ヴェネとリッド達の出発
「なんだよ?」
「ひ……⁉」
ヴェネが睨みを利かせて聞き返すと、挙手をして発言した豪族が青ざめてたじろいだ。
シアがこの場にいないから、彼女を諫めるべく必死に勇気を振り絞ったんだろうに。
可哀想過ぎる。
「ヴェネ殿。貴殿を慮ってくださる方にその聞き方はどうかと存じます」
「う……⁉ わ、わかったよ。リッド、なんか急に親父みたいな雰囲気になったな」
僕が圧を発しながら諭すと、彼女は顔を顰めてやれやれと肩を竦めた。
シアが更迭されて困惑していた豪族達から「おぉ……⁉」というどよめきが起きる。
何やら、彼等から期待の眼差しを向けられている気がしないでもない……僕が帝国出身であることを皆忘れてないかな。
この状況から察するに、シアも豪族達もヴェネに振り回されているんだろうなぁ。
「それで、何が言いたいんだ?」
「は、はい。シア様も仰っておりましたが、海の情報は兎人族にとって重要なものです。いくらヴェネ様の決定とはいえ、さすがにバルディア家とクリスティ商会の全員での視察となれば、皆の中にわだかまりができましょう。視察は止めませんが、どうか人数を制限をお願いいたします」
「なるほど。言われてみればそりゃそうだな」
彼女はこくりと頷くと、僕達一行を見やった。
「リッド、そういうわけだから人数を決めてくれ」
「わかりました。では……」
僕はパッと一団を見回した。
護衛としてカペラとティンク、それから有用な意見を聞かせてほしいからアモン、クリス、エマは外せないだろう。
木炭車はカペラとティンクが運転できるから、二人にお願いすればいい。
あと、念のためクッキーにも護衛として付いてきてもらおう。
彼は海を見てどんな反応を示すのかも見てみたい。
残る面々は、バルディア騎士団の精鋭と第二騎士団の分隊長の子達。
クリスティ商会の人達もいるし、荷卸しも問題ないだろう。
「私と護衛のカペラとティンク。バルディア家と繋がりの深いアモン殿。そして、クリスティ商会からはクリスとエマ。以上の面々でどうでしょうか?」
「わかった。俺はそれでいいぜ」
周囲にいる豪族達も納得してくれたらしく、同意する相槌を打ってくれている。
良かった、とりあえず現時点で悪い雰囲気になることは避けられそうだ。
「では、早速参りましょう」
僕がそう告げて木炭車に向かおうとすると、「あ、ちょっと待ってくれ」とヴェネが切り出した。
「……? どうされました?」
「海へ視察に行くなら、俺も屋敷で用意するものがあるんだ。それと……」
彼女はそう言うが否や僕を皮切りに、海に行くと決めた面子の全身を足下から頭までじっくり見つめた。
なお、ティンク、クリス、エマの女性陣は何故か横からも凝視している。
彼女達はヴェネから間近で注視される意図が分からず、気まずそうに直立不動になってしまった。
「ふむ、ほうほう。へぇ、なるほどな。あぁ……まぁまぁ。じゃあ、あとはあいつらの分があるからそれを用意すれば……」
「ヴェネ殿。さっきから何をしているんですか?」
見かねて僕が首を捻ると、彼女は「よし、わかった」と発して尖った八重歯を見せた。
「えっと、何がわかったんですか?」
「まぁ、あれだ。準備のための確認ってやつだな。じゃあ、すぐに戻ってくるから出発できるようにしておいてくれ。それから此処に残る一団は屋敷の敷地内に木炭車や荷台やら入れていいし、休める部屋も中に用意している。わからないことがあったら、屋敷内の執事と給仕達に聞いてくれればいいからな」
「は、はぁ……?」
ヴェネはそう言い残すとすたこらさっさと屋敷に戻っていった。
「リッド様、ヴェネ様は一体何の準備をされるおつもりでしょうか?」
ティンクが彼女の背中を訝しむように見つめながら呟いた。
「さぁ……? でも、急に僕達が海に行くって言ったから海図とかの準備があるんじゃないのかな」
「でも、リッド様」
クリスとエマが首を傾げながらやってきた。
「海図の準備でどうしてあんなに私達を見つめていたんでしょう」
「クリス様の仰る通りです。あれは何か違う目的があったんですよ。あと……」
エマは何やら頬を膨らませた。
「私の時だけ、ちょっと同情的というか上から目線だったような気がします」
「同情的で上から目線って、一体どういうこと?」
「わかりません。でも、リッド様。あれは絶対に私にだけ何かを感じ取ったんですよ」
「何かを感じ取ったって……」
エマは口を尖らせているけど、僕は特に何も感じなかったけどなぁ。
「アモンとカペラは何か感じた?」
「いや、私も特に何も感じなかったよ」
「私は……いえ、そうですね。私も特に感じませんでした」
アモンは肩を竦め、カペラは一瞬悩んだ素振りをみせるがすぐに頭を振った。
あれ、カペラは何か思い当たる節があったのかな。
「ねぇ、カ……」
「リッド様。それよりも早く準備をしないとあまり時間がありません。ヴェネ様もすぐに戻ってくるかと存じます」
尋ねようとしたら、彼は被せるように切り出して会釈してきた。
「えっと、そうだね。わかった」
どちらにしても海に行けば、ヴェネの真意はわかることだ。
現状では何を言っても推測の域を出ないし、わざわざカペラを問い詰める必要もないだろう。
僕達はヴェネの言動に首を傾げつつも、豪族達や給仕達とやり取りをしながら一団の木炭車や荷台を屋敷の敷地内に停車させ、この場に残る一団には休んでおくように伝えた。
それらが終わる頃、ヴェネも丁度良くやってきた。
ただ、遠目でもわかるほどでかい鞄を背負っている。
「よう、待たせたな」
「いえ、それは良いんですけど、何ですかその大荷物」
「あぁ、これは海に行くには必ず必要な道具が一式揃っている。それに、ちゃんと領内の海図と地図も親父からう……じゃなくて借りてきたぞ」
彼女は懐から海図と地図を取り出して、尖った八重歯を見せた。
でも、いま『奪って』って言おうとしたよね。
まぁ、あまり突っ込まないほうがいいか。
「あ、あはは。そうなんですね。ですが、シア殿は相当怒っておいでだったんじゃないですか?」
「あぁ、大丈夫だ、大丈夫。ちゃんと締めて落としてきたから」
ヴェネはけらけらと笑うが、僕はさーっと青ざめた。
「締め……何ですって?」
「え、あ、いやいや。海に行くにしても人数制限するってことを落とし所にして、俺が帰ってくるまでちゃんと謹慎するよう部屋の鍵を締めてきたってことさ。あと、親父は疲れたからって暫く休むってよ」
「は、はぁ……?」
彼女は目を細めて尖った八重歯を見せているが、笑って誤魔化そうとしているようにしか見えない。
疲れたから休むって、それっぽい言い方してるけどさ。
要は締めて、落として、ベッドに寝かしてきたってことだよね。
実の父親だろうに、なんて手荒い真似をするんだ。
いや、もしかするとこれも弱肉強食らしい獣人族の親子愛なのかもしれない。
『ヴェネ、ここまでよく強くなったな……』なんて、意外とシアは締められてご満悦だったのかも。
いや、さすがにそれはないか。
これ以上は本当に深く聞かない方がいいな。
こっちが頭痛くなってくる。
海から戻ってきてシア殿が目を覚ましていたら、クリスにもお願いして清酒や贈答品を多めに包んで菓子折を持って行こう。
「リッド、ほら、時間もないんだ。それよりも早く行こうぜ」
ヴェネが口火を切ると、僕は素直に頷いた。
「わかりました。じゃあ、被牽引車に乗ってください。運転はカペラとエマが交代でしてくれることになりました」
「おぉ、そうなのか。じゃあ、この荷物をどうすればいい?」
ヴェネが背負っている鞄は結構大きい。
被牽引車内に持ち込んでも余裕はあるけど、ちょっと邪魔になりそうだ。
「ちなみに壊れやすい物とか、資料、金銭といった貴重品は入っているんですか?」
「いや、海で使う道具だけだ」
壊れやすい物もなく、資料もなく、金銭もなくてそれだけの大荷物ってどういうことだろう。
海の測量で使う縄や重りとか、道具一式でも入っているのかもしれないな。
「それでしたら、牽引してくれる木炭車の後部座席にでも載せておきましょう」
「おぉ、木炭車にも結構荷物を載せられるんだな」
こうして、僕達とヴェネは兎人族領の海に向けて出発した。




