ヴェネの意図
「はは、気を失っちまったか。言葉通り、俺の一撃から目を逸らさず逃げなかった。大した胆力だ、そのオヴェリアって奴はよ」
獣化したままのヴェネが尖った八重歯を見せて砂煙の中から現れると、僕は深いため息を吐いて見やった。
「……ヴェネ。獣化訓練をしてくれたことは感謝するけど、どうしてここまでする必要があったのさ」
腕の中で気絶しているオヴェリア。
彼女がさっきまで居た場所は、地面がひび割れて大穴ができている。
ヴェネが繰り出した『瞬足一蹴撃』の一撃によってできあがったものだ。
直撃していれば、オヴェリアの命は間違いなく失われていた。
彼女が砂煙と一緒に宙を舞っていたのは、ヴェネがぎりぎりで振り下ろした足の軌道を変えたからだ。
「どうしてって、そんなの決まってんだろ」
ヴェネはにやりと笑った。
「第二騎士団の戦闘力トップが兎人族だったら、面白いじゃねぇか。結果的に俺達の名も売れるだろうからな」
「……なるほど、第二騎士団とオヴェリアを兎人族の広告塔にしようと考えたわけか」
「まぁ、有り体に言えばそんなところだな」
彼女はそう答えると、獣化を解いて肩を竦めた。
軽い口調と調子で忘れそうになるけど、ヴェネは兎人族をまとめる部族長だ。
訓練を通じてオヴェリアの才能を見抜き、兎人族の力を国外に見せつける良い逸材と判断してのことだろう。
全く、部族長は誰も彼も油断も隙もない人達ばかりだ。
セクメトスを始め、皆強かで相手をするこちら側の身になってほしい。
気疲れで参っちゃうよ。
僕が深いため息を吐くと、ヴェネは真顔になって気を失っているオヴェリアを見やった。
「……とはいえ、最初はこんなこと考えていなかったんだぜ。オヴェリアにここまでの資質がなければ俺も本気にはならなかった。バルディアの第二騎士団所属の奴等は揃いも揃ってこんな感じなのか?」
「そう、だね。オヴェリアは特に強い子ではあるけど、近い実力を持つ子はそこそこいるよ」
第二騎士団所属で見渡せば、分隊長の子達はオヴェリアに近い実力を持っている。
今回の訓練で彼女は獣化の段階を皆より先に進んだから、追いかけられる立場になったはずだ。
バルディアに戻ったら、団員達から質問攻めに遭うことは間違いない。
オヴェリアは直感的な肌感覚で覚えていく子だから、他の子の質問にちゃんと受け答えできるかどうかわからないけどね。
まぁ、それも彼女にとって良い経験になるはずだ。
「へぇ、世の中は広いんだな。あ、もしかしてあれか、ライナー辺境伯が直々に指導してんのか?」
「そういうこともたまにあるけどね。基本は第二騎士団の指揮官を任せているダークエルフのカーティスがやってくれているんだよ」
「……ダークエルフのカーティス? 聞かねぇ名だな」
ヴェネが腕を組んで首を捻ると、僕は「ふふ」と噴き出した。
「彼は、レナルーテのランマークという武家の出身でね。跡目を息子に譲って隠居生活だったから、良かったらバルディアに来てほしいって打診して来てもらったんだよ」
「他国の人材を引き抜いて、指揮官に就任させたってわけか。リッドは本当に色々やってんなぁ」
彼女は感嘆した様子で呟くと、ため息を吐いてやれやれと頭を振った。
「俺は兎人族の部族長なんかやってるけどよ。リッドの話を聞いてると領地を出ねぇ自分が、どれだけ世の中を知らねぇちっぽけな存在か痛感するぜ」
ヴェネは聞くところによると、まだ20代前半らしい。
彼女は部族長として他国の情勢や文化は文献や人伝で勉強しているんだろうけど、自分自身で現地に赴いて見聞きして感じるのは全然違う。
僕も帝都に出向いたり、ズベーラ国内を見て回るのはとても良い経験になっているのは間違いない。
知らない土地にきて異文化を自分の目で見ると、世界も広がるし、何よりも視野が大きくなるものだ。
ヴェネの気持ちに同感していたその時、ふと鼠人族領の部族長子の『ルヴァ』にした提案を思い出し、おもむろに切り出した。
「……そんなに他国が気になるなら、いっそバルディアに留学してみる、とか?」
「え……?」
あまりに突拍子もない提案だったらしく、ヴェネがきょとんと目を丸くしてしまった。
「あ、ごめん。立場があるヴェネがそんなこと出来るわけがないよね。あはは、今言ったの忘れて」
「……そうだな。でも、今すぐは無理だが、親父を説得して協力を取り付ければ……」
慌てて頭を振って苦笑すると、ヴェネは真顔で口元を覆って小声で何やら呟き始めた。
はて、どうしたんだろう。
首を傾げていると「リッド様」と呼ぶ声が聞こえてくる。
振り向けば、血相を変えたティンクとカペラが走ってきた。
「リッド様、あのような状況で急に飛び出してはなりません」
「ティンク殿の仰る通りでございます。リッド様が自ら飛び込まずとも、私達がおりましょう」
「あ、あはは……。ごめんね、気付いたら飛び出していたんだよ。誰だって人を助けようとして、咄嗟に体が動いちゃうことあるでしょ」
気を失っているオヴェリアをティンクにゆっくり丁寧に渡すと、僕は誤魔化すように頬を掻いた。
魔法に長けているおかげか、僕は魔力による気配探知能力はこの場にいる誰よりも優れていると思う。
オヴェリアが砂煙の中で宙に舞った時も、視認はできなかったけど彼女の位置はすぐにわかった。
気付けば飛び出していたというわけだ。
カペラはため息を吐くと、真顔になって口火を切った。
「……リッド様のお気持ちや行動は素晴らしいと存じます。しかし、気をつけなければ大怪我に繋がることもございます故、できる限り周りをお頼りください」
「う、うん。わかった。次から気をつけるよ」
「よろしくお願いします」
僕が返事をすると、カペラは会釈してからティンクの腕の中にいるオヴェリアを見やった。
「それにしても、オヴェリアは大金星を挙げましたね」
「え、大金星?」
聞き返すと、ヴェネが「はは、そうだな」と尖った八重歯を見せた。
「気絶したとはいえ、俺の一撃から逃げなかった。つまり、オヴェリアは訓練だが俺に勝ったということになる。親父も認めるだろ?」
彼女が大声で尋ねると、少し離れていた場所にいたシアが小さなため息を吐いて頷いた。
「……その通りだ。非公式ではあるが、そのオヴェリアは部族長のヴェネに勝利した。武を重視する獣人族において、これは重要な意味を持つ。この件が領内に広まれば、兎人族の民はバルディアに好感を持つはずだ」
「え、そうなんですか?」
思いがけない言葉に目を瞬くと、ヴェネがこくりと頷いた。
「部族長という立場の俺が持ちかけた勝負に挑み、オヴェリアは逃げずに立ち向かい勝利したんだぜ。他国ではどうか知らねぇが、獣人族では誰もが褒め称える偉業を成し遂げたようなもんだ。オヴェリアが仕えるバルディアの好感度も爆上がりだぜ」
彼女はそう告げると、訓練場に響きわたる大声で笑い始めた。
真珠養殖の件もあるし、バルディアに対する兎人族の好感度上昇はとても有り難いことだ。
もしかすると、これもヴェネの考えなのかもしれないな。
考え過ぎかもしれないけどね。
オヴェリアとヴェネの獣化訓練は終わりを告げ、僕達は兎人族領を出発する準備に取り掛かる。
次に向かう領地は、いよいよ鳥人族領。部族長ホルスト・パドグリーが治める領地だ。
ホルストは王都で催眠魔法ともいうべきものを仕掛けてきたこともあって、今まで一番危険で緊張感のある相手でもある。
あの男だけは、何を考えているのか読めない。
今までの部族長達と違って、敵対的であることは間違いないだろう。
鳥人族領だけ訪れない訳にはいかないし、アリアの妹イリアや姉というイビ・パドグリーのことも気掛かりだ。
何にしても、これまでと違った訪問になることは間違いない。
出発の準備を進めつつ、僕は周囲に悟られないよう気を引き締め、緊張感を高めていた。




