と噴き出した。
「リッド。お前はおそらくエルバとの死闘を経て、魔力の本質を見抜く慧眼に磨きが掛かったんだろうぜ」
「ど、どういうことですか?」
僕が首を傾げると、アステカは僕に顔を寄せてきた。
「そのまんまの意味だ。魔力っていうのは生命力でもあるからな。大なり小なり、必ず術者の感情が宿るってもんだ。お前はその魔力に宿る感情を無意識に読み取り、相手の本質を見抜く眼……慧魔眼【けいまがん】とでもいうのか。そんな目を養いつつあるんだろうぜ」
「魔力を通じて相手の本質を見抜く眼、ですか」
意識はしてなかったけど、こうして言葉にされると何だか腑に落ちた気がする。
最近、第二騎士団の子達との訓練でも、対峙した相手の魔力の流れというか。
脅威を無意識に感じ取るような感覚があったんだよね。
気配察知魔法の電界で得ている『勘』のように思っていたんだけど、それだけじゃなかったらしい。
「普通は魔法や身体強化を長年に渡って鍛え上げ、ようやくその片鱗を得られる。なんて言われる眼なんだがな。リッドに余程の才能があるのか、それとも……」
アステカは含みのある言い方をすると、僕の目をずいっと覗き込んできた。
「生魔神道【せいましんどう】。その境地を垣間見て、自らの命を危険に晒すほどの魔力を引き出したか、だ。寿命は縮むかも知れねぇが、眼は短期間で鍛えられるだろうよ」
「……⁉」
確信を突くような言葉に、僕は胸がどきりとした。
生魔神道とは『生命力は魔力の源であり、神々に続く果てしない道を示す』という意味で、この世界の魔法学における哲学のようなものだ。
考え方はあまり一般的ではないらしいけど、僕が記憶を呼び起こす魔法こと『メモリー』を会得したきっかけでもある。
多分、魔法の本質に一番近い哲学なんだろう。
『その境地を垣間見て、自らの命を危険に晒すほどの魔力を引き出した。その結果、寿命は縮むが眼は鍛えられるだろう』
これは、エルバとの死闘で僕が行ったことに他ならない。
ちょっとしたやり取りで、ここまで推察してくるとはね。
やっぱり、この男は油断ならない。
僕はゆっくり俯くと「ふっふふ……」と噴き出し、お腹を押さえながら眼を細めて笑い出した。
「あっはは。アステカ、何を言っているんですか。私は父の名代を務めていますが、まだまだ幼い子供です。そう仰っていただけることは光栄ですが、買い被りすぎですよ」
「……そうかい。まぁ、そういうことにしておいてやるよ」
彼がつまらなそうに鼻を鳴らして首を横に振ると、僕は「あ、そうです」と姿勢を正してゲディングを見やった。
「差し支えなければ、彼に『獣化の形態変化』をご指導お願いできますか」
「あぁ、もとからそのつもりだよ」
アステカがそう言って頷くと、彼を中心に軽い魔波が吹き荒れた。
次いでアステカの体に変化が訪れ、瞬く間に人の姿に戻っていく。
完全に人の姿に戻ると、彼は首を鳴らして「あぁ……」と怠そうな声を出した。
「形態変化は結構疲れるんだよ。さて、ゲディングだったな。俺の教えは厳しいぜ。覚悟はできてんだろうな」
「望むところです。よろしくお願いします」
こうして、アステカの指導下でゲディングの獣化による形態変化の訓練が始まった。
指導はとても厳しいものだったけど、ゲディングは必死に食らいつく。
そして、その日の夕方、日が暮れる直前に彼は形態変化を会得するに至ったのだ。
「はぁ……はぁ……。リッド様、どうでしょうか」
「うん、凄い。凄いよ、ゲディング」
彼が形態変化後の姿は、全身が漆黒の毛に覆われ黒馬だった。
僕は駆け寄ると、彼の体に触れ『もふもっふ』の毛並みに触れて「うわぁ……⁉」と感動しながら「ところで、ものは相談なんだけど……」と切り出した。
「ゲディングさえ良ければ、背中に乗ってもいい?」
「もちろんです。どうぞ、乗ってください」
馬姿のゲディングがしゃがみ込み、その背中に僕が跨がると、彼はゆっくり四つ足で立ち上がった。
「ほう、やるもんだ。正直、今日中の会得は不可能だと思っていたんだがな」
アステカが感嘆した様子で呟くと、ゲディングは沈み行く夕日を背にして前足を上げて嘶いてみせる。
僕は喜びを噛みしめながら、アステカを見据えて天を指さした。
「バルディアの辞書に不可能という文字はありませんから」
「はは、そうかい」
肩を竦めるアステカを横目に、僕は跨がったままゲディングの背中に顔を埋めて『もふもっふ』の毛並みを堪能し、獣化の形態変化という新しい可能性に感動していた。




