闇夜の衝突終わって
「懇親会はとっくにお開きにしたさ。しかし、会場と屋敷内にリッド殿とヨハンの姿が見えなくてな」
「ティンク殿から二人が会場を後にしたということは伺いましてね。皆で探していたところ修練場から剣戟の音が聞こえてきたのでやってきたというわけです」
セクメトスがそう発すると、タバルが補足するように続けた。
「あぁ、なるほど。夜分にお騒がせして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お気になさらず」
僕が会釈すると、タバルは修練場を見やった。
「それにしても、ここでは局地的な天変地異でも起きたんですか」
「え、天変地異……?」
首を傾げて彼の視線を追うと、僕はぎょっとする。
月明かりが照らす修練場は、当初と様変わりしていたからだ。
平坦だった地面は僕とメモリーの魔法によって土壁が乱雑にそびえ立ち、太い蔓が壁に巻き付いたり、地面に転がっている。
ヨハンが足場にして跳躍した場所は地面がえぐれ、大小さまざまな穴が点在していた。
「あ、あはは。無我夢中でちょっとやり過ぎちゃいましたね。すぐに直します」
苦笑しながら頬を掻くと、僕はしゃがんで修練場の地面に両手を突いた。
「すぐにですか?」
タバルが首を傾げるのを横目に、僕は『大地想見』を心の中で呟いて発動する。
軽い地響きが起きて修練場の地面が水面のように波打ち始め、土壁とえぐれた地面、大小の穴は瞬く間に塞がっていった。
地表に転がっていた蔓は地中に沈めたから、時と共に土に還るだろう。
「……よし、これで元通りです」
僕が立ち上がって手に付いた土を払っていると、「リッド様」とカペラの呆れた声が聞こえてきた。
「少々、手の内を見せすぎかと」
「あ……⁉」
彼の指摘にハッとして見やればヨハンは目を輝かせ、タバルとセクメトスが何やら獲物でも見つけたかのように目を怪しく光らせ、不敵に笑っていた。
「すごいぞ、リッド。土壁を生み出すだけじゃなく、こんな使い方もできるんだな」
「う、うん。魔法は使い方だからさ。それより、僕はちょっと疲れたから今日はもう休ませてもらうよ」
僕は決まりの悪さから捲し立てると、タバルとセクメトスに振り返った。
「では、僕はこれで失礼いたします。カペラ、行こうか」
「畏まりました」
カペラを引き連れてそそくさと歩き始めると、「リッド殿」とセクメトスに背中から呼び止められた。
まずい、魔法について根掘り葉掘り聞かれてしまう。
「な、なんでしょうか」
ぎくりとしてゆっくり振り返ると、彼女はにこりと目を細めてとある方向を指さした。
「ここから部屋に戻るのなら、あちらから行った方が早いぞ」
「そ、そうなんですね。ありがとうございます」
笑みを浮かべながら会釈すると、タバルが咳払いをした。
「ヨハン。リッド殿を部屋まで案内してあげなさい」
「え、いいんですか⁉」
「今日はもう遅いからね。この件はまた話そう。セクもいいかな」
「あぁ、そうだな」
セクメトスが頷くと、ヨハンが嬉々としてこちらにやってきた。
「リッド、そういうわけで僕が部屋まで案内するぞ。こっちだ」
「う、うん。ありがとう」
先導してくれるヨハンを追うように、僕たちはこの場をあとにする。
でも、背中にはずっとセクメトスとタバルから視線を向けられていた気がした。
◇
中庭の修練場から来賓室の前に辿り着くと、先導してくれていたヨハンが咳払いをして振り返った。
「どうだ。会場に戻るよりも早かっただろう」
「そうだね。案内してくれてありがとう」
僕はお礼を告げると、とある事を思い出してハッとした。
「あ、そうだ。ヨハンに渡さないといけないものがあるんだった」
「僕に渡すもの……?」
ヨハンがきょとんと首を傾げると、僕はこくりと頷いた。
「うん。シトリーからヨハン宛の手紙を預かってきていてね」
「シトリーの手紙だって⁉ リッド、どうして最初に渡してくれなかったんだ」
「ごめんごめん。セクメトス殿やタバル殿をはじめ、豪族の方々への挨拶が忙しかったからさ」
僕が謝りながら頬を掻くと、ヨハンはむすっと頬を膨らませてしまった。
彼のこうした姿は、年相応で可愛らしい。
手紙はバルディアを出発する時にシトリー本人から渡されたものだ。
本人曰く『機会があれば、でいいですから……』と、やや後ろ向きな雰囲気があったけど、ヨハンの喜びようから、それを伝えるのはやめておいた。
「じゃあ、部屋の中から取ってくるね」
「わかった」
ヨハンが頷いて部屋の扉に手を掛けようとしたその時、扉が勢いよく内側に開かれた。
「あれ……?」
呆気に取られていると、ティンクが目を細めていた。
しかし、背後に真っ黒なオーラを発していてとても威圧的で怖い。
「リッド様、遅すぎます。一体、今まで何をしておいでだったんですか」
「ご、ごめんよ。ティンク」
僕が怯んで後ずさりすると、ヨハンが彼女の前に出た。
「はは、そう言わないでくれ。ティンクとやら。僕が無理を言ったせいで遅くなったんだ。怒るなら、僕を怒ってくれ」
「ヨハン様。これは失礼いたしました」
ティンクは会釈して顔を上げると、彼の鼻先にずいっと顔を寄せて迫った。
「そう仰ると、私は何も言えませんね。しかし、僭越ながらリッド様とヨハン様はお立場はありますが、その前に子供なのです。寝ることはお二人の成長にとても大きな影響があります故、夜更かしは厳禁かと存じます」
「お、おぉ。そうだな、心に留めておこう」
「はい。よろしくお願いいたします」
彼が頷くと、彼女はにこりと微笑んだ。
強く言い返されるとは思っていなかったらしく、ヨハンは目を丸くしている。
「あ、そうだ。僕の荷物の中にシトリーからの手紙があるんだ。取ってきてもらってもいい?」
「畏まりました。すぐにお持ちいたします」
ティンクが会釈して室内に戻っていくと、ヨハンがホッとした様子で胸を撫で下ろした。
「……一瞬、母上の顔が脳裏をよぎったぞ。帝国の女性は皆あんな感じなのか」
「あはは。帝国の女性と言うよりも、ティンクは元バルディア騎士団に所属していた騎士だからじゃないかな」
「騎士団所属か。なるほどな」
ヨハンは僕の説明と彼女の所作を見て、圧の正体に合点がいったらしい。
ティンクが怒った時に発する圧が怖いことは、僕も身をもってよく知っている。
ディアナ以上、ファラ未満と言ったところだろうか。
ちなみに怒ると一番怖いのは母上、次いで父上だ。
本人達には言えないけど。
「リッド様、お待たせしました。こちらでお間違いないでしょうか」
「うん、ありがとう」
ティンクから手渡された手紙には、シトリーの少し丸みを帯びた丁寧な文字で『ヨハン・ベスティア様へ』と書いてあるし、封にも『グランドーク家の紋章』が使われている。
バルディアを出発する時にシトリーから預かったもので間違いない。
「はい、シトリーからの手紙だよ。部屋で大事に読んでね」
「おぉ、これが『手紙』か。聞いていたとおり、もらうと嬉しいものだな」
ヨハンは受け取った手紙を両手で掴んで上に掲げ、目をきらきらとさせている。
「……ひょっとして、手紙をもらうの初めてだったりするの?」
「え……⁉」
僕が問い掛けると、ヨハンは目を瞬いて顔を真っ赤にして耳と尻尾をピンとさせた。
「あ、いや、そんなことはないぞ。言ったじゃないか、僕には友達が百人いるとな。手紙なんて部屋にいっぱいあるんだぞ。本当だぞ」
慌てふためきながらまくし立てる姿は、中々に可愛らしい。
「そうなんだね。じゃあ、僕はヨハンにとって101人目の友達かな」
「あ……う、うん。そうだな」
ヨハンは何やら嬉しくも照れくさそうに頬をかいた。
好奇心旺盛で猪突猛進なところはあるけど、根は素直な寂しがり屋、か。
彼は本当に猫みたいな子だな。僕は「ふふ」と笑みを吹き出すと、部屋の出入り口を背にしてヨハンを見つめた。
「今日はこれで失礼するね。いろいろあったけど楽しかったよ」
「そうか。そう思ってくれたなら何よりだ」
「うん。じゃあ、お休みなさい」
背中を向けて部屋に入ろうとするが、「あ、リッド」と呼び止められた。
「どうしたの」
「あ、いや、その……」
決まりが悪そうに頬を掻く彼の仕草に小首を傾げると、ヨハンは一歩前に出て僕を抱きしめる。
「えっと、ヨハン?」
意図が分からず困惑していると、彼は恥ずかしそうに耳元へ顔を寄せてきた。
「友達って言ってくれて嬉しかったぞ」
「う、うん。僕も親友って言ってくれて嬉しかったよ」
「そ、そうなのか。なら僕達は今日から大親友だな」
友達、親友ときたらあっという間に大親友になってしまった。
帝国の皇子デイビッドやキールとは違い、同じ王子でも彼には年相応の純朴さがあるし、表裏をあまり感じられない。
もちろん、鋭い思考や嗅覚もあるから油断はできないけどね。
でも、一番意外なのは振り回されてはいるけど、僕が彼のことを嫌いじゃないってことだ。
大親友と言われて、僕も内心でどこか嬉しかったりもする。
ヨハンは満足したのか僕から離れると、満面の笑みを浮かべて白い八重歯を見せた。
「じゃあ、リッド。また明日くるからな」
「うん、わかった。じゃあ、また明日ね」
「あぁ、じゃあな」
ヨハンはシトリーからの手紙を大事そうに懐にしまい込むと、嬉しそうな足取りで廊下を歩いてこの場を後にした。
彼の後ろ姿を見送ると、僕はカペラやティンクと一緒に部屋の中に入って備え付けのソファーにどさっと体をうつ伏せで投げうった。
「あぁ、疲れたよぉ」
会談、懇親会、ヨハンとの手合わせ……今までの日程で一番体力的に大変だった。
特にヨハンとの手合わせでは魔力支援体だけでなく、身体強化・陣風で飛翔までしたものだから消費魔力量はとんでもないことになっている。
実は足や腕がぷるぷる震えていたから、部屋まで隠すのに必死だった
「リッド様、お疲れ様でございました」
カペラの励ますような声が聞こえると、次いでティンクの咳払いが聞こえた。
「お聞きしたいことは沢山ありますが、まずはリッド様の砂埃にまみれた体を綺麗にいたしましょう。タバル様にお願いして、あちらの別室に浴槽を運んでもらいお湯も張っております」
「えぇ、本当⁉ ティンク、ありがとう」
「とんでもないことでございます。ただし、ヨハン様と何があったのかはきちんと聞かせていただきます。もちろん、ライナー様にもご報告させていただきますからね」
「わ、わかってるよ」
彼女の鋭い眼差しにたじろぎながら頷くと、僕は室内の別室でお風呂を堪能。
その後、事の顛末をティンクに説明し、僕とカペラは『くれぐれも自重してくださいとお伝えしたではありませんか』と軽くお説教を受けことになった。




