色鳥どりの十翼
「……イリアは年齢と実力が伴っておりません。しかし、ホルスト様の専属護衛を兼ねつつ日々の稽古に勤しんでおります故、十翼が十一翼になる日も近いかもしれません」
イビは何やら考えるように告げた。
ズベーラ王都のベスティアで顔を合わせた時、ホルストの側にイリアがいたことから『専属護衛』というのは本当なんだろう。
「そうでしたか。彼女に会えるのを楽しみにしていたので少々残念です。彼女に『くれぐれもよろしく』とお伝えください」
「畏まりました」
彼女が会釈すると、鎧が擦れる金属音が響いてずしりと重い足音が鳴った。
「恐れ入るが時間もあまりない。リッド殿、自己紹介を続けてもよいか」
「は、はい。そうですね」
イビの横からぬっと出てきて僕を影で覆ったのは、全身鎧を身に纏って三メートルはあるだろう体格を持つ鳥人族である。
背中にはこれまた巨大な白黒の翼を持っているようで、羽を広げようものならエルバをも上回る巨体だ。恐ろしくドスの利いた低い声から察するに、性別は男性っぽい。
半ばたじろぎながら僕が相槌を打つと、彼は直立不動で畏まった。
何やら兜の中から息を大きく吸い込むような呼吸音が聞こえ始めると、イビをはじめとした守護十翼の面々が何やら耳を両手で塞ぎ始める。
あれ、どうしたんだろう。
「改めましてご挨拶申し上げます!」
「な……⁉」
僕が首を傾げたその時、彼からさながら雷鳴のような大音声が轟いて大気が震えた。
全身にびりびりとした衝撃が駆け巡って地面が揺れる感覚に襲われ、近くの草木からは擦れ合ってざわめきが起き、周囲で砂埃が舞い上がって吹き飛ばされていく。
「我が名はレッドベア・パドグリー。守護十翼【ブルートリッター】では三翼【さんよく】を勤めております。主の言うことは絶対と心得ております故、馬人族領に到着するまで貴殿たちの安全は我が保証いたします故、ご安心くだされ」
レッドベアが言い終えたけど、僕は頭がぐわんぐわんして耳からはキーンという耳鳴りが聞こえてきた。
真っ白になって意識が飛びそうだったけど、僕はハッとしてにこりと微笑んだ。
「……はい、わかりました。レッドベア殿ですね。ご丁寧な挨拶ありがとうございます。でも、そこまで張り上げなくても声は十分に届きますから、次からは普通の発声で大丈夫ですよ」
「おぉ、かたじけない。醜男故に兜が人前で外せぬ身上、つい声が大きくなりがちでございましてな。では、次からはそうさせていただきましょう」
「あ、あはは。よろしくお願いします」
レッドベアの少しくぐもった声に、僕は頬を掻きながら苦笑した。
周囲を見渡せば、ティンクとカペラをはじめ、バルディアとクリスティ商会の面々は耳を押さえながら呆気に取れている。
あれだけの大声を出されたら、そりゃそうなるよね。
それにしても『主の言うことは絶対と心得ております』……か。
『主』とはホルストのことなんだろうけど、彼の言葉から嘘は一切感じられなかった。
僕が受けた催眠魔法のような様子もない。
レッドベアの種族は分からないけど、魔力から相当な実力者であることは察せられる。
彼がここまで高い忠誠心を持つなんて、意外とホルストに人望があるのか。
はたまた、人心掌握術にでも長けているのかもしれない。
まぁ、あの男の性格からして後者だと思うけどね。
レッドベアが敬礼して一歩下がると、次に出てきたのはさっき兵士をその手に掛けようとした『エンディオ』という男だ。
彼はにやりと口元を緩めると、身振り手振り大袈裟に畏まってわざとらしく一礼した。
「守護十翼の四翼、エンディオ・パドグリーでございます。改めてよろしくお願い申し上げます」
「えぇ、こちらこそよろしくお願いします」
こういう手合いは一挙一動に反応すればするほど、調子に乗って次々に挑発してくる。
平静を装って淡々と流すのが、今は最良だろう。
何も言わずに微笑み返すと、エンディオはつまらなそうに肩を竦めて下がっていった。
「……次は俺か」
面倒くさそうに出てきたのは桃色の長髪を靡かせ、横髪からは少し尖った耳が見え隠れている女性だ。
背中には光沢のある黒緑の翼が生え、猿人族っぽい尻尾が生えている。
「守護十翼、五翼のルザンダ・パドグリー」
彼女はそう告げて会釈すると、こちらの返答も待たずに下がってしまった。
取り付く島もなくて呆気に取られていると、面々の中で一番小柄の女性が入れ替わるように前に出てくる。
彼女は白金色の髪を無造作に伸ばし、頭には鼠耳が左側にだけ生えている。
背中には青く綺麗な翼と、鼠人族を彷彿させる尻尾があった。
無表情だけど、顔立ちはとても整っている美人さんだ。
「守護十翼、六翼のレイア・パドグリーよ。短い間だけど、よろしくお願いするわ」
レイアは会釈して顔を上げると、横目で守護十翼の一団に戻ったルザンダをちらりと見やった。
「それと、さっきのルザンダがした振る舞いは私が代わりにお詫びするわ。彼女、畏まったことをするのが苦手なんです」
「そうだったんですね。わかりました、気にされないでください」
良かった、守護十翼の中でちゃんとした会話ができる人はイビだけじゃなかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろしていると、どこからともなく羽虫の音が聞こえてくる。
ちらりと見やれば大きな蜂が僕たちの周囲を飛び回っていた。
「うるさい羽虫ね」
レイアがそう呟いた瞬間、頭髪がまるで生きているかのように鋭く動いて白金色の煌めきとともに蜂を切り裂いた。
「え……?」
僕が目を丸くすると、彼女は「あぁ、驚かせてごめんなさい」と会釈した。
「今のは私の魔法です。つい、発動してしまいました。気にしないでください」
「今のが魔法……⁉ あ、あの、よければ後で構いませんので仕組みを教えていただくことは可能でしょうか? 私、魔法には目がないんです」
初めて目の当たりにした魔法に、僕は目を輝かせていた。
羽虫を切り裂いたのは間違いなく、レイアの髪だ。
おそらく、魔力付加か何かで髪に魔力を流し、術者が操作するという魔法の類い。
カーティスが教えてくれた布に魔力付加をして操る『魔布術』と似た原理とみた。
レイアは驚いたように目を瞬くも、すぐにふっと表情を崩して頭を振った。
「申し訳ありませんが、これは私独自の魔法で人にお教えできるようなものではありません。どうかご容赦ください」
「あ、やっぱりそうですよね。すいません、とても素敵な魔法だったので。こちらこそ不躾なことお願いして申し訳ありません」
「素敵な魔法、ですか。そんな風に言われたのは初めてです。今回は時間がありませんが、いずれ機会があればお話できることもあるかもしれません」
「本当ですか……⁉ 是非、その時はよろしくお願いします。私、楽しみにしていますね」
「わかりました。私も楽しみにしております」
彼女は一礼すると踵を返し、一団の中に戻っていく。
「……イビが気にかけるのもわかるわね」
レイアは戻り際に何か呟いていたようだけど、小声で何を言っているのかはよく聞こえなかった。
「え、ええ、えっとえと、次は私、いや僕、あ、俺か」
次にやってきたのは、やたらおどおどしている男性で右頭部だけ牛人族を思わせる角があって、左耳だけ長い横耳が生えていた。
背中には薄茶色の大きな翼、足下には長い尻尾も見られる。
猫背で少し小さく見えるけど、多分姿勢を伸ばしたら身長は2mは超えていそうな気がする。
彼の容姿は手入れされていなさそうなボサボサの黒い長髪、血色の悪そうな灰色っぽい肌、虚ろで淀んだ瞳、顔色も明らかに悪い。
まるで病人のようだけど、似つかわしくない真っ赤で巨大な大鎌を背負っている。
「ぶ、ぶぶ、守護十翼、な、七翼のテス・パドグリーだ、いや、です、あ、申します」
「は、はい。よろしくお願いします」
言葉があまりに安定しないテスの言動にたじろぎながら頷くと、彼は嬉しそうに微笑みながら「ふふ、ちゃ、ちゃんと、あ、挨拶、挨拶できた。いや、しました、あ、できました」とぶつぶつ呟きながら戻ってしまう。
唖然としていると、テスと入れ替わりにやってきた礼儀正しそうな青年が懐から一輪の薔薇を取り出して僕の前で唐突に跪いた。




