闇夜の衝突
「……何を馬鹿なことを言っているんだよ」
僕はため息を吐くと肩を竦め、やれやれと首を横に振った。
カペラがこちらに来ようとしたのが見えたけど、目配せして制止する。
ヨハンの意図を測りかねていたからだ。
「君はズベーラの王子、僕は帝国に属するバルディア家の嫡男で来賓なんだよ。お互いの立場を考えるべきじゃないかな」
懇親会を抜け出してきてみれば、まさかこんなことになるとはね。
ヨハンと手合わせしたい気持ちが全くない、とは言わない。
むしろ、わくわくする気持ちの方が強いけど、立場のある僕達がぶつかり合うのはよくないだろうという自制心。
そして、ティンクの『無理無茶はしないようくれぐれも自重してくださいませ』という言葉が脳裏に蘇っていた。
「立場、か。そんなのわかっているよ」
ヨハンは肩の力を落として呟くと「リッドはさ」と続けた。
「自分と同年代の子達といて楽しかったことはあるか?」
「同年代の子達……?」
僕は指を折りながら、該当する子達の名前を頭の中で挙げていく。
同年代で真っ先に脳裏に蘇るのはファラだけど、身近なところだとメル、キール、ティス、シトリー、第二騎士団の皆も該当するだろうか。
帝国内だと皇族のデイビッド、アディ。
帝国貴族の同年代ではヴァレリ、デーヴィド、マローネ、ベルゼリアもいる。
レナルーテに目を向ければレイシス義兄さんもいるし、ズベーラだとアモンも入るか。
「えっと、ヨハンもいるし結構楽しいよ」
「そっか、それは羨ましいな」
彼は悲しそうに微笑むと、「でも……」と言って頭を振った。
「僕は違う。ズベーラ国内には僕同等の力を持つ同年代の子なんていないし、張り合おうなんて奴もいないんだよ。どいつもこいつも僕の顔色を窺ってばかり、不抜けた腰抜けばかりなんだ」
ヨハンの表情は普段の明るさを潜め、ある種の諦めと嫌悪感に満ちたものだった。
卓越した才能を持つが故の孤独……というやつだろうか。
まるで闇堕ち目前の少年みたいだな。
その時、『闇堕ち』という言葉が脳裏に響いて『ときレラ』におけるヨハンの立ち絵らしいものが再生される。
『はは、君は僕だけのもの。僕はもう二度と大切な人達を失いたくないんだ』
脳内に再生された不敵に笑う青年のヨハンは、相変わらず小柄だけど目が全く笑っていない。
どす黒いオーラを発し、独占欲というか支配欲に染まったかなり危ない表情をしていた。
何やら、嫌な予感がして背中に冷や汗が流れていく。
『ときレラ』のゲームにおける獣人国の獣王はエルバだ。
立ち絵で青年ヨハンが言っていた『大切な人達』というのは、エルバに殺された両親や周囲の側近を指しているのかもしれない。
もしかして、ヨハンってショタ枠かつ過去のトラウマによる闇堕ち系王子だったのか。
ある種の確信めいた閃きを得て、僕は嫌な予感の正体を察した。
彼をこのままにしておくと闇堕ちして道を踏み外した挙げ句、将来的に僕の断罪に関わってくるんじゃなかろうか。
同年代の子達に不満を抱くのも、彼が純粋だからだろう。
このまま彼の不満を放置すれば、レイシス義兄さんみたく華族や周囲に利用される可能性もある。
特に陰謀や謀略を張り巡らせる帝国貴族の目につき、魔の手にかかればとんでもないことになってしまうかもしれない。
僕はごくりと喉を鳴らすと、平静を装いながらにこりと目を細めた。
「なるほど。僕から見てもヨハンは素晴らしい才能があるし、同年代の子達に物足りなさを感じるのもしょうがないのかもね」
「やっぱり、リッドはわかってくれるんだな。さすが僕の認めた友達にして好敵手【ライバル】だ」
表情がぱぁっと明るくなると、彼は目の色をきらきらさせて身を乗り出した。
部族長達には子供がいないみたいだし、ヨハンのように後継者教育を受ける同年代がいない以上、周囲に物足りなさを感じてしまうのはしょうがないのかもしれない。
唯一、該当するのは熊人族のカルアだったんだろうけど、彼は紆余曲折あって故郷を離れて現在はバルディア所属だ。
「でも、だからといって、どうして僕とこうまでして手を合わせたいの」
「そんなの決まっているじゃないか」
僕の問い掛けにヨハンはにこっと白い八重歯を見せた。
「自分の力を出し切っても勝てないかもしれない同い年の相手だぞ。力を試したくなるのは当然だ。リッドも、自分の力を出し切れる友人が欲しいと思ったことぐらいはあるだろ?」
「……ない、と言えば嘘になるね」
稽古をつけてくれる父上、ルーベンス、カーティスをはじめとするバルディアの皆は全員大人だ。
第二騎士団所属の子達は同年代だけど、僕やヨハンのように飛び抜けた魔法や武の才能を持つ子は今のところ見当たらない。
魔法や武の才能が全てではないと頭ではわかっているけど、僕も心のどこかで寂しさを感じることはあった。
「そうだろ。だから、リッドの相手は僕がするし、僕の相手はリッドがしてくれればいいんだよ」
「なるほど、君の考えはわかった」
ため息を吐くと、僕は木刀を持つ手に力を込めながら横目でカペラを見やった。
「カペラ、僕はこれからヨハンと親睦を兼ねた稽古を始める。手出しは無用だよ」
「……リッド様、よろしいのですか。確実に多方面から叱責を受けると存じますが?」
「覚悟の上さ。『友人』からの切実な頼みを断るほど、僕は野暮な人間じゃないよ」
カペラはやれやれと呆れ顔を浮かべるが、僕はヨハンに向けて木刀を正眼に構えた。
「さぁ、ヨハン。これで大義名分は整ったよ」
「はは、あははは。僕のことを友人として認めてくれるんだな、リッド」
「もちろん。ただし、あとで叱責受けるときは一蓮托生だからね」
「あぁ、わかった。リッドだけだよ、こうして本気で受け取ってくれたのは」
ヨハンは心底嬉しそうに頷き、両手に持つ旋棍【トンファー】を構えた。
一体、今までどれだけ欲求不満というか、心を拗らせていたんだか。
ここで僕が相手をすれば、多少は落ち着くだろう。
でも、彼の本気に今の僕がどこまで通用するかが問題だ。
闇夜を松明と月明かりが照らす静寂のなか、修練場の空気が僕とヨハンの発する魔圧で張り詰めていく。
「じゃあ、いくぞ」
彼がそう告げた直後、僕の視界からヨハンが消える。
「……下か⁉」
気配を察知して視線を落とせば、彼が一気に間合いをゼロ距離まで詰めていた。
「さすがだな、リッド」
ヨハンは不敵に笑うと、左腕を振り上げながら旋棍【トンファー】による打突を繰り出してくる。
木刀で受けるも、勢いを殺せずに体を宙に浮かされてしまう。
華奢な見かけによらず、とんでもない馬鹿力だ。
「ぐ……⁉」
「これを防ぐか。でも、防御されることが前提の技なんだよね」
彼は残っていた右手に持つ旋棍で鋭く重い打突を繰り出した。
「砕け、獅子爪打掌【ししそうだしょう】」
「なんのこれしき……!」
僕は咄嗟に魔障壁を展開し、ヨハンが繰り出した打突を受け止めた。
その瞬間、ガラスを鈍器で激しく叩くような鈍い音が響き渡って、僕はその場から思いっきり吹き飛ばされてしまう。
魔障壁のおかげでダメージはなかったけど、打突の衝撃は消せなかったのだ。
受け身を取って地面に着地して正面を見やると、ヨハンが満面の笑みを浮かべていた。
「はは、あはは。凄いぞ、リッド。だけど、まだまだこれからだ」
「そうだね。君が満足するまで付き合ってあげるよ」
獣化で白い体毛に覆われて飛び込んでくる彼に対し、僕は身体強化・烈火を発動して全身に赤く揺らめく魔力を纏った。
「さぁ、ヨハン。ここから本番だ」
「あぁ、リッド。僕を楽しませてくれ」
彼の繰り出す旋棍の連打と僕が鋭く振るう木刀が激しくぶつかり合う。
闇夜の修練場には魔波が吹き荒れて松明の灯りが揺らめき、僕達の影は躍るように形を変えていた。




