別れと出発
「リッド殿、今回の会談はとても有意義だった」
「次は狼人族領でしたね。道中、気をつけてください」
「こちらこそ。ありがとうございます、セクメトス殿、タバル殿」
日が昇りきった午前中。
猫人族部族長屋敷の前で整列した木炭車、被牽引車を背景に僕はセクメトス達と別れの挨拶と握手を交わしていた。
二人との握手を終えると、僕の隣に控えていたアモンが二人の前に出て挨拶と握手を交わしていく。
すると、ヨハンが白い八重歯を見せながら僕に右手を差し出してきた。
「リッド、獣王戦の大舞台で会えるのを楽しみにしているぞ」
「僕もヨハンとの手合わせを楽しみだよ」
固くても力強い握手をしていると、彼は「あ、そうだ」と左手に持っていた本を差し出してきた。
「これ、昨日の夜に話していた帝国発祥とかで絵と文字が入り混じった書物だ。狼人族に行くあいだの暇つぶしに読んでみてくれ」
「うん、ありがとう。結構、分厚い本……⁉」
受け取って表紙を見た途端、僕は凄まじい既視感に固まってしまった。
『月刊令嬢・華と恋』というどこかで聞いたことのあるような雑誌名に加え、表紙には貴族風の格好いい青年や少年と平民っぽい少女や令嬢が描かれている。
これ、絶対に少女漫画じゃないか。
まさか、僕やヴァレリ以外にも前世の記憶を持った『転生者』がいたなんて……⁉
「どうしたんだ、リッド? 眉間に皺が寄っているぞ」
ヨハンがきょとんと小首を傾げたので、僕はハッとして誤魔化すように微笑んだ。
「いやいや、何でもないよ。見たことない雑誌だったから、ちょっと驚いたんだ」
「そうなのか。まぁ、人気といってもまだまだ知名度は低いみたいだからな。リッドが知らなくても無理はないんじゃないか」
「そ、そうなんだね」
平静を装いながらそれとなく雑誌の裏を確認している。
一体、どこの出版社と誰が協力してこんなものを世に出したんだ。
だけど、僕は目に飛び込んできた出版社名に目が点になった。
『出版サフロン商会・協賛エラセニーゼ公爵家』
絶対彼女だ。
これは僕と同じ前世の記憶を持つ『ときレラ』の悪役令嬢こと『ヴァレリ・エラセニーゼ』……彼女の仕業に間違いない。
というか『出版サフロン商会・協賛エラセニーゼ公爵家』って、一体なにがどうなっているんだろう。
こんな話はヴァレリ本人はもちろん、サフロン商会から聞かされていないぞ。
クリスを横目で見るが、彼女はエマと一緒に猫人族の豪族達と話し込んでいる様子だ。
クリスが知らなかったとは思えないし、かといって僕に黙っていたというのも違和感がある。
もしかすると、ヴァレリとサフロン商会が水面下で動いていたのかもしれないなぁ。
悪役令嬢として断罪されるという未来がありえるヴァレリ。
彼女も将来に不安を覚え、何かしら動きたいという意思表示はあったけど、まさかこんな動きをしていたとは予想外だ。
でも、普段のヴァレリの言動を思い返してみても、僕に悟られないよう水面下で動きつつ、サフロン商会を通じて出版し、帝国内で人気を獲得する……なんてことをできる子じゃなかったはず。
もしかすると、ヴァレリの優秀な兄ことラティガやクリスの家族でもサフロン商会の人達が絡んでいるのかもしれない。
いや、そう考えた方が合点がいく、か。
「リッド、そんなに本を見つめてどうしたんだ。本当に大丈夫か?」
「……うん、随分と面白そうな本だと思ってね。ありがとう、言われたとおりに読んでみるよ」
「そうか、気に入ってくれてよかったよ」
ヨハンが嬉しそうにはにかむと、僕はそれとなくクリスとエマを見やった。
これは、二人にいろいろと聞かないといけないなぁ。
そう思った時、視線の先にいたクリスとエマがぞくりと体を震わせたような仕草をしたように見えたけど、多分気のせいだろう。
僕は咳払いをすると、近くに控えていたカペラに本を渡してヨハンに視線を戻した。
「ところで、ヨハン。今回の猫人族領訪問で、僕が一番嬉しかったことって何だと思う?」
「なんだ、急な質問だな」
「ふふ、良いから答えてみて」
彼は困惑しつつも、少し考え込んで切り出した。
「わかった、父上と会えたことだろう」
「残念、外れ」
「じゃあ、エマが斬竜半月刀を母上から飲み取った件だな」
「残念、それも外れ」
「これも外れなのか。じゃあ、僕との手合わせで勝ったことだな」
「残念、またまた外れ」
「えぇ、じゃあ答えは何なんだ」
ヨハンが頬を膨らますと、僕はすっと抱きしめて彼の耳元で囁いた。
「君が僕のことを『親友』と呼んでくれた件だよ」
「は……ふわぁ⁉」
予想外の答えだったのか、ヨハンは顔を真っ赤に、耳と尻尾がピンと立ってしまった。
でも、将来のことを考えれば、これだけでは終われない。
「だから、言っておくね。これから何か困ったことや悩みがあったらいつでも僕に、親友に相談してほしいんだ。必ず君の力になってみせるから」
「な、ななな……⁉」
「僕達、親友なんだろ。じゃあ、何かあれば力になりたいと思うのは当然さ。抱え込まないと約束してくれるかな」
「わ、わかった。何かあれば相談するよ。だから、ちょっと離れてくれ。リッドの香りで頭がくらくらするし、胸がどきどきしてどうにかなりそうなんだ」
「はは、約束したよ。無理を言ってごめんね」
笑みを浮かべて解放すると彼は顔を赤くしたまま目を潤ませ、額から汗を流して肩で息をしていた。
ちょっと強く抱きしめすぎたかな。
でも、この抱擁はヨハンと僕の関係性が言葉だけでなく、名実ともに『親友』だと彼に意識してもらうために絶対に必要なことだった。
僕がエルバを倒したとはいえ、彼の未来も今後どうなるかわからないからだ。
将来的にヨハンが闇堕ちすれば、僕やバルディアと敵対するという最悪の事態だって考えられる。
そんな未来だけは、必ず避けなくてはならない。
ヨハンが『親友』と言ってくれたことにつけ込むようで悪いけど、僕もパジャマパーティーを一緒にした『親友』を絶対に失いたくはないからね。
するとその時、ティンクが背後から顔を寄せて耳打ちしてきた。
「リッド様、そろそろ出発のお時間です」
「わかった」
彼女の言葉に頷くと、僕は威儀を正してセクメトス、タバル、ヨハンを改めて見渡した。
「では、今回はこれで失礼いたします。両国両家のため、今後もどうぞよろしくお願いします」
「もちろんだ。バルディアとアモン率いるグランドーク家にはとても期待している。こちらこそよろしく頼む」
セクメトスの答えを聞くと、僕達は笑顔で一礼する。
そして、木炭車と連結された被牽引車へと乗り込もうとしたその時、「あぁ、そうだ。リッド殿」とタバルに呼び止められた。
「どうかされましたか?」
「まぁ、その、あれです」
「……?」
僕が首を傾げると、タバルは決まりが悪そうに顔を寄せてきた。
「……打ち込み君を融通していただけるという件。どうかよろしくお願いします」
「あはは、わかりました。タバル殿の分は早めに納品するようにいたしますのでご安心ください」
セクメトスを補佐するタバルは、猫人族領の執務を一手に引き受けているそうだ。
彼個人からすれば、今回の会談での目玉は『打ち込み君』だったらしい。
僕はタバルに頷くと、まだ顔を赤らめていたヨハンに向かって手を振った。
「ヨハン、またね」
「う、うん。またな、リッド」
こうして、セクメトス達と別れを告げた僕達一行は、猫人族領から狼人族領に向けて出発した。
ヨハン、君が僕を『親友』と呼んでくれたことが今回の訪問で一番嬉しかったと言ったこと。
あの言葉に嘘はないからね。
遠ざかっても見送ってくれるヨハンを、僕は車窓からずっと見つめていた。
◇
山岳地帯にあるという狼人族領に向かう道中。まだ道は平坦で車内の振動は少ない。
僕は酔い止めの飴玉を口の中で転がしつつ、ヨハンからもらった『華と恋』を読み進めていた。
内容は表紙を見たまんまで、前世の記憶にある『少女漫画』を模したものだ。
雑誌の中でも人気なのが『令嬢の剣』という作品らしく、表紙にも登場人物が描かれて巻頭に掲載されている。
『女の子として生まれるはずだったのに、妖精の悪戯で男の子の心を持ってしまって貴族令嬢が剣を片手に悪者退治で大活躍。他方で敵国の王子と偶然に出会い、国をまたいだ大恋愛をしていく物語』とか、どこかで聞いたことがあるような作品だ。
「……これはしてやられたなぁ」
僕はパタンと分厚い雑誌を閉じると、正面の席で畏まっているクリスとエマに微笑んだ。
「さて、どうしてこれの情報が僕の耳に入ってなかったのかな?」
「えっと、それはですね……」
クリスは決まり悪そうに頬を掻きながら目を泳がすと、ぽつりぽつりと話し始めた。




