懇親会・リッドとヨハン
「ヨハン、今までどこにいたんだい」
「はは、細かいことは気にするな。それより、リッドの部下は凄いな。母上から斬竜半月刀を飲み取るなんて思いもしなかったよ」
「エマは部下じゃないよ、クリスティ商会のクリスに仕える従者さ」
僕の答えを聞くと、ヨハンは首を傾げた。
「でも、クリスティ商会の上にバルディア家がいるんだろ。それなら事実上の部下みたいなものじゃないか」
「いやいや、全然違うよ。クリスティ商会にバルディアの資本は入っていないし、まったくの別組織さ。強い信頼関係で結ばれた協力者ではあるけどね」
別組織になっているからこそクリスティ商会にはできることも多いし、クリス達を部下と思ったことは一度もない。
僕は会場の中心で豪族達に囲まれ質問攻めに遭っているクリスとエマを見やった。
セクメトスからエマが斬竜半月刀を飲み取ってから、二人のところには豪族がずっと集まっている。
良くも悪くも、エマの行いはクリスティ商会の存在を猫人族内に知らしめるには十分すぎる効果があったようだ。
あの様子から察するに、むしろ効果がありすぎたようにも思えるけどね。
「強い信頼関係で結ばれた協力者、か」
ヨハンは復唱するように呟くと、にこっと目を細めた。
「やっぱり、リッドの考えることは面白いな」
「ありがとう。でも、そんな大したことじゃないと思うよ」
頬を掻いて謙遜していると、ヨハンが「ところで……」と切り出した。
「実はリッドにだけ見せたい場所があるんだ。皆酔っ払っているみたいだし、こっそり抜け出さないか」
「え……?」
突拍子もない提案に呆気に取られてしまった。
会場を見渡せば豪族達の多くが小杯で顔を赤くしているし、もう少しすれば酒宴はお開きになるだろう。
とはいえ、さすがに来賓である僕がこの場を抜け出すのはまずい。
「誘ってくれる気持ちは嬉しいけど……」
断ろうとしたその時、ヨハンは僕の耳元に顔を寄せてきた。
「猫人族が持つ強さの秘密。それを知りたくないか」
「強さの秘密、か」
高鳴る好奇心に胸がどくんと波打った。
知りたい、とても知りたい。
だけど、僕は立場があってこの場所に立っている。
それを勝手に抜け出すというのは、やっぱり駄目だ。
「ごめん。それでも……」
「わかった。それなら、猫人族で代々伝わっている魔法も教えてあげるよ」
頭を振った僕の耳元で、ヨハンは再び囁いた。
「代々伝わっている魔法だって……⁉」
猫人族のみに代々伝わる魔法。
つまり、獣人族の獣化に匹敵するであろう種族魔法ということだ。
帝国に蓄えられていた魔法に関する数々の書物は、キールが写本を大量に用意してくれた。
レナルーテに伝わる資料もファラやカーティスを通すことで、ある程度は得ることができる。
でも、ズベーラに伝わる魔法をはじめとする資料を得る方法は限られているのが現状だ。
アモンが部族長となった狐人族領を通す方法はあるけど、時間がかかる。
エルバやガレスが失脚した際に部族長屋敷が燃やされてしまい、ズベーラの歴史や魔法に関わる重要な資料も焼失してしまったからだ。
ここでヨハンの提案に乗れば、その一端を垣間見ることができるかもしれない。
揺れている、心がとても揺れている。
「いや、でも……」
好奇心と自制心がせめぎ合い、僕は腕を組んで唸った。
「リッド、気になるなら行ってきなよ」
「え……?」
ハッとすると、傍にいたアモンが苦笑していた。
「懇親会はもうすぐお開きになるだろうし、もしセクメトス殿や周囲に聞かれたら私が上手く伝えておくからさ」
「ほら、アモンもこう言っているんだ。それとも、リッドは猫人族に伝わる魔法を知りたくないのか」
二人にここまで言われたら……仕方ないよね。
決して知的好奇心が自制心を上回ったわけじゃない。
「……わかった。そこまで言うなら行くよ」
「さすがリッドだな。さぁ、こっちだ」
肩を竦めながら頷くと、ヨハンはにこっと白い歯を見せて歩き出した。
僕は彼の後ろ姿を見つめながら、傍にいたティンクに目配せする。
「……そういうことだから、ティンクは会場に残ってクリス達に状況を伝えて」
「畏まりました。しかし、無理無茶なことはしないようくれぐれも自重してくださいませ」
「わかってるよ。カペラも一緒に行くんだし、心配無用さ」
そう答えると、先を歩いていたヨハンがこちらに振り返った。
「どうしたんだ、リッド」
「いや、何でもないよ」
彼に向けて頭を振ると、僕は「じゃあ、後を頼むよ。二人とも」とアモンとティンクに告げ、追いかけるようにカペラを連れて走り出した。
◇
ヨハンは会場の窓から内庭に出ると、「こっちだ」と言って闇夜の中を先導してくれる。
それにしても、猫人族の強さの秘訣に代々伝わる魔法か。
一体、どんな魔法なんだろう。
サンドラをはじめとするバルディアの研究員達に報告したら、さぞ喜ぶはずだ。
彼等は僕と違って魔法の探求というよりは、研究解明に余念がないという感じだけどね。
「リッド様。会場にいるよりも楽しそうですね」
僕の足取りから察したのか、並んで歩くカペラが目を細めた。
「まぁね。会場で周囲に気を遣いながら会話するよりは、ヨハンに魔法を教えてもらったほうが個人的には楽しさ」
「左様でございますか。しかし、お気をつけください」
カペラの声が急に低くなった。
「……敵意は感じられませんが、周囲の暗闇からわずかな視線を感じます。警備の戦士かもしれませんが、それにしては気配の押さえ方が不自然かと」
「それは……ヨハンが僕を騙し討ちしようとしているということかな」
先導してくれる彼に悟られないよう前を向いたまま小声で尋ねると、カペラは「いえ」と続けた。
「必ずしもそうとは限りません。ヨハン様は何も知らず、何者かに利用されているのかもしれません。レイシス様のように」
「なるほど、ね」
レイシスはファラの腹違いの兄であり、今は僕の義兄だ。
いまでこそ彼との仲は良好だけど、出会った当初は『ノリス・タムースカ』なる華族の悪影響を受けていて、ファラと僕を破談にさせる計画に利用されたことも相まって関係は最悪だった。
セクメトスがどんなに優れた部族長であったとしても、猫人族内部には僕達のことを良く思っていない者達はいるはずだ。
そうした派閥がヨハンを利用して、僕を騙し討ちにするというのはあり得ない話ではない。
「でも、ここはヨハンの裏にいるかもしれない人物をあぶり出せる好機だと、前向きに考えよう。虎穴に入らずんば虎児を得ず、猫人族だけにね」
目を細めると、カペラがきょとんとしてから「ふふ」と噴き出した。
「今の言い方、ライナー様にそっくりでございましたよ」
「え……⁉ 僕、そんな寒いことは言っていないと思うけどなぁ」
首を捻っていると、「ついたぞ」と前を歩くヨハンの声が聞こえてきた。
細かった道が急に開け、闇夜を松明の明かりが照らす広場に辿り着いたのだ。
「えっと、ここは?」
僕が問い掛けると、ヨハンは振り返って白い歯を見せた。
「内庭に作られた修練場さ。強さの秘密や魔法を伝えるには、丁度良い場所だろ」
「そ、そうだね」
「さぁ、リッドは僕と一緒に中央へ行くぞ。従者はここで待機していてくれ」
何やら不穏なものを感じるも、僕はカペラに待機するよう目配せした。
ヨハンの後をついていき中央に辿り着くと、彼は地面に転がっていた棒を拾ってこちらに投げてきた。
「リッド、受け取れ」
「……これは木刀?」
受け取った棒は、僕が訓練で使う木刀と同じ形のものだ。
こんなものを急に渡して、一体どういうつもりだろうか。
首を捻っていると、ヨハンが不敵に笑った。
「ごめんよ、リッド。猫人族の強さの秘訣とか、魔法とかって。あれ、全部嘘なんだ」
「え……?」
きょとんとした次の瞬間、ヨハンは足元に転がっていた二つの棒を拾って一気に間合いを詰めてきた。
彼は棒をそれぞれ片手に持ち、打突を繰り出す。
「な……⁉」
驚きつつも咄嗟に木刀でいなすと、闇夜の静寂の中で修練場に木が打つかりあう乾いた音が響きわたる。
衝突の勢いを利用して空中に舞い上がったヨハンは、地面に降り立つと握り手を持って二つの棒を構えた。
「それは旋棍【トンファー】だね。ヨハン、どういうつもりなんだ」
「はは、ごめんごめん。獣王戦まで待てなくてさ」
彼は表裏を微塵も感じさせず、屈託のない笑みを浮かべた。
「やっぱり、僕は君と戦ってみたいんだ。お互い手の内を知って戦った方が、獣王戦も盛り上がるだろ?」




