鳥人族領へ
「じゃあな、リッド。道中、気をつけろよ」
「うん、ありがとう。ヴェネ」
兎人族領出発の朝。部族長屋敷前に木炭車が整列し、僕達の見送りにヴェネとシアに加えて畏まった豪族達が勢揃いしている状況だ。
ヴェネの力強い握手を終え、僕はシアとも握手をする。
「シア殿、滞在中は気苦労をおかけして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、おかげで兎人族領の未来が明るくなりましたからな。むしろ、心は軽くなりましたぞ」
「それは良かったです。でも、私達も全面的な協力を約束していただき、とても心強かったですよ」
僕が笑みを浮かべて答えると、シアはそれとなく横目でヴェネを見てから顔を寄せてきた。
「……リッド殿もヴェネの無茶で気苦労かけていたでしょう。申し訳ありませんな」
「あ、あはは。まぁ、おかげで彼女とは気兼ねなく話せる仲になったので結果的には良かったと思います。それに……」
「それに……?」
シアが首を捻ると僕はカペラとティンク、クリス達を見やった。
「私もヴェネ殿同様、皆を振り回していますから。人のことをとやかく言える立場ではありませんよ」
「あぁ、なるほど。ふふ、どうやら労う相手が違ったようですな」
言いたいことを察してくれたらしく、シアは好々爺らしく笑みをこぼした。
今回、ヴェネと過ごして分かったことがある。
性格や言葉遣いこそ違うけど、根っこの部分で僕と彼女は似たもの同士ということだ。
ヴェネはシアや豪族達を振り回してはいるけど、心ではとても大切に思っていることが言動の節々から伝わってくる。
領地や領民の将来を考え、積極的に行動を起こすところもなんかもね。
「親父、リッドと何を話してんだ?」
「いや、大したことではない。気にするな」
「何だそりゃ」
ヴェネはシアの答えに肩を竦めると、真顔になって「ところでよ……」と僕の耳元に顔を寄せてきた。
「次はホルストのところだろ? あいつは俺と違って腹を割って話す奴じゃねぇ。見てくれや甘い言葉に騙されるなよ」
「……わかってる。気をつけるよ」
こくりと頷くと、彼女は「あ、そうだ」と口元を緩めた。
「クリス達が海で使ったものと同じ水着と、懇親会で着た衣装をバルディアに送っておいたぜ」
「え、そうなの?」
首を捻ると、彼女はにこりと尖った八重歯を見せた。
「あぁ、昨日のうちにな。あれを着たクリス達の姿は男共に大好評だったからなぁ。ライナー殿も喜ぶだろうぜ」
「いやいや、中身を見たら母上には渡さないと思うよ」
あの水着や兎人族の衣装を着こなす母上の姿を見てみたい気持ちはある。
でも、父上の性格上、渡しきれないんじゃなかろうか。
「それなら大丈夫だぜ」
「どうしてさ?」
彼女は悪戯っぽく口角を上げた。
「ちゃんとナナリー殿向けに送ったからな。『これらを着たクリス、ティンク、エマの姿を見て帝国出身の騎士達は類に漏れず見蕩れてました。是非、ご着用してお楽しみください』ってな」
「え……? えぇ、そんなこと書いて母上に送ったの⁉」
目を丸くして聞き返すと、ヴェネはあっけらかんと笑みをこぼした。
「はは、そんなに驚くなって。ちゃんと、リッドのおかげで兎人族はバルディアに全面的に協力することが決まったことも書いたからな。それにナナリー殿は闘病生活中なんだろ? 着れば気分転換になるし、着なくても快復後の楽しみにはなるはずだぜ。堅苦しい帝国だと、俺たちの服はちょっと過激かもしれねぇけどな」
「ま、まぁ、それはそうかもしれないけど……」
気分転換になる、というのはその通りだろう。
母上は快復に向かっているし、僕も気晴らしになればと思ってクリスティ商会を通じて各部族の民族衣装をバルディアに送っている。
ただ、ヴェネは父上とは面識があるけど母上にはない。
その状況下で父上じゃなく、母上宛の衣装を選んで送るなんて想像もしていなかった。
「あとな。隠居した豪族から聞いた話だと、ずっと籠もっていると社会から取り残された感覚に陥るらしいぜ。部族長である俺からの手紙となれば、ナナリー殿の励みになるんじゃねぇかと思ってな」
「あ……」
言われてみれば、母上は前から定期的に届くマチルダ陛下から手紙をとても楽しみにしていた。
母上にとって、あの手紙だけが家族を除いた社会と繋がりだったのかもしれない。
バルディアが発展した今では、過去の繋がりから縁を作ろうとする人達の手紙が爆増して返事も大変みたいだけどね。
「まぁ、要らねぇなら捨ててくれて構わねぇとも書いたし、そう気にすんなって」
「……わかった。ヴェネ、母上のことまで気遣ってくれてありがとう。お礼といってはなんだけど、もしヴェネがバルディアに来ることがあったら領内を隅々まで僕が案内するよ。特別にバルディアの工房見学も含めて、ね」
「おぉ、まじか⁉ 俺は必ずバルディアに行くからな。リッド、この約束忘れんなよ」
「もちろんだよ。僕もヴェネの訪問を楽しみにしているからね」
嬉しそうに目をきらきらさせる彼女の言葉に頷いて約束すると、僕達は木炭車に乗り込んだ。
そして、ヴェネ達に見送られながら兎人族領を発った。
◇
部族長屋敷を出発して約丸一日、僕達一行は鳥人族領と兎人族領の領狭間にある関所に到着。
関所はパドグリー家の管理下にあるそうで、敷地内の兵士達は鳥人族で統一されている。
彼等は白を基調とした制服を着ており、ズベーラ王都で見たホルストやイビと似た出で立ちだ。
背中の羽は人によって色や大きさ、形が少し違うみたい。
検問を受けていると、空から一人の兵士が降り立って関所の兵士達が慌ただしく動き始めた。
何か問題でもあったのかな、そう思っていると鳥人族の兵士がこちらに駆け寄ってくる。
「リッド殿、大変申し訳ありません。今伝令が参りまして、領内に魔物が溢れ出た牢宮【ダンジョン】が確認されたそうです」
「え、牢宮から魔物が溢れ出たんですか⁉」
牢宮【ダンジョン】は長い月日を掛けて核に魔力を溜め込み、一定以上溜まると地上を自らの縄張りにするべく、内部で生み出された魔物が地上に溢れ出てくる。
つまり、溢れ出た時点で相当な魔力を有する巨大牢宮ということだ。
「急遽ホルスト様が鎮圧に向かったらしく、恐れ入りますが会談は延期させてほしいとのことです」
「そう、ですか」
王都の一件もあったし、ヴェネから釘を刺されていたからホルストの会談は今までにないぐらい気を張っていた。
それがこんな形で延期になるとは思わなかったけど、果たして牢宮の件は本当なんだろうか。
もしかすると、何か僕達に見られたくない、知られたくないことでもあるのかもしれない。
考えを巡らせるなか、僕はとあることを閃き「あの……」と切り出した。
「もしよろしければ魔物鎮圧のお手伝いをいたしましょうか?」
「え……」
兵士は僕の提案にきょとんと目を丸くした。
「ズベーラを回るため、私達の一団はバルディアの騎士を中心に編成されています。領民を守るお手伝いぐらいはできると思いますが、どうでしょうか?」
「それは大変有り難い申し出です。しかし、私の一存では決めかねます故、少々お待ちください」
兵士が嬉しそうに頷いたその時、空から風が吹き降りて大きな影が差した。
「それには及びません」
凜とした声にハッとして空を見上げると、赤い髪を横で大きな二つのお下げにした少女イビ・パドグリーが舞い降りてくる。
次いで、これまでの部族長達と勝るとも劣らない圧と迫力を放つ鳥人族達が彼女を追うように空から降りてきた。
小柄で綺麗だけど近寄りがたい雰囲気を持つ女性。
寡黙そうで目力の強い鉢巻を巻いた男性。
口元をにやつかせている気味の悪い男。
笑みの絶えない明るそうな女性。
巨体を全身鎧で覆っている3mはありそうな人物。
顔色が悪く大鎌を背負った独り言をずっと呟いている男。
無表情でこちらを値踏みするように凝視している女性。
紳士風に畏まった礼儀正しそうな青年。
明るい表情を浮かべているけど、大きな金砕棒を背負った少女。
イビを含めた十名が立ち並ぶと背筋に寒気が走り、僕はごくりと喉を鳴らして息を呑んだ。
全員、パドグリー家で行われているという強化血統で生まれた人達なんだろう。
彼等から感じる魔力には、今まで出会ってきた様々な獣人族の気配が強く交ざり合っている。
「こ、これは守護十翼【ブルートリッター】の皆様。ようこそおいでくださいました」
側にいた鳥人族の兵士が真っ青になってその場にひれ伏すと、関所にいた兵士達が慌てて全員揃って地面を頭につけて畏まった。
イビを先頭に降り立ってきた彼等が守護十翼……?
状況と気配から察するにホルスト直属か、パドグリー家の強化血統だけで固められた特別な集団といったところか。
関所の雰囲気が殺伐として異様な緊張感に包まれるなか、イビはこの状況が当然のように足を進めて僕の前にやってきた。




