ヴェネの覚悟とリッドの決断
真珠養殖の提案で、ヴェネとシアから全面的な協力の約束を取り付けた後、すぐに兎人族の豪族を交えた会談が開かれた。
当然、締め出されていた豪族達は怪訝な表情を浮かべ、僕達を訝しむ。
でも、開始早々にヴェネとシアが豪族達に向けて頭を深く下げたことで空気は一変する。
「すまん。まだ詳細話せねぇが、俺は部族長としてリッド達に全面的に協力すると約束した」
「私もだ。リッド殿からの提案内容は間違いなく、兎人族の未来を明るく照らすものだった。しかし、提案内容は我らの常識では想像もつかぬ上、秘匿性が極めて高い。従って、当分は部族長のヴェネと補佐の私で進める案件とする」
会談が開かれて早々、部族の頂点に立つ二人が頭を下げたことで豪族達からどよめきが起きる。
困惑の空気に会場が包まれると、僕達もすかさずその場で立ち上がって、彼等に向けて頭を下げた。
「私からもお詫びいたします。しかし、これだけは断言させてください。決して皆様を軽んじてのことではありません。シア殿の仰る通り当家の中でも特に秘匿性が高い技術のため、ヴェネ殿とシア殿にお伝えした所存です。また、お二人から全面的な協力をお約束いただけた以上、今後の両家は親善都市と評しても過言ではありません。当家は兎人族の発展と繁栄に全面的に協力をお約束いたします」
僕は顔を上げると豪族達を熱の籠もった眼差しで見回し、身振り手振りと強い気持ちを込めた口調で流暢かつ、ちょっと大袈裟に語った。
親善都市というのは文化を中心とした人、物、技術交流を行う地方政府同士の関係を指す言葉だ。
でも、この世界では、まだそうした認識は少ないし、言語化されていない関係性の一つだろう。
同盟は国同士の繋がりだから、勝手にこの場で言うことはできない。
だけど『親善都市』という言い方なら、表向きはあくまで文化交流を主体とした『友好』を指しているという言い訳ができる。
「リッド殿だけではありません。私、アモン・グランドークも狐人族部族長としてバルディアと兎人族に全面的な協力を約束いたしましょう」
アモンが畳みかけるように告げると、怪訝な雰囲気に満ちていた豪族達の表情が軟化してざわめきが起きる。
「我らとバルディアが親善都市……?」
「聞いたことのない言葉だが、兎人族が他部族よりも一歩進んだ関係性になったということではないか?」
「そうだな、親善都市という響きも悪くない」
「ヴェネ様の直感は確かだ。そして、それを豊富な経験で支えるシア殿。お二人が協力を約束し、リッド殿とアモン殿がそれに応えると約束した。言ってしまえば三家による協力体制が築かれたということだろう」
「……つまり、それだけ価値がある内容の提案だったということか」
「その通りだぜ」
豪族の一人が唸るように呟くと、ヴェネが切り出した。
「最初に言ったが、詳細はまだ話せねぇ。だが、時が来ればわかるはずだぜ。今日という日が、兎人族領発展と繁栄の分岐点だったってな」
「これに関しては、私も同意見だ。皆、得心がいかない点は多々あるだろうが私とヴェネを信じてくれ」
シアが告げると、豪族達は顔を見合わせるが雰囲気は悪くない。
これで決まってくれるかな、そう思ったら豪族の一人が「しかし……」と切り出した。
「恐れながら、どのような計画でも絶対に成功するということはないでしょう。失敗するかもしれない危険性も知らされず、投資だけしろというのはさすがに如何かと。せめて、計画を信じる根拠となるものをご提示いただけませんか」
彼は感情的にならず淡々とした口調で告げた。
冷静かつ客観的で至極もっともな指摘だ。
でも、真珠という物的証拠を見せれば、聡い者はすぐに養殖技術が確立されていることに気付くだろう。
知る者が多くなればなるほど、情報漏洩の危険性はどうしたって高くなる。
「指摘は尤もだな。だが、断るぜ」
ヴェネが白い八重歯を見せて告げると、豪族達から再び困惑のどよめきが起きる。
すると彼女は、急に真顔になった。
「俺は今回の件、部族長生命を掛けるつもりだ。万が一のことがあれば全責任を負って部族長を辞め、補填が必要になるなら、身売りして奴隷落ちしても構わないと思っている」
「な……⁉」
「ヴェネ、正気か⁉」
あまりに突拍子もない発言に僕達が目を丸くし、シアが血相を変え、豪族達がざわめきが起きる。
しかし、彼女は動じず頷いた。
「あぁ、本気だぜ。親父や皆に相談せず、リッドに総力を挙げて全面的な協力を約束したのは、俺の勝手な判断だからな。これぐらいの危険を背負わねぇと、皆も納得しねぇだろ。それに元部族長って肩書がありゃ、良い値で身売りできるだろうぜ」
「そういう問題ではない。そもそも部族長が身売りして奴隷落ちなど前代未聞だ。許されるわけなかろう⁉」
「じゃあ、万が一の補填に充てがう財源はどうするんだよ。兎人族の現状を鑑みても、将来の財源に使えそうなものはないんだぜ。親父もよくわかってんだろ」
「そ、それは……」
シアが言い淀むと、ヴェネは肩を竦めた。
「何かを成すためには、誰かが危険を背負わなきゃならねぇ。それが部族長の役目ってもんだ。なぁ、皆もこれなら納得してくれんだろ?」
彼女が笑顔で問い掛けると、豪族達は戸惑いながら顔を見合わせて「まぁ、そこまでヴェネ様が仰るなら……」と口々に漏らし始めた。
ヴェネは肝が据わっている上、本当に気風が良い。
飄々としつつも、心の奥底には強い責任感を秘めている。
まさに部族長の器……いや、人の上に立つという意味では『獣王』の器もあるかもしれない。
何にしても、ここまでバルディアを信じてくれた以上、このまま何も言わず、黙っている訳にはいかないよね。
「お待ちください。皆様の仰る万が一の件における補填の件ですが、バルディアも危険を背負いましょう」
僕が口火を切ると、豪族達がどよめいた。
「リッド殿。お言葉は大変有り難いが、貴殿はあくまで名代。勝手に補填を決められる立場ではなかろう」
シアが鋭い眼光を放つが、僕はにこりと微笑んだ。
「ご指摘の通り、私の一存では補填額を勝手に決めることはできません。しかし、優秀な人材を引き抜く費用ということであれば問題ないでしょう」
「優秀な人材を引き抜く費用だと……?」
彼はきょとんとするが、すぐにハッとした。
「ま、まさか……⁉」
「そのまさかです。万が一のことがあれば、バルディアでヴェネ殿の身柄を引き取りましょう。その際、兎人族領が必要とする補填額を当家がお支払いするというのは如何ですか?」
「おぉ、そりゃ渡りに船だぜ。つまり、あれだな。計画が失敗したら俺はリッドの側室になるってことだな。やっぱ、リッドはませてんなぁ」
ヴェネは楽しそうに白い八重歯を見せてけらけらと笑うが、僕は目を細めたままゆっくりと一瞥した。
すると、彼女が全身をびくりとさせる。
「決して側室ではありません。兎人族領にお支払いした補填額は、ヴェネ殿に貸し付けることにさせてもらいます。当然、借金の返済が終わるまではヴェネ殿はバルディア所属となりましょう。例えば、基本は騎士団で働いてもらいますが、その時の情勢次第では兎人族領に騎士団員として派遣することもできるかもしれませんね。大切なことなのでもう一度、あえて強調してはっきりとお伝えしますが、決して側室ではありません。いいですね?」
「お、おう。わかった。す、すまん」
彼女は顔を真っ青にし、口元を引きつらせながら相槌を打った。
どうやら、側室ではないということは理解してくれたようだ。
僕は咳払いをすると、再び会場を見渡した。
「将来的なことになりますので、当家がどうなっているかわかりません。従いまして、バルディア、クリスティ商会、アモン殿率いるグランドーク家で今ご提案した補填策を共有しておきましょう。そうすれば、どこかしらでヴェネ殿の身柄と引き換えに、兎人族領に補填額をお支払いできるはずです。クリス、アモン殿、急な取り決めになりますがどうでしょうか?」
目配せすると、二人はこくりと頷いた。
そして、その場に立って一礼した。
「クリスティ商会はリッド様の補填策を全面的に支持し、受け容れます。人材はお金に換えられません。ヴェネ様のような方を迎え入れられるなら、いくらでもお支払いしましょう。最悪、当商会で難しい場合、サフロン商会にも打診します。おそらく、私と同じ認識で補填額はいくらでも積んでくれるでしょう」
「狐人族、グランドーク家もリッドの補填策に同意する。正直、将来的にどうなっているのか。まだ不透明なところはありますが、身売りを希望するヴェネ殿が当家所属を求めるならバルディア家、クリスティ商会に協力を求めて何とかいたしましょう」
クリスとアモンがそう告げると、豪族達からざわめきが起きた。
バルディア、クリスティ商会、グランドーク家が身柄の引き取りを申し出たことにも驚いているんだろう。
でも、それ以上に『ヴェネを得られるならお金に糸目はつけない』と僕達が示唆したことに衝撃を受けたのかもしれない。
ズベーラに属するアモンならまだしも、他国出身の僕とクリスがここまで彼女を評価すると思っていなかったんだろうな。
言動に振り回されるけど、ヴェネの才覚は本物だ。
お金で引き抜けるなら、いくら積んでも惜しくはない。
豪族達からうなり声が聞こえてくるなか、ヴェネが「はは」と白い八重歯を見せた。
「だってよ、皆。俺って、結構な価値があるみたいだぜ。これなら補填策にもなるし、文句ないだろ」
「全く、お前はという奴は……」
シアが額を押さえながら俯き、頭を振っている。
なんだろう、既視感がある光景だ。
やがて、どよめいていた豪族達は落ち着きを取り戻し、冷静に指摘してきた豪族がその場に立ち上がって一礼した。
「畏まりました。ヴェネ様にそこまでの覚悟があるのであれば、我ら一同、これ以上は何も聞きません。どうか、より良い方向に兎人族をお導きください」
「おう、任せとけ。黙って、俺についてこい」
彼女は胸を張ってドヤ顔で告げると、嬉し楽しそうに大声で笑い始めた。
「……ヴェネ、あまり調子に乗ってはならんぞ」
シアが苦言を呈すると、彼女はハッとしてにやりと口元を緩めた。
「おぉ、そうだな。すまん、すまん、ひとまずすまん」
「お、お前という奴は……⁉」
怒りに震えつつ、それを必死に堪えるシア。
けらけらと笑い、飄々とするヴェネ。
二人の姿を見つめ、肩を竦めてため息を吐く豪族達。
彼等の様子を前に、クリスがすっと耳打ちしてきた。
「リッド様。さっきは熱と雰囲気に充てられましたが、ヴェネは本当に大丈夫でしょうかねぇ」
「う、うん。大丈夫だよ。大丈夫……なはず」
あまりに軽いヴェネの姿を目の当たりにすると、ちょっと先行きが不安になるなぁ。
でも、僕の不安を余所に、その後の話し合いは滞りなく進んだ。
海魚や塩の取引開始に始まり『文字打ち込み君』の販売に至るまで、今まで一番と言って良いぐらいに友好的な雰囲気で進み、会談は無事に終わりを告げる。
次は懇親会が開かれるんだけど、その前に領地訪問の恒例となりつつある『あれ』が待ってると知り、僕とアモンはちょっと気が重くなった。




