ヨハンの部屋
「ふわぁ……なるほど。それで私のところにやってきた、というわけか」
「あはは。まぁ、そうだね」
僕が事のあらましを伝えると、隣を歩いていたアモンは欠伸をして頷いた。
ちなみに、彼も猫人族の民族衣装姿だ。
前に視線を向ければ部族長屋敷の廊下をヨハンが嬉しそうな足取りで先導し、僕達の背後には護衛のカペラとティンクが控えている。
早朝、僕の部屋を訪ねてきたヨハン。
部族長屋敷を案内してくれるという彼の提案に乗って向かった先は、アモンが寝ている部屋だった。
『……屋敷の散策? わかった、すぐに準備するよ』
寝ぼけた様子で部屋の扉から顔を出したアモンは、突然の訪問にかかわらずヨハンの提案に二つ返事で頷いた。
ただし、寝ぼけているらしくて僕達の姿には気付かない。
一方、僕はアモンの寝起き姿に目を瞬き、口元を咄嗟に押さえて笑いを堪えるのに必死だった。
いつもは大きく見開かれた目がしょぼしょぼで細くなっているし、髪が寝癖で爆発していたからだ。
普段、キリッとしているアモンと差がありすぎて、笑いの壺が押されてしまったのである。
『はは、よかった。それにしても、アモン。いや、アモン義兄さんの寝癖は凄いな』
『ん、寝癖……?』
ヨハンの指摘にアモンは首を捻って自らの頭を触ると、ハッとする。
眠気が吹き飛んだらしい彼は、僕やティンク達に気付いて血の気が引いたように青ざめた。
『な……⁉ リッド。それにティンク殿までいるじゃないか。ちょ、ちょっと待っててくれ』
扉が勢いよく閉められると部屋の中でばたつく音が聞こえ、ややあっていつも通りのアモンが猫人族の民族衣装姿で出てくる。
『はぁ……はぁ……お待たせ。さぁ、行こう』
何事も無かったかのようなピシッとした凜々しい表情で決めるアモンに、僕達は再び肩を震わせてしまった。
そして今、ヨハンの案内で廊下を進む中、僕は昨日の夜から今に至るまでをアモンに説明していたのだ。
「しかし、リッドとヨハンの手合わせか。私もこの目で見たかったよ。惜しいことをしたな」
アモンが残念そうに切り出すと、僕は苦笑しながら頬を掻いた
「そんな大袈裟なもんじゃないよ。どっちにしろ、近いうちに開かれる獣王戦で見れるじゃないか」
「まぁ、それもそうか。じゃあ、それまでの楽しみに取っておくよ」
「着いたぞ、二人とも」
アモンが頷いたその時、ヨハンが廊下の最奥にある部屋の前で足を止めた。
「ここが僕の部屋だ。さぁ、入ってくれ」
彼は言うが否や取っ手に手を掛け、扉を開けて部屋に足を踏み入れた。
獣王の息子で武術において天賦の才を持つヨハン。
一体、彼の部屋はどんな内装なのだろうか。
子供とはいえ、やっぱりトレーニング機器とかあったりするのかな。
それとも、武に関する本ばかり置いてあるとか。
何にしても、僕の胸は期待と好奇心で高まっていた。
「……お邪魔します」
「失礼する」
僕とアモンは揃って少し緊張した面持ちを浮かべ、部屋に足を踏み入れた。
「どうだ。格好いい部屋だろう」
ヨハンは自信満々に胸を張ってドヤ顔を披露する。
室内は質素で気品がある内装で勉強机や来客用のソファーやテーブル、天蓋付きの大きなベッドが備え付けられていた。
壁には剣や短剣、槍や弓など様々な武具が掛けられていて、昨日の夜にヨハンが使用していた旋棍【トンファー】もある。
でも、僕とアモンは部屋中に所狭しと置かれた『ある物』に目を奪われていた。
「あの、ヨハン。部屋中に置いてあるこれって『ぬいぐるみ』だよね」
「当たり前だろ。それ以外の何に見えるんだ」
僕が恐る恐る尋ねると、彼はさも当然のように答えた。
「これなんか母上の手作りなんだ。寝るときの抱き心地が最高なんだぞ」
「へ、へぇ。そうなんだね」
ヨハンが手に取って抱きしめたのは、少し大きめの兎を模したぬいぐるみだ。
メルが抱きかかえているものと、よく似ている。
僕が相槌を打っていると、アモンが室内をぐるりと見渡した。
「……それにしても、すごい数だな。全部、セクメトス殿が用意したのかい?」
「まさか。母上と父上が用意してくれたんだ。公務で外出することが多いから、少しでも寂しくないようにってな」
「なるほど、な」
アモンは合点がいった様子で頷いた。
室内に置かれたぬいぐるみは動物を模した可愛らしいものから、人を象ったものまで多種多様だ。
中には可愛らしい猫人族を模したぬいぐるみが甲冑を身に着け、両手に剣と盾を持っているものもあった。
ヨハンは『格好良い』と言っていたけど、どちらかといえば『可愛らしい』が正しいだろう。
メル、ティス、シトリーはもちろん、意外とファラや母上も好きかもしれない。
『リッドはさ。自分と同年代の子達といて楽しかったことはあるか?』
ふと修練場でヨハンが言っていた言葉が脳裏に次々と蘇った。
『僕は違う。ズベーラ国内には僕同等の力を持つ同年代の子なんていないし、張り合おうなんて奴もいないんだよ。どいつもこいつも僕の顔色を窺ってばかり、不抜けた腰抜けばかりなんだ』
『歓喜しているんだ。やっと実力を出せる好敵手【ライバル】に、リッドに出会えたことにな』
ヨハンって天賦の才を持つ故に友達がいなくて、両親は公務で忙しく孤独気味。
本人に自覚はないかもしれないけど、部屋にぬいぐるみが多いのは寂しい心を紛らわすためなのかも。
ヨハンは僕と似ているのかもしれないな……。
闇堕ちしていく過去の自分とヨハンの姿が重なって見えた気がした。
「ん……? どうしたんだ、リッド。僕の顔に何か付いてるか?」
「あ、いや、何でもないよ」
小首を傾げるヨハンに、僕は誤魔化すように笑みを浮かべて頭を振った。
どうやら、知らず知らずのうちに彼を見つめていたらしい。
僕は咳払いをすると、部屋を改めて見渡した。
「うん、とても素敵な部屋だね。きっとシトリーも喜ぶと思うよ。ね、アモン」
「え……? あ、あぁ、そうだな」
「本当か、アモン義兄さん」
アモンが頷くと、ヨハンは嬉しそうに目を輝かせて身を乗り出した。
「う、うん。部族長屋敷と一緒に焼失してしまったが、シトリーの部屋にもぬいぐるみが結構置いてあったんだよ。だから、この部屋を見たら気に入ると思う」
「そっかぁ。それなら……」
ヨハンはそう言うと、部屋の中に置いてあった『猫人族を模したぬいぐるみ』を手に取って持ってきた。
金髪に青い目をした猫人族の子供を模したもので、丸みを帯びた作りでとても可愛らしい。
少し大きめなので、抱っこするには丁度良さそうだ。
「アモン義兄さん。これをシトリーに渡してくれないか」
「えっと、気持ちは嬉しいけど。いま狐人族領にシトリーはいないよ」
「そうか、シトリーはバルディアだったな。リッド、お願いできるか」
「うん、わかった。必ず渡しておくよ」
ヨハンから受け取って間近で見ると、ぬいぐるみはちょっとヨハンに似ている気がした。
「あ、でも、バルディアにはリッドの奥さんや妹たちもいるんだったな。ちょっと待ってくれ」
彼はそう言うと、部屋の奥から別のぬいぐるみを何個か持ってきた。
「リッドの奥さんにはこれ。アモンの婚約者にはこれだろ。それからリッドの妹にはこれなんかどうだ」
「う、うん。ありがとう」
次々と渡されたぬいぐるみだけど、何やらどれも見覚えがある。
ファラにと渡されたのは、銀髪で紫の瞳をした人族を模した丸みを帯びたもの。
服装は帝国貴族っぽい。
ティスにと渡されたのは、黄髪で頭に狐耳を生やした黒い瞳の狐人族を模した丸みを帯びたもの。
服装は狐人族の民族衣装っぽい。
メルにと渡されたのは、四つ足でお座り状態の黒猫を模したもので、これだけ本物っぽく作られている。
「大事にしてくれよ。全部、母上の手作りだからな」
「わ、わかった」
ヨハンに念を押されて頷いたけど、これって絶対に僕とアモンを模したものだ。
セクメトスは、一体どんな意図でこんなぬいぐるみを作ってヨハンに渡したんだろう。
もしかして、僕達と友人になれるように親しみを持てるように、とか?
いや、それは考え過ぎか。
呆気に取られていると「リッド様」と背後にいたカペラから呼びかけられた。
「そちらは私が預かって先に部屋に持っていきましょう」
「そうだね。じゃあ、お願いするよ」
「承知しました」
カペラが僕から丁寧にぬいぐるみを預かるのを見て、ヨハンが咳払いをした。
「さぁ、次の場所に案内するぞ」
「うん、お願いするよ」
僕が返事をすると、彼は先導するように部屋を退室する。
それから僕達はヨハンに案内されるまま、朝食まで部族長屋敷内を散策した。




