守護十翼の実力
「イビ殿、本当に魔物の集団が現れたんですか⁉」
「はい、嘘は申しません。いえ、見ていただいたほうが早いかと」
車の外で畏まっていた彼女は、そう言うと前方を指さした。
「見たほうが早い……?」
車を降りて指し示された方向を見やると、僕は目を丸くしてぎょっとした。
進行方向の一部で、黒く歪んだ魔力が立ち上がっているのが見えたからだ。
周囲は緑の木々で青々としているのに、その部分だけ黒く染まっているから一目で異常だとわかる。
まだ距離はあるみたいだけど、あれが牢宮【ダンジョン】から溢れた魔物の集団なんだろう。
「……あれは確かに牢宮から溢れた魔物の群れでしょう。冒険者時代に見たものと同じです」
「えぇ、そうですね。私も過去に見たことがある光景とよく似ています」
いつの間にか僕の側に控えていたティンクの言葉にカペラも続くが、彼は険しい表情を浮かべて「しかし……」と続けた。
「あれだけ大規模な群れを見たのは初めてかもしれません。ティンク殿はどうですか?」
「私も初めてです。おそらく、相当な大牢宮から溢れ出したのでしょう」
二人の口調から、想像以上に大変な状況であることが察せられ、場の雰囲気が一気に緊張感に包まれていく。
「二人がそう言うなら間違いないだろうね」
僕が相槌を打つと、背後から「リッド」と呼ばれる。
振り返ると、アモンが険しい表情を浮かべていた。
「あれだけの規模だ。安全を考慮するなら、来た道を引き返してズベーラ王都経由で馬人族領に向かったほうがいい」
「……そうだね」
『牢宮から溢れた魔物の群れ』というのには興味があったけど、まさかこんなに大規模だとは思わなかった。
好奇心や興味本位で危険を冒すわけにはいかない。
ここはアモンの言葉通り、時間は掛かっても来た道を引き返すべきだろう。
「わかった。それじゃあ……」
「リッド様、アモン様。恐れながら、それには及びません」
引き返して別の道を行こう、と伝えようとしたその時、イビが頭を振った。
「それには及びませんって、どういうことですか?」
僕が聞き返すと、彼女は畏まって会釈する。
「私達が魔物の集団を排除して参ります故、皆様はここにてしばしお待ちください」
「あの集団を排除って……」
横目で見やると黒く歪んだ魔力が立ち上がっている場所は、遠目に見てもかなり広範囲に及んでいる。
相当な数の魔物が集まっているんだろう。
いくらイビ達が鳥人族の精鋭といっても、あれだけの数を相手に無事でいられるとは思えない。
「イビお姉ちゃん……」
か弱い声が聞こえて見やれば、アリアが心配そうにこちらを見つめていた。
イビは見向きもせず、無視を決め込んでいるようだ。
僕は深呼吸をすると、頭の中を整理しながら口火を切った。
「待つのは構いませんが、イビ殿を含めた守護十翼【ブルートリッター】の皆さんは無事に戻って来られるんですか? もしよければ……」
「ご安心ください」
助力を申し出ようとするも、イビは言葉を被せてきた。
「我ら守護十翼の力はホルスト様には遠く及びませんが、他の部族長に勝るとも劣らない実力者の集まりです。あのような烏合の衆に遅れを取ることはありません」
「他の部族長に勝るとも劣らない、ですか」
驚愕の言葉に、僕は思わず目を瞬いた。
自らの部族がどこよりも強い、という認識や自負はどの部族にもあったけど、ここまで真っ直ぐに言ってきたのはイビが初めてだ。
何より、彼女の目や言葉には嘘偽りや驕りが一切感じられない。
心から、本当にそう思っているということだ。
「それは少々聞き捨てならないな」
棘のある口調で異を発したのはアモンだ。
「確かにイビ殿達の秘めたる力は凄まじいものを感じる。だが、守護十翼に属する貴殿達がホルスト殿には遠く及ばず、他の部族長に勝るとも劣らない、とは言い過ぎだろう。場合によっては、他の部族長を侮辱したことになるぞ」
「……それは失礼いたしました」
イビは軽く頭を下げるが、すぐに「しかし……」と続けた。
「この場で私達の実力を端的にお伝えする意味では、決して言い過ぎではありませんし、それだけの力を持っていると自負しております。そして、少なからず……」
「少なからず……?」
含みのある言い方にアモンが眉を顰めると、イビはふっと微笑んだ。
「歴史上、実力ではなく御輿として担がれた『時の部族長』よりは強いでしょう」
「……言ってくれるじゃないか」
珍しくアモンが目付きを鋭くして凄んだ。
御輿として担がれた時の部族長、か。
アモンが部族長となった経緯や彼の立場をわかった上で、揶揄しているんだろう。
でも、イビは動じることなくにやけ顔で見つめ返した。
「おや、私は『歴史上、実力ではなく御輿として担がれた時の部族長』と言ったまでのことですが。アモン様にお心当たりがありましたら、お詫びいたしましょう。何せ、私は鳥人族領から出ることの少ない田舎娘故、世俗に疎い部分があります。どうかお許しください」
「……いや、気にしなくていい。それよりも君達、守護十翼の力に興味が湧いたよ」
イビが深く頭を下げると、アモンはにこりと目を細めてこちらに振り向いた。
「リッド、ここは彼等に一度任せてみたらどうだろう」
「アモン、本気で言ってるの?」
ぎょっとして聞き返すと、彼はすっと僕の耳元で囁いた。
「私を煽ってまで、自らの力を誇示しようとするその魂胆が気になるんだ。何かしらの意図が隠されているんじゃないか、とね」
「何かしらの意図、か。それはホルストの意図ってこと?」
「おそらくは……」
アモンはちらりとイビを見やった。
彼女はいつの間にか無表情に戻っており、何も言わずこちらを見つめている。
ホルストが僕達に敵対的なのは、王都で僕に催眠を掛けてきた一件からして間違いないだろう。
ただ、イビや守護十翼の面々が何を考えているのかまではよくわからない。
基本はホルストに忠誠を誓っているみたいだけど、どうもそれだけじゃない気がする。
「おい、イビ。いつまで待たせるつもりだ」
突然、空から不機嫌丸出しのドスの利いた声が轟いた。
見上げれば、そこにいたのは守護十翼の二翼に位置するというレウス・パドグリーだ。
彼は鋭い目付きでじろりと僕達を見渡すと、イビの隣に舞い降りた。
「私達が前に出るとお伝えしているのに、リッド様とアモン様が首を縦に振ってくれなくてな。私達の身を案じ、関所に戻って王都経由で馬人族の領地に行くことを検討してくれているようだ」
「……なら、さっさと関所に戻れば良い」
「え……?」
レウスの思いがけない言葉に僕は目を瞬いた。
てっきり、魔物の集団を討伐すると言い出すと思ったのに。
「そういう訳にもいかないだろう」
イビがため息を吐いて頭を振った。
「ホルスト様から丁重に扱うように申しつけられているんだ。私達が付いていながら王都経由で馬人族領にリッド様達が向かわれたとなれば、ホルスト様はご立腹になるはずだ。レウス、それはお前もわかっているだろう」
「……くだらねぇな。じゃあ、身を案じられる必要がないことを見せれば済むことだ」
レウスは面倒臭そうに吐き捨てると、背負っていた分厚い大剣をゆっくりと手に取った。
ティンクとカペラが身構えるが、彼は魔物の集団がいる方角に振り向いて僕達に背中を見せる。
「回収が面倒くせぇから、この技はあんまり使いたくないんだがな。リッド様、アモン様。見せてやるよ、守護十翼が持つ力……その断片をな」
「え……?」
僕達が呆気に取られていると、レウスが獣化して周囲に熱を持った魔波が吹き荒れた。
彼が獣化した姿は、狼人族が獣化した灰色の毛並みを持つ姿と瓜二つだけど、背中の羽が異様な存在感を放っている。
でも、僕の目を引いたのはレウスの全身から青白い炎のように揺らめく魔力が溢れ出していたことだ。
「身体強化・烈火……だって? いや、これは何か違う……⁉」
「目をかっぴらいてよく見ておくんだな。守護十翼が持つ力、そして、その更に上がいるということを」
レウスは吐き捨てると、空高くへと飛び上がった。
「業火を灯せ、業灼剣【ごうしゃくけん】」
「な……⁉」
彼が空に飛び上がって間もなく、レウスが手に持つ剣から凄まじい勢いで青白い炎が立ち上がり、その様子に僕は目を見開いた。
レナルーテで僕が使った『圧縮魔法を用いた火球【ファイアボール】』と雰囲気が少し似ている。
あの魔力を魔弾にし、魔物の集団に放って一気に燃やし尽くすつもりだろうか。
刮目していると、レウスは空中で体を捻って剣を大きく振りかぶった。
「すべてを焼き尽くせ、業灼剣。暴君の鉄槌【メテオ・タイラント】」
レウスの怒号が地上に降り注いだ次の瞬間、彼は捻って溜めた力を解放するように手に持った剣を……投げた。
「え、えぇええええ⁉」
まさか投げるとは思わずに唖然とするが、投げられた剣は青白い輝線を描きながら魔物の集団と思しき黒く歪んだ魔力の中心地に消えてしまう。
しかし次の瞬間、着弾地点からとてつもない火柱が立ち上がって大地が揺れ、爆音が轟いた。
「な……⁉」
なんて破壊力のある魔法だ。
目を丸くして呆気に取られていると、立ち上がった火柱の光を背にしたイビがにこりと目を細めた。
「リッド様、実力は示しました。これで私達に討伐をお任せいただけますね」




