兎人族の懇親会、疑惑と巨大魚……?
「はぁ、無駄に疲れたよ……」
「私もだよ。リッド」
懇親会が行われる大広間に辿り着いてがっくりと項垂れると、隣にいるアモンが苦笑しながら頬を掻いた。
僕達の傍には護衛のカペラとティンク、クリスとエマ。
そして、ここまで案内してくれたヴェネとシアがいる状況だ。
祭事と催事をヴェネが間違えた結果、来賓室で異性の服に着替えさせられた僕とアモンだったけど、今はちゃんとした男性用の衣装に着替えている。
ゆったりした長袖のワンピースで腰から足下に切れ目が入っているものだ。
下には長ズボンも履いているし、見た目よりも動きやすい作りになっている。
色合いは僕が赤、アモンは青の無地に少しだけ刺繍が施されていて、質素ながら気品ある衣装だ。
傍で控えているカペラもほぼ同じ服装だけど、僕達が着ている服の方が刺繍の作りからしてちょっと豪華っぽい。
「はは、悪気はなかったんだ。許してくれよ、二人とも」
尖った八重歯を見せるヴェネを前に、僕は深いため息を吐いた。
「もういいよ。こうやってちゃんとした衣装も用意してくれたからね。ただ、次はないよ」
「肝に銘じておくぜ。いやぁ、それにしても言葉って難しいよな」
「全く、お前はすることなすことおてんばが過ぎる。父親である私の身にもなってみろ。おちおちしていられん」
「はは、良いじゃねぇか。何も刺激のない日々よりもよ」
彼女が頭の後ろで手を組みながら笑うと、シアが額に手を添えて呆れ顔を浮かべてため息を吐いた。
シア、ヴェネに振り回されて本当に苦労しているんだろうなぁ。
二人のやり取りから会場に目を向けると、他部族同様に立食式の懇親会が採用され、会場の中央に置かれた大きな食卓には所狭しと料理が盛られたお皿が並べられている。
ぱっと見た限りでは海鮮料理が多いらしく、帝国やレナルーテでは物珍しかった『刺身』なんかもあるみたい。
兎人族に目をやれば男性陣は子供を含め、僕達が着ている服装とほぼ同じ服装だ。
一方、ご婦人や令嬢達の服装はヴェネやクリス達が着ているチャイナドレスと似た雰囲気のワンピースだけど袖なし、半袖、長袖と差違がある。
中には胸元だけが見えるようVネックになっているものから、胸元に穴が空いているもの。
加えて、うっすらと割れた腹筋を見せつけるようにヘソ出しをしている方もいるようだ。
何だか、他部族の懇親会よりも艶があるというか、大人っぽい雰囲気が会場に漂っている。
海が近いせいか気候も暖かいし、他部族よりも開放感が強いのかもしれない。
そういえば、猿人族も明るくて開放感が強めの部族だった気がする。
猿人族の場合、部族長のジェティが底抜けに明るくて軽薄だった点が大きいかもしれないけど。
ただ、会場で一番目を引くのは、一角に置かれた台の上に見覚えのある『巨大魚』が置いてあることだろう。
二百キロは優に超えているような気がする。霜が付いていることから察するに、氷魔法で凍らせて保管されていたのかもしれない。
周囲を見回していると、一部の男性陣がちらちらと僕達を伺っている視線に気付いた。
今までも懇親会の場で注目は浴びていたから、珍しいことじゃない。
だけど、いつもと違って何だか邪な気配を感じる。
はて、なんでだろうと小首を傾げたところ、ヴェネが「どうしたんだ、リッド?」と尋ねてきた。
「あ、いやね。懇親会で注目を浴びるのは慣れているんだけど、何だか視線がいつもと違うような気がしてさ」
「あぁ、そりゃ……」
ヴェネは意味深に口元を緩めてクリス、ティンク、エマを見やった。
「異国の美人が俺たちの衣装を着てるからだろ。親父と一緒で、兎人族の男共はむっつり助平が多いからな」
「えぇ……?」
だとしたら、今までの中で一番嫌な注目の浴び方だなぁ。
「ま、まぁ、しょうがないですよ。私のようなエルフが着るのはもの珍しいでしょうし」
「……一部の方が向けてくる視線に腹が立ちますね」
「あら、私もまだ捨てたものじゃなさそうだわ」
僕が呆れ顔を浮かべ、クリスは決まりが悪い顔で苦笑し、エマは何やらイラッとした表情で舌打ちし、ティンクは動じることなくにこにこ笑顔だ。
「こ、こら。部族を貶め、誤解を招くような発言は慎まんか」
「なんだよ。親父だって、さっきからちらちらばれないよう見てんじゃねぇか」
シアが慌てて注意するも、ヴェネはあっけからんと肩を竦めた。
「な、何を馬鹿な……⁉」
彼が目を見開くと、それとなくクリス達が立ち位置を変える。
僕の背後にクリス、アモンの背後にティンク、カペラの背後にエマが隠れるように移動した。
次いで、三人はあからさまに目付きを細めてシアを訝む。
「お、お三方。どうされたのかな?」
「いえいえ、何でもありませんよ。気にしないでください」
「はい。クリス様の仰る通り、気にしないでください」
「お二人の言うとおり、気にしないでください」
クリス、エマ、ティンクは目を細めて答えるが、目の奥が笑っていない。
やれやれと肩を竦めると、僕は咳払いしてシアを見やった。
「恐れながら申し上げます。兎人族の次席に立つシア殿がそのような視線で三人を見れば、他の方々に示しがつかないかと存じます。お控えください
」
「い、いや誤解だ。私は……」
シアが弁明しようとしたその時、「ところで……」とアモンが切り出した。
「ティンク殿達が着たこの衣装ですが、もし私の姉ラファ・グランドークが身に着けたら魅力的だと思われますか?」
「ラファ殿がこの衣装を着る、だと……?」
彼はごくりと喉を鳴らしてティンク達を見やった。
すると、シアの鼻の下がみるみる伸びていく。
「いやぁ、ラファ殿であれば間違いなく似合いましょうな。何とは申しませんが、溢れんばかりの魅力と相まってさぞ妖艶なお姿となりましょう」
「……親父、そのだらしない面はやめろよ。娘として恥ずかしいぜ」
「な……⁉」
ヴェネがため息を吐くと、彼はハッとするが時既に遅し。
クリス、ティンク、エマはにこりと笑うも、眼差しに拒否感が溢れている。
話題を振ったアモンがにこりと微笑んだ。
「シア殿、これは部族長としてですが『部族を貶め、誤解を招くような言動は厳に慎む』べきかと存じます」
「うぐ……⁉」
シアは苦悶の表情を浮かべると、肩を落としてがっくりと項垂れてしまった。
さっき、彼がヴェネに苦言を呈した言葉がそのまま返ってきたからだろう。
アモンって、ティンクとティスが関わると人が変わったように容赦がなくなる気がする。
あれかな、やっぱり彼の守護霊になったらしいクロスの影響でも出ているのかもしれない。
ちなみに、ラファが兎人族の衣装を着るか否かを想像するなら、彼女は十中八九で身に着けるだろう。
それも『あら、面白そうね』とノリノリで。
ラファは『今を楽しむ』という部分を最重要視する性格の持ち主だからだ。
彼女は普段から露出度の高い服を着ているから、あんまり雰囲気は変わらないような気もするけどね。
「さて、そろそろ俺の出番だから行くぜ」
急にヴェネが口火を切った。
「行くって、どこに?」
僕が聞き返すと、彼女は不敵に笑って会場の一箇所を指し示した。
「あそこだよ」
「あそこって、あの巨大魚のところですか」
「あれはリッド達をもてなすため、事前に用意した魚なんだぜ。シビって言うんだけどよ。リッドは知ってるか?」
「シビ……?」
はて、そんな魚いたっけかな。
小首を傾げると、シアが「ヴェネ、その名で呼ぶな」と切り出した。
「シビは死ぬ日の死日を連想させて縁起が悪い故、鮪【まぐろ】と呼べと言っただろう」
「あぁ、そうだったな。わりぃ、わりぃ」
「全く……」
尖った八重歯を見せるヴェネの軽い謝罪に、シアはやれやれと肩を竦めている。
鮪【まぐろ】と聞き、さっきの既視感に合点がいった。
そう、そうだよ。
遠目で気づけなかったけど、あの大きさと、あの形は間違いなく前世の記憶にもある鮪だ。
でも実は、この世界で鮪の価値はまだ低いんだよね。
理由は巨大魚故に冷やすのがとても難しいからだ。
実は鮪って、生きて泳いでいる時は海水温に関係なく体温が三十度前後もあるらしい。
当然、釣り上げたところで、その体温が急激に下がることはない。
氷を使用する冷蔵技術でもない限り、海から陸地、さらにその先にとなった場合、目的地に到着した頃には主要な箇所がほとんど食べられなくなるからだ。
前世の世界で高級部位だった『油の多い大トロ』なんて、一番で腐ってしまう。
故に、前世の記憶にある江戸時代とかはトロの部位は全部畑や田んぼの肥料にされていたそうだ。
「それで、あの鮪をどうするんですか。確か、シビって足が早い魚でしたよね?」
素知らぬ顔で訪ねると、ヴェネは「へぇ、良く知ってんな」と意外そうに目を瞬いた。
「確かに普通は足が早いんだけどよ。俺が漁に直接出向いて、釣り上げると同時にバルディアの輸送みたく凍らせたんだ。そうしたら、しばらくは持つんだろ?」
「あ、なるほど。確かに、そうすれば足の速さは解決できますね」
僕はこくりと頷いた。
ヴェネの言葉にあった『バルディアの輸送』というのは、クリスティ商会が木炭車で輸送する一部の食品を氷の属性魔法で凍らせていることを指している。
凍らせることで品質は多少なりとも落ちちゃうけど、腐るより全然いい。
ただ、魔法が一般的じゃないこの世界では氷魔法を使用できる人材が限られるから、一般的な輸送方法としては普及していない状況だ。
ズベーラ王都での部族長会議で冷凍輸送は触れているから、ヴェネはそこから着想を得たんだろう。
「……というか、ヴェネは氷の属性素質を持っているんだね」
「まぁな。ただ、魔法はあんまり得意じゃねぇんだよ。身体強化や獣化は得意だけどな」
彼女は肩を竦めると、鮪が置いてある台の前に立って傍に置いてあった大きな包丁を手に取った。
少し離れたここからでも刃が鋸状になっているのがわかる。
傍に数人の給仕が並び立つと、ヴェネは深呼吸をしてから会場に響きわたる大声を発した。
「今日は兎人族とバルディア家の親睦を深めるための懇親会だ。俺たち兎人族は無礼講で構わねぇが、客人のリッド達には失礼のないように頼むぜ」
彼女がそう言うと、会場から歓声が上がった。
「おぉ、珍しい。ヴェネ様自らが切ってくださるのか」
「普段はシア様が切るからな」
「おそらく、それだけバルディア家との関係性を重視していると我らに伝えたいんだろう」
「聞いた話だと、ヴェネ様自ら漁船に乗ったそうよ」
「ふふ、相変わらずおてんばなご様子ですね。シア様も気苦労が絶えないでしょうに」
「それぐらいで丁度良いですよ。シア様は暇が出来て体力が余ると、すぐにだらしなくなりますから」
「シア様は若い頃に遊ばず、仕事一筋でしたからねぇ。後になっての反動がきたのかしら」
豪族の男性陣から聞こえてくるのは感嘆した声だけど、女性陣は途中からシアの話題にすり替わっている。
どうやら、彼のむっつりぶりは部族内では有名らしい。
「さぁ、始めるぜ」
ヴェネの声が再び会場に響くと、いよいよ鮪の解体が始まる。
そして、会場は大盛り上がりになっていくのであった。




