『華と恋』とは……?
「正直に申し上げますと、私もエマはリッド様も承知のことだと思っていたんです」
「……どういうこと?」
狼人族に向かう車内が重苦しい雰囲気が流れる中、彼女達は『華と恋』がサフロン商会で出版されるまでの経緯を教えてくれた。
きっかけは半年前ぐらいに遡るらしい。
帝都のヴァレリがサフロン商会に『新出版物の企画書』を持ち込んできたそうだ。
対応したのはサフロン商会の代表でクリスの父マルティンと兄マイティだという。
当初の二人はヴァレリの企画を『絵と文字を組み合わせた本』と聞き、『絵本をちょっといじった程度だろう』と半信半疑だったそうだ。
でも、彼等はヴァレリの持ち込んだ企画書の完成度の高さに目の色を変えたらしい。
ヴァレリの企画書は『物語の原作者と絵を描く作画担当者を別々に用意し、彼女自らが作品を監修する編集者という立場になる』というもので、試作品も何個か準備していたそうだ。
試作品を読んだマルティンとマイティは『絵本をいじった程度』という認識をすぐに改め、その場で出版契約を結び、エラセニーゼ公爵家協賛による『サフロン出版』をサフロン商会内に立ち上げたという。
ただ、あまり公に動くと他貴族の息がかかった商会や帝都で新聞を取り扱っている大手出版社に企画を潰される可能性もあったため、計画は秘密裏に進められていたらしい。
僕が話の中で一番驚いたのは、ヴァレリの企画を実行できた理由が『バルディア生産の安価で高品質な紙』をサフロン商会がクリスティ商会を通じて仕入れできていたからだということである。
今までの紙だけだったら、雑誌の価格が凄いことになる上、品質が悪くて今のように読まれなかったかもしれないそうだ。
そうなると、尚更僕のところに情報が来なかった理由が気になったけど、何でもヴァレリが周囲に強く口止めしていたらしい。
『折を見て私が直接リッドに伝えるから、それまでは伏せていてほしいの。大丈夫、文通もしているから手紙で伝えておくわ』
ヴァレリめ。
彼女同様、前世の記憶を持つ僕に話せば企画の意図が全て露見し、バルディアが関わってくると踏んだんだな。
まぁ、その考えはあながち間違ってはいない。
実は、将来的に僕も似たようなことは考えていたからだ。
でも、他に優先しないといけないことも多かったし、何よりもバルディアには土地柄的に『画家』が少ない。
絵や音楽といった芸術で食べていく人達は、ほとんどが貴族のお抱えだ。
帝都であれば男爵家から公爵家までいるし、運と実力さえあれば皇室御用達にもなれるから、その道で食べていこうと考えている人は帝都に自然と集う。
一方、バルディアのような辺境だと、風景画の練習や依頼で描くために一時滞在するぐらいでしか画家はやってこない。
もしくは帝都で問題を起こして左遷されてくるかだ。
ちなみに僕とメルに音楽を教えてくれている『サティリック・ベドルジーハ』先生も、出会った当時は左遷同然でバルディアにやってきている。
最近のバルディアだと新着想や新発想を得るため、観光客向けの絵を描く目的で滞在も増えているけど、帝都に比べればその数はまだまだ少ない。
ヴァレリは皇女教育、令嬢同士のお茶会、デイビッドとの会食で時間がないと言っていたけど『原作者と作画担当者を用意し、自らは指示する編集役に徹する』……この方法であれば時間がなくても何とか空いた時間で動けるという判断をしたんだろうな。
ちゃんと考えられているし、よい計画だと思う。
先に動かれたのは悔しいけどね。
彼女って、もしかすると前世でどこかの出版社に勤めていたとか、小説や漫画を描いていたのかもしれないな。
「……ということでして。ヴァレリ様からすでにリッド様にご連絡がいっているものと思っておりました」
「なるほど、これはヴァレリに上手くやられたって感じだね」
状況が把握できて安堵した僕は、やれやれと肩を竦めた。
「申し訳ありません。ヴァレリ様が仰ったことを鵜呑みにせず、確認すべきでした」
「いやいや、そんなことないよ。ヴァレリは公爵令嬢だし、彼女にそう言われていたんならクリスやエマはもちろん、サフロン商会にも非はないさ」
僕は辺境伯家の嫡男で、ヴァレリは公爵家の令嬢。帝国の爵位で考えれば、序列は彼女の方が上だ。
仮にヴァレリの言葉を無視してクリス達が僕に伝えていたとしても、ヴァレリ自身が怒ることはないと思う。
多分、決まりの悪い表情を浮かべるか、眉間に皺が寄るくらいのはずだ。
ただ、周囲の貴族達が『けしからん』と怒り出してしまう可能性は高い。
ヴァレリのお父さんは普段はにこにこと優しい表情を浮かべているけど、ああいう人ほど怒らせると怖いものだからね。
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
クリスとエマは、ほっとした表情をうかべて胸を撫で下ろしている。
「それにしても……」
僕はそう切り出すと、『華と恋』の裏面にあったとある一文を見つめた。
「『協賛エラセニーゼ公爵家』というのは素晴らしいね。これで令嬢達が飛びついたんでしょ?」
「はい、その案もヴァレリ様が出したそうです。公爵家が協賛している雑誌となれば、話題性もあるし令嬢達も安心して読めるだろうって。リッド様もそうですけど、世の中には末恐ろしい方々が沢山いるものだと、私達も驚きを隠せませんでした」
「はは、褒めてくれて嬉しいよ」
僕はクリスの言葉に苦笑しながら頷くと、再び雑誌を開いて内容に目を通していく。
小説、絵画、絵本とも違う新たな『漫画』という雑誌。
それも令嬢向けに『恋や夢を描いた少女漫画』だ。
好奇心の強い者ならともなく、通常であれば『なんだこれ』と警戒するだろう。
でも、エラセニーゼ公爵家が協賛しているとなれば、『ちゃんとした貴族が確認しているなら大丈夫だろう』と安心して読めるわけだ。
バルディアに帰ったら、ヴァレリに連絡して定期購読を申し込んでみようかな。
闘病生活中の母上が読むには丁度良いし、ファラやメル達は喜んでくれるだろう。
屋敷で端らしくディアナやダナエ、ガルン達も案外好きかもしれない。
父上やルーベンス達に読ませたらどんな反応をするのかも興味がある。
意外と父上やルーベンス達がはまったりするかもしれない。
あと、ヴァレリが『少女漫画雑誌』なら、僕は将来的に『少年漫画雑誌』の出版を計画してみるかな。
それにしても、ヨハンはずっとこれを読んでいたから『パジャマパーティー』や『恋バナ』を言い始めたわけか。
可愛らしいけど、彼は純粋なところがあるから今度手紙で『華と恋はあくまで物語だから鵜呑みにしないように』と伝えておいたほうがいいかもしれない。
そんなことを思いつつ、僕は新しい酔い止めの飴を口に放り込むのであった。




