賭けの行方
「では、参ります」
会場の中心で注目を一身に浴びる中、エマは身の丈を大きく超える斬竜半月刀を構えて獣化した。
魔波が軽く吹き荒れ、彼女の体は真っ白な体毛に覆われていく。
髪色も薄く艶のある白へと変化した。
十八寸(直径54cm)はあろうかという極大の盃になみなみと注がれたお酒を飲み干したばかりだというのに、エマの足にふらつきは見られない。
強いて言うなら、瞳がほんのりと潤んでいるくらいだろうか。
彼女の立ち振る舞いには豪族達も驚きを隠せないらしく、会場全体からどよめきが起きた。
「あの若さで獅子に近い『白』とはな。大口を叩くだけのことはあるではないか」
セクメトスは頬杖を突いたまま口元を緩めた。
確か、『獅子』はヨハンが獣化できる段階でラファの銀狐と同等の強さを持つはずだ。
セクメトスや豪族達の反応から察するに、『白』になるにも相当な修練を積む必要があるんだろう。
第二騎士団所属にする猫人族の子達でも『白』の獣化をできる子はいない。
獣化を終えたエマは、淀みない動きと足取りで斬竜半月刀による演武を踊り出した。
最初はゆっくりだった動きも、だんだんと激しいものに変わっていく。
半月の形をした大きな刃が空を切って、絶え間ない風切り音が会場に響いている。
あんな動きをしたらお酒が急激に回ってしまうんじゃなかろうか……そう不安になるが、白い体毛に覆われたエマの演武は凛とした美しさがあって、お酒を飲んだ様子を微塵も感じさせない。
それとなく会場を見渡せば、豪族達は彼女の演武に見入っている。
どれぐらいの時間が経っただろうか。
エマが斬竜半月刀を天に掲げながら、祈るような動きで止まった。
「……見事だ」
『やられた』と言わんばかりにセクメトスが口をへの字にしながら拍手を始めると、豪族達も納得せざるを得なかったらしく賛辞の拍手が会場を埋め尽くしていく。
エマは豪族達に会釈すると獣化を解いた。
次いで、疲れを感じさせない颯爽とした足取りでこちらに向かって歩き出す。
エマは僕とクリスに『やりましたよ』と言わんばかりに可愛らしく目配せし、セクメトスの前で片膝を突いて畏まった。
「如何でしょう。これで斬竜半月刀の持ち主として認めていただけますでしょうか」
「そうだな……」
セクメトスにしては、珍しく歯切れが悪い。
エマが演武をするうちに酔いが回って千鳥足となれば、所有者として相応しくないと言いたかったんだろう。
でも、エマは演武を終えたいまもけろっとしている……とんでもない酒豪だ。
「セク、やられましたね」
僕達の背後から聞こえてきた声に振り向けば、そこにはセクメトスの夫であるタバルが目を細めていた。
彼の隣にはアモンの姿もあるが、相変わらずヨハンの姿は見えない。
「今回の賭けはセクと私達の負けです。ここは潔く『斬竜半月刀』を渡しましょう。その代わり、アモン殿から面白い提案をいただきましたよ」
「提案……?」
セクメトスが眉をぴくりと首を傾げると、アモンがにこりと頷いた。
「はい。私達狐人族とバルディアの力を合わせ、斬竜半月刀を超える業物を作り上げてセクメトス殿に献上する……というのはいかがでしょうか。ただし、リッド殿が承諾してくれればですけど」
「それは良案ですね。友好の印も兼ね、後世まで残る一品を生み出してご覧にいれましょう」
彼から意味深な視線を送られ、僕はすぐに意図に気付いて即答で頷いた。
豪族達の手前、セクメトスもおめおめと斬竜半月刀を渡すことができないんだろう。
かと言って、約束を反故にすることもできない。
だから、折衷案となるような逃げ道を用意すれば彼女の言い分も立つはずだ。
「セク、ここは今後のことを考えましょう」
タバルが優しく諭すような声を発すると、セクメトスは少しの沈黙から深いため息を吐いた。
「わかった。エマを斬竜半月刀の新たな持ち主として認めよう」
「ありがとうございます」
エマとクリスが顔を見合わせて頭を下げるが、セクメトスは「ただし……」と続けた。
「斬竜半月刀は我らが受け継いできた由緒ある一品だ。当然、持ち主にも相応しい位というものがある」
「それは私が平民であるが故に渡せない、ということでしょうか。それでしたら形式上の持ち主はクリス様やリッド様でも構いません」
棘のある言い方でエマが睨みを利かせるが、セクメトスは肩を竦めておどけた。
「早合点するな。エマ、貴殿には斬竜半月刀を譲ると同時に家名として『イヴロン』の名を授けよう。今後は『エマ・イヴロン』と名乗るがよい」
「え……?」
きょとんとエマが呆気に取られる横で、僕達は「えぇ⁉」と目を丸くした。
家名を与える……帝国でいうなら叙爵であり『貴族』になったことを意味する。
酒一つで貴族に成り上がった話なんて、古今東西聞いたことがない。
「セクメトス様、それはあまりに急すぎますぞ」
「そうです。そんな平民の小娘に家名を与えるなど、前代未聞でございます」
会場の豪族達からも驚きの声が次々と上がるなかで、セクメトスが魔波を発して「静まれ」と一喝した。
会場の壁が軋み、子息令嬢達がびくりとしてその場にへたり込んだ。
「言ったであろう、斬竜半月刀は由緒ある一品だとな。家名は私から受け取った名誉だと考えてくれればよい。エマやクリスも豪族の役目など御免被るであろう」
「そ、それはそうですが……」
眉を八の字にしたエマが困惑した様子を見せると、セクメトスは目を細めた。
「なに、家名をどうしても返上したいというのであれば『斬竜半月刀』を返上してくれればよい。さぁ、どうする?」
「……畏まりました。謹んで『イヴロン』の名を拝命いたします」
エマがこくりと頷くと会場がざわめいた。
ついさっきまで平民だった猫人族の少女が、お酒一つで獣王から国宝級の武器一品を飲み取って名誉の家名まで与えられたのだ。
驚くのも無理はない。
というか、後世に逸話で残ってもおかしくない出来事だろう。
「では、改めて『エマ・イヴロン』。貴殿が見事に酒で飲み取った斬竜半月刀を持っていくが良い」
「ありがとうございます」
セクメトスに向かってエマが一礼すると、タバルが「見事でしたよ、エマ・イヴロン」と掛け声を発して拍手を送った。
その拍手は瞬く間に会場内の豪族達にも広まっていく。
エマはタバルにも一礼し、会場の豪族達にも深く頭を下げる。
次いで、僕達の傍にやってくると「お騒がせしました」と舌を出しておどけた。
「お騒がせしました……じゃないわよ、エマ。無事に落ち着いたから良かったけど、一体全体どういうつもりなの」
ずっと見守っていたクリスがどっと疲れた様子の呆れ顔で詰め寄ると、エマは決まりが悪そうに頬を掻いた。
「あ、あはは。実はどうしても猫人族の豪族達に一泡吹かせたいという思いがずっとありまして、暴走しちゃいました」
「暴走って。もう、こっちは生きた心地がしなかったわよ」
クリスはがっくり項垂れると、エマは「も、申し訳ありませんでした」と頭を下げていた。
「リッド殿」
名前を呼ばれて振り向くと、セクメトスが不敵に笑っていた。
ただ、目だけは一切笑っていない。
「献上してくれるという武器の件、楽しみにしているぞ」
「は、はい。畏まりました」
笑顔からとんでもない圧が発せられている。
当たり前だけど、中途半端な一品は絶対に渡せない。
エレンやアレックスに斬竜半月刀を調べてもらって、最勝るとも劣らない業物を作ってもらわないといけないぞ。
彼女をはじめとする豪族達の視線に戦々恐々としていると、タバルが咳払いをして会場の耳目を集めた。
「面白い余興も楽しめたことですし、飲み直しましょう。さぁ、皆でエマ・イヴロンの門出を祝おうではありませんか」
「おぉおおお」
豪族達の歓声が轟き、あちこちで乾杯の音頭が聞こえてくる。
一時はどうなることかと思ったけど、懇親会このまま無事に終わりそうだな。
僕はそんなことを考えながら、胸を撫で下ろした。
懇親会は夜更けまで続き、会場で一部の豪族達が酔い潰れはじめた頃、「リッド、懇親会は楽しめたか」と背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
振り返ると、そこには白い八重歯を見せるヨハンが立っていた。




