兎人族の演武【ラビットダンス】
懇親会の翌日。
海の視察、会談、懇親会と、兎人族領の予定は当初よりも大分早く終えられた。
これもヴェネとシアが全面的な協力を申し出てくれたおかげだ。
時間に余裕が出来たことから、クリスとエマは豪族や兎人族の商人達と今後の取引品目の確認と商流の確認をすると僕達とは別行動を取っている。
今日の僕は、第二騎士団所属の分隊長オヴェリアと共に部族長屋敷から少し離れた場所にある訓練場を訪れている。
もちろん、オヴェリアがヴェネとシアから獣化訓練を受けるためだ。
今回はカペラやティンクの立ち会いも許され、オヴェリアとヴェネの訓練を見学することになった。
二人揃って好戦的な性格をしていたから、思っていたとおり開始早々から訓練場は凄まじい打撃音が轟き、いまだ鳴り止まない。
当然、彼女達は獣化した状態で立ち合っていて、オヴェリアは白い体毛、ヴェネは銀色の体毛に覆われている。
兎月流兎脚術による蹴り技を連続で放つオヴェリア。
その猛攻をヴェネはぎりぎり紙一重で躱し、いなして流し、あえて防御し、時に反撃している。
おちゃらけたところはあるけど、ヴェネは他の部族長に負けず劣らずの力を持っているんだと改めて感心した一方、シアもオヴェリアの動きに唸っていた。
「……リッド殿。オヴェリアと言いましたな、あの兎人族の娘は」
「はい。第二騎士団の分隊長を務めていますが、獣人族の子達の中でも戦闘力の高さだけなら五本指には入ると思いますよ」
第二騎士団分隊長の子達は同年代に比べ、誰もが相当の実力者であることは間違いない。
戦闘力だけで順位を付けるとなれば熊人族のカルア、兎人族のオヴェリア、猫人族のミア、狼人族のシェリル、馬人族のゲディング……以上が上位五名になるかな。
かといって、他の面々も彼等と比べて実力は僅差だから、決して劣っているというわけじゃない。
何せ僕、ディアナ、カペラが考案した訓練法に歴戦の古強者であるカーティスが実戦経験を加味した指導を日々行っている上、父上率いる第一騎士団との合同訓練も定期的に実施されている。
多分、そんじょそこらの冒険者、ちょっとした貴族お抱えの兵士達程度は返り討ちにできる実力を第二騎士団所属の団員全員が持っているはずだ。
だけど、どうして今になってシアはこの質問をしてきたんだろう。
「でも、それがどうかしましたか?」
僕が首を傾げると、シアはオヴェリアを見つめながらおもむろに切り出した。
「兎人族領にいた頃、兎月流兎脚術を習っていたと言っておりましたが、教えた者がよほど教え上手だったのでしょうな。ぱっと見は荒々しい動きに見えますが、基本に忠実で鋭い技です。あの年齢であれほど技を磨き、ヴェネにあそこまで食らいつける兎人族の子はおそらくおりません」
シアはそう告げると、こちらを見やった。
「リッド殿。失礼ですが、あの娘から師の名前を聞いておりますか?」
「えっと、確か兎月流の道場を営んでいた『フェルナンド』という方から習ったと聞きました。ただ、その方はすでに亡くなっているそうです」
オヴェリアから聞いた話だと、瀕死だった母親が面識もない見ず知らずのフェルナンドに生まれて間もない彼女を預けたそうだ。
母親はオヴェリアを彼に預けると、名乗る間もなく意識を失い、そのまま亡くなってしまったらしい。
フェルナンドは、これも何か縁だと、身寄りのないオヴェリアを引き取って育ててくれたと聞いている。
「……フェルナンド、ですか」
シアは眉をぴくりとさせ、口元に手を当てて何やら考える素振りを見せる。
「ひょっとして、お知り合いの方でしたか?」
尋ねてみると、彼はゆっくりと頭を振った。
「……いえ、残念ながら聞き覚えはありませんな。しかし、武術に生涯を注いだ人物だったのでしょう。生きているうちに会ってみたかったものです」
「そうですね。私もです」
もし、フェルナンドなる人物が存命だったなら、間違いなくバルディアに来てほしいと打診しただろう。
オヴェリアがここまで強い理由は本人の才能もさることながら、今よりも幼い頃から兎月流という武術に触れていたことが大きな要因となっていることは間違いないからだ。
ちなみに以前、彼女からとあるお願いを受けたことがある。
『なぁ、リッド様。あたしに兎月流を教えてくれる人っていねぇでしょうか』
『急にどうしたの?』
『いえね、あたしを育ててくれた爺さんが教えてくれた武術が兎月流兎脚術ってやつなんですよ。ある程度覚えてるんですが、ここにきてもう一度しっかり修練したいと思ったんです。爺が生きた証にもなりますから』
『そっか、わかった。じゃあ、探してみるよ』
『へへ、さすがリッド様だ。話が早くて助かります』
でも、兎月流は兎人族の中でも古い流派らしくて適任者が見つからない。
そんな折り、意外な人物が兎月流を知っていた。
『ほう、兎月流兎脚術ですか。それでしたら私も心得がありますぞ』
『え……⁉ カーティス、本当に知っているの』
第二騎士団で指揮官を任せているカーティス・ランマークは、ダークエルフの国であるレナルーテ王国における武家の華族出身だ。
今は息子に家督を譲って、隠居がてらバルディア第二騎士団で働いてくれている。
『えぇ。昔、各国を武者修行で回っている兎人族の男とレナルーテで知り合いましてな。実力もさることながら、教えるのも実に上手でした。折角だったので暫くランマーク家に滞在してもらい、手ほどきを受けましてな。基本的なことであれば、教えることはできるでしょう』
こうして、オヴェリアはカーティス指導下、兎月流をバルディアで学び直した経緯がある。
実は彼女、普段の言動からは全く想像出来ないけど、影で人知れず努力する子なのだ。
だからこそ、父上やディアナをはじめとする第一騎士団の面々から受けはいいし、第二騎士団の皆からも人望がある。
僕にとっても、彼女は信頼できる友人かつ仲間の一人だ。
それにしてもと、僕は視線を訓練場に戻した。
ヴェネとオヴェリアの稽古は、まるで高等な演武を見ているような感覚に陥ってしまうほどに洗練されている。
多分、ヴェネがそう見えるように仕向けているんだろうけど。
「兎月・時雨猛襲脚【しぐれもうしゅうきゃく】。おらぁああああ」
オヴェリアが素早く連続蹴りを繰り出すも、ヴェネは不敵に笑って躱し続けている。
「はは、オヴェリアだったな。勢いがあっていいぞ。意外と兎月流の基本もしっかりしてやがる」
「うっせぇ、難なく受け流しやがって。そのにやついた面、絶対一発蹴ってやるからな」
「おもしれぇ、同族で俺にそんな口を叩く奴は久しぶりだぜ」
ヴェネが蹴りを捌きながら宙に飛び退くと、オヴェリアは「逃がすか」と体を捻ってしゃがみ込み、即座に鋭い蹴り上げを繰り出した。
「兎月・飛翔天衝撃【ひしょうてんしょうげき】」
「おぉ、地対空技もあるのか。だが、当たってはやれねぇな」
ヴェネは空中で体を反らして躱すが、オヴェリアはにやりと口元を緩めた。
「かかったな。天衝墜撃脚【てんしょうついげききゃく】」
オヴェリアは空中で体を翻して勢いを付けると、そのまま踵落としで追撃を繰り出す。
宙で死に体となっているヴェネは咄嗟に腕を交差して防御した。
「やるじゃねぇか。一歩届いてねぇけどなぁ。足技だけに、なんてな。はは」
「ち……⁉ にやにやと余裕かましやがって。このままたたき落としてやる」
オヴェリアが踵落としを振り抜くと、ヴェネが押し出されるように凄まじい勢いで落下して地上に叩きつけられ、地響きと砂煙が舞い上がる。
でも、すぐにその砂煙の中からヴェネが口元を緩め、飛び出すように後退した。
次いで、オヴェリアが彼女を追うように砂煙から飛び出してくる。
「いいねぇ。楽しませてくれるじゃねぇか」
「勝手に言ってろ。だけどな、あたしの技はまだ終わってねぇんだよ。跳襲烈渦脚【ちょうしゅうれっかきゃく】」
オヴェリアは跳躍すると、体を翻して逆さま状態になると両足を開脚したまま独楽、いや、渦のように回転しながら蹴りを連続で追い打ちを繰り出していく。
「すっげぇ。高度な技をみせてくれるじゃねぇか」
だが、ヴェネはその技すらも捌いて受け流してしまう。
そして、技が終わってオヴェリアが体勢を立て直そうとした瞬間、ヴェネが彼女の懐に入り込んでにやりと笑った。
「実は俺も使えるんだぜ。兎月流をな」
「な……⁉」
オヴェリアが目を見開いた次の瞬間、ヴェネが目にも止まらぬ速さで無数の蹴りを繰り出した。
「兎月・時雨猛襲脚」
「が……⁉」
ヴェネの蹴り技を必死に耐えてるオヴェリアだけど、間もなく強烈な乱打で防御が甘くなる。
その隙をヴェネが見逃すはずもなく、「飛べ」と空へと蹴り上げられてしまう。
「く、くそ……⁉」
「まだまだいくぜ。飛翔天衝撃」
体勢が崩れたまま宙に打ち上げられたオヴェリアの腹部に、ヴェネの蹴りが容赦無く打ち込まれる。
「がぁ……⁉」
「続いて、天衝墜撃脚」
ヴェネが繰り出した追撃の踵落としでオヴェリアが地上に叩きつけられ、勢い余って跳ね上がる。
でも、すでに地上に降り立っていたヴェネは手を緩める様子はない。
「最後は跳襲烈渦脚だったな」
「がぁあああああ⁉」
ヴェネはオヴェリアが繰り出した時と同様、体を翻して両足を開脚したまま渦のように回転しながら蹴りを繰り出していく。
ただ、ヴェネの烈渦脚は渦の如く、オヴェリアを内へと巻き込んで離さない。
やがて烈渦脚の連撃が終わると、オヴェリアは蹴り飛ばされ地上に激しく転がっていく。
一方、ヴェネは涼しい顔で尖った八重歯を見せた。
「時雨猛襲脚、飛翔天衝撃、天衝墜撃脚、跳襲烈渦脚はこうやって繋げるんだぜ。まだまだ練習が足りねぇなぁ」
「く、くそが……⁉」
ふらふらと立ち上がったオヴェリアが吐き捨てると、ヴェネが「ひゅう、やるねぇ」と軽口を叩いた。
「でもよぉ。この場に審判がいたら、今ので『勝者と敗者宣言』がされたところだぜ」
「うるせぇ、まだまだこれからだよ」
口元に付いた泥と血をオヴェリアが服の袖で拭うと、ヴェネは不敵に笑った。
「そろそろ頃合いだな。お前、俺を本気で倒したいか」
「あぁ? 当たりめぇだろ。言ったはずだぜ、そのにやついた面に、絶対蹴りを一発入れるってな」
「はは、威勢がいいのは相変わらずだな。なら、その激情を鍵にして獣化の段階を引き上げろ」
「は……?」
オヴェリアが首を傾げると、ヴェネは真顔で続けた。
「獣化は次の段階に進むために必要なのは一定以上の強さと激情だ。強さというのは術者の魔力量や武術の力量、慣れ具合ってところだな。そして、その強さを得た後、感情の種類はどうあれ激情が鍵となって獣化の段階は進むってわけだ」
ヴェネはそう告げると、両手を大きく開いた。
「さぁ、オヴェリア。ここまで丁寧に説明してやったんだ。獣化の段階ぐらい、今すぐ引き上げて見せろ」
「ち……⁉ んなこと、てめぇに言われなくたってわかってんだよ」
「じゃあ、さっさとやってみせろよ。あ、それともあれか?」
「あれ……?」
吐き捨てたオヴェリアが首を捻って訝しむと、ヴェネはふっと表情を崩した。
「お前、自分で言ったこともできねぇ『はりぼて』か」
「な……⁉」
オヴェリアは目を丸くするも、すぐに鋭い目付きとなって額に青筋を走らせた。
一方、ヴェネは口角をこれでもかと上げたにんまり顔に加え、見下し嘲るような視線を送っている。
端から見ている僕ですら、イラッとしてしまうほどだ。
あれを真っ正面から向けられているオヴェリアの怒りは相当だろう。
「……上等だ。あたしがはりぼてかどうか、その身に思い知らせてやるよ」
わなわなと怒りに震えたオヴェリアがそう叫んだ直後、彼女を中心に魔波が吹き荒れて獣化に変化が現れる。
全身の体毛が逆立ち、毛色が白から濃い灰色へと変わり始めたのだ。
「なんだ、やればできるじゃねぇか」
「うるせぇ。それよりも、言ったはずだぜ。その身に思い知らせてやるってな」
ヴェネに威勢良く答えると、オヴェリアは獣化したまま前傾姿勢でしゃがみ込み、地面に両手の指先を置いた。
あ、あれは……⁉
彼女の姿を見た瞬間、バルディアで行った訓練の一幕が脳裏に蘇る。
「マリス、技を借りるぜ。跳躍力で全てをぶっ潰す。兎月式・瞬足一蹴撃【しゅんそくいっしゅうげき】」
「兎月流じゃなく、兎月式だと?」
ヴェネが眉を顰めて訝しんだ次の瞬間、オヴェリアの居た場所から凄まじい衝撃音が轟き、大地がひび割れてえぐれた。




