渚のリッド
「……ヴェネ、僕達は海の視察に来たんだよね」
「あぁ、そうだぜ。だから海に来たんだろ?」
彼女は尖った八重歯を見せてにこっと笑った。
僕達が今、部族長管理下にあるという浜辺の中央で真っ白な砂浜の上に立っている。
天を仰げば雲一つない青空に太陽がさんさんと輝き、ふいに穏やかな塩風が頬を撫で、海独特の香りが鼻孔を擽ってくる。
前世の海と違って油で動く船がないおかげでヘドロが少ないのか、嫌な臭いはない。
船着き場のような魚の餌が乾いたような臭いは一切なく、澄んだ塩の海本来の香りとでも言えばいいだろうか。
耳に届く波のさざやきに誘われ、海を見やれば果てしなくどこまでも水平線が続いていた。
海の水面では日光が煌めき、よくよく見れば場所によって波の向きが違うのは風の吹いている方向が違うためだろう。
そして、これまた海辺特有の砂の小粒がサンダルと足の隙間に入って何とも言えないざらつきを感じさせてくる。
眼前の日光で煌めく広大な海を前にしてるのに僕は、不釣り合いなため息を吐いてがっくりと肩を落とした。
「だからって、帽子に水着とサンダル姿に着替える必要はなかったんじゃないの?」
「あはは、固いこと言うなって。俺はさ、リッド達に海に触れてほしかったんだよ」
ヴェネはさも当然のように楽しそうだ。
そう、実は今の僕は短パンの水着とサンダルを履き、頭には麦わら帽子を被っている。
荷物の出所は、ヴェネが背負っていた大きな鞄だ。
あの中に入っていたのは『海を楽しむ遊具一式』しか入っていなかったのである。
水着が存在していたことに当初驚いたけど、ヴェネの話をよくよく聞いたところ『子供用だったけどよ、水着っていう珍しい服をサフロン商会が持ってきたんだよ。
それを買い取って、ジェディ達に渡して大人用を作ってもらったんだ。
これは遊具用だが、全身を覆う水着は素潜り漁で大活躍しているんだぜ』ということだった。
この話を聞いた僕は「へぇ、そうなんですね」と目を細め、クリスとエマを見つめたのは言うまでもない。
バルディアには、土と水の属性魔法を利用して作成したプールがある。
ここで第一と第二騎士団の面々で定期的に水泳授業を行っているのだ。
そこで使うために水通しの良い素材で水着を作成したんだけど、一般流通はさせていない非売品だ。
でも、手違いか何かで兎人族領に流れ着いたということだろう。
恐るべきは子供用の水着から大人用に昇華させるだけに留まらず、デザインまで追求した猿人族の職人達だ。
いっそ、水着も一般販売はじめるかなぁ。
なお、僕の隣に立つヴェネの水着は白の無地を基軸にした肌の露出が多いビキニで、胸元やパンツの繋ぎ部分に大小の金色リングが用いられているようだ。
彼女の水着姿にもどきりとさせられるが、それよりも目を引かれるのは彼女の鍛え上げられた肉体美である。
普段着の上からだと細めに感じたけど、割れた腹筋をはじめ彼女の体は、ぱっと見でわかるほど全身に筋肉がついている。
女性は筋肉が付きにくいという話を聞いたことがあるけど、あくまで前世の知識だ。
性別に関わらず人族、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、獣人族で筋肉の付き方が違うのかもしれない。
もしくは魔法もあるし、あんまり性別は関係ないのかも。
「どうした、リッド。あ、俺の体に見蕩れてたのか。ませてんなぁ~」
「ち、違うよ。よく鍛えられているなって思っただけさ」
慌てて頭を振ると、彼女はきょとんとして首を傾げた。
「そうかぁ? 冒険者とか騎士や兵士達だったら、大体これぐらいは鍛えてんだろ。カペラだっけ。あいつ見てみろよ」
「ん……?」
ヴェネが僕の背後に視線を向ける。
僕も振り向けば、そこには前つば帽子、丸縁サングラス、競泳用っぽい紺色の短パン水着を身に着けたカペラが背後に手を回し、少し足を開き、いわゆる休めの姿勢で立っていた。
ちなみに腰や胸にはナイフホルダーを身に着けていて、異様な雰囲気を放っている。
ここが前世で日本の砂浜なら、絶対に職質されそう。
「ほら、あいつも良い体してんじゃねぇか」
「言われてみれば確かにそうだね」
カペラも普段着の上からだとわかりにくいけど、お腹の腹筋は六個にはっきり割れている。
腕や足もよくよく見れば太いし、前世の記憶で言うなら『凄腕の元特殊隊員が一匹狼の運び屋』というシリーズ映画でずっと主人公を勤めていた俳優さんが近いだろうか。
あの人、ちょっと小柄だけど鍛え上げた体すごかったもんなぁ。
なお、カペラの褐色肌にはあちこち大小様々な傷が付いている。
これはレナルーテの暗部時代に出来たものらしい。
「ん? リッド様、どうかされましたか?」
僕達の視線に気付いたらしく、カペラが首を捻った。
「あ、いや、水着だと体つきが一目瞭然だからさ。ヴェネもカペラも凄いなと思って」
「そうでしょうか。バルディア騎士団所属騎士団員の方々は、皆私ぐらいの体つきをしてますよ。リッド様もバルディアの温泉で何度か見ているかと」
「あぁ、言われてみればそうだね」
確かに父上をはじめ、バルディア騎士団員の人達と一緒にお風呂に入る機会があったとき、視線の先は筋肉だらけだった気がするなぁ。
「騎士団員精鋭方々と比べると、私なんてまだまだです。ダイナス団長は特に凄いですし、ルーベンス殿も最近さらに鍛えているみたいですよ。バルディアでディアナ殿とティンク殿が話されておりました」
「へぇ、ルーベンスも頑張っているんだねぇ」
副団長になったし、子供も来年生まれるから頑張っているんだろう。
その時、ふっとある映像が脳裏に浮かんだ。
「でも、頑張りすぎてストレスがダイナスみたく頭にいかないといいけどね」
「……ふふ⁉ ルーベンス殿がダイナス団長みたくですか? それは見たいような、見たくないような」
「ふふ、ルーベンスって顔が結構良いからさ。意外と似合うかもよ」
「リッド様も人が悪いですね、くく」
二人で肩をふるわせていると、ヴェネが眉を顰めた。
「おい、二人して何笑ってんだよ」
「いやね……」
僕は彼女に簡単にダイナスとルーベンスについて、身体的特徴を伝えた。
「……頭髪がねぇ。人族は大変なんだな」
「あれ、獣人族は頭髪が無くなることってないの?」
腕を組んで唸るヴェネに問い掛けると、彼女は「うー……ん」と首を傾げた。
「俺の知るかぎり、獣人族で頭髪が無くなるってのはあんまり聞いたことねぇな。まぁ、探せばいるんだろうけどよ」
「へぇ、やっぱり種族が違うって面白いですね」
将来、獣人族の頭髪の秘密を探って育毛剤や毛根改善治療を研究したら良い商材になるかもしれない。
帝都に出向いた時、明らかに頭の悩みを抱えてそうな貴族の人達もちらほら見かけた記憶もある。
第二騎士団の子達に協力をするようお願いして、サンドラに研究依頼すればいけるかもしれない。
これは要検討だな。
「おい、リッド。どうしたんだ、急に悪人面になったぞ」
「え……⁉ あ、あはは。いやだなぁ、ヴェネ。こんな可愛い顔なのに悪人面はないでしょ」
「自分で言うか? まぁ、可愛い顔だとは思うけどよ」
ヴェネが呆れ顔で肩を竦めたその時、「おーい、リッド」と遠くから声が聞こえてきた。
見やれば、僕と似た格好したアモンを先頭にティンク、クリス、エマ。そして、ライオンぐらいの大きさになっているクッキーがやってくるのが見えた。
「なんだ、ようやく着替えが終わったのか。こんな布きれ一つ、どうしてこんなに時間がかかるんだか」
ヴェネがやれやれと頭を振った。
「皆は水着に着慣れてないからね。泳ぐためとはいえ、ヴェネのように肌を晒すことに慣れてないんだよ」
「へぇ、そんなもんかねぇ」
「そういえば、ヴェネはどうやって皆の水着まで用意したのさ。僕やアモン、カペラは簡単かもしれないけど、ほら女性はちょっと難しいでしょ」
「そりゃ目測だよ。ほら、木炭車で出発する前に『準備のための確認』をしただろ。あの時だよ」
「えぇ、でも、そんな簡単にできるものなの?」
目測といっても、あの時は服の上からだ。
聞き返すと、彼女は腕を組んで唸った。
「まぁ、簡単じゃねぇけどな。でもまぁ、ほら、戦うときも相手の間合いを目で測ったりするだろ? あれの延長だよ」
「いや、それは少し違うでしょ……」
僕が首を捻ったその時、「リッド、お待たせ」とアモンが駆け寄ってきた。




