余興
「ほう、これは面白い余興だ。だが、二言は許さんぞ」
「承知しております」
「……よかろう」
二人が揃って頷くと、セクメトスは近くにいた戦士達に目配せした。
クリスとエマのそれぞれに盃が渡され、セクメトスが直々に酒をなみなみと注いでいく。
「ふ、二人とも、一体どういうつもりなんだろう……」
僕達が呆気に取られていると、「いやぁ、クリス殿は気風の良い方ですね」と優しい声が聞こえてくる。
振り向けば、そこにはタバルがグラスを片手に目を細めていた。
でも、ヨハンの姿は見えない。
「タバル殿。あれは一体……?」
アモンが問い掛けると、タバルはグラスを軽く口に含んだ。
「猫人族では昔からトーガとの小競り合いが絶えず、前線ではいつ命を落とすかもわかりません。そうした歴史もあってか『どうせ死ぬなら、今日を酒を飲んで思う存分に楽しもう』という思考が生まれたようでしてね。いつしか、酒を多量に飲める者は一目置かれるようになったんですよ」
「な、なるほど……」
相槌を打った僕の脳裏に『戦国時代の武将による逸話』がよみがえる。
とある酒豪の武将が主君から『面倒が起きたら大変だから、あの偉い人の前では酒は飲むな』と言われていたんだけど、その偉い人が主君と故郷を侮辱するような挑発を行ったらしい。
武将は怒って言われた通りに酒を飲み干し、褒美に偉い人から家宝といえる槍をもらった……なんて話もあったなぁ。
「クリス殿がセクに注がれた酒を飲み干せば、この場にいる豪族達の心を掴んだも同然。もし飲み干せなかったとしても、気風の良さに心を開く豪族達もおりましょう。それらを全て理解した上でのことでしょうな。いやはや、リッド殿は良いご友人をお持ちだ」
「あ、あはは。ありがとうございます」
タバルの言葉に苦笑しつつ、僕は察した。
会場を回っていたクリスもこの話を聞いたに違いない。
そして、ズベーラ内での商機と捉え、名乗り出たんだろう。
相変わらず無茶するなぁ。
僕は近くに控えていたカペラとティンクに目配せすると、二人に耳打ちした。
「クリスとエマがお酒を飲んだら、すぐに水を飲ませたいから用意しておいてもらえるかな。あと、念のために大きめの容器もお願い」
「承知しました」
「果物も用意しておきます」
「うん、二人ともお願いね」
カペラとティンクは会釈すると、会場の人混みに入っていった。
万が一の時は、これですぐに助けに入れるだろう。
「リッド殿も優しいですね」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
タバルの問い掛けに頭を振ると、僕は「それよりも……」と切り出した。
「ヨハン……殿の姿が見えないようですけど、こちらには来られてないんですか」
「いえ、そんなはずはないんですがね」
彼は周囲を軽く見渡すと、「あ、ちなみに」と続けた。
「私の前でもヨハンのことは呼び捨てで構いませんよ。息子にとって、リッド殿は良き友人のようですから」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
良き友人……か。
まぁ、どちらかといえば監視対象なんだけどね。
下手に警戒して敵対するよりは、親睦を深めて友好関係を築いたほうがいいだろう。
でも、こうして直接言われると、ちょっと照れくさいな。
僕が照れ隠しに頬を掻いたその時、会場の奥から豪族達のどよめきが起きた。
どうやら、クリスの大盃に酒が注がれたようだ。
「さぁ、まずはクリスだ。貴殿から飲んでみせろ」
「畏まりました。それでは見事飲んでみせましょう」
セクメトスの嬉々とした眼差しにクリスは不敵な笑みを浮かべて頷くと、大盃を両手に持ったままに立ち上がって盃の端に小さな口を付けた。
その光景を目の当たりにした豪族達からどよめきと歓声が轟く。
「いいぞぉ、エルフの姉ちゃん」
「その気風の良さ、気に入ったぞ」
「飲めるもんなら飲んでみろ」
「格好いいわぁ」
「エルフお姉ちゃん、頑張って」
豪族や彼等の妻子から送られる声援に、クリスは答えるように喉を上下させてごくりごくりという音を絶え間なく鳴らし続けている。
時折、彼女の口元から溢れた酒の雫が首を伝って胸元に吸い込まれていった。
意図せず妖艶な姿を披露したクリスの様子に、一部の豪族達が口笛を鳴らし、見蕩れて鼻の下を伸ばすような表情を見せる。
しかし、妻子持ちの豪族達は妻と子から厳しい視線を向けられ、ハッとして青ざめていた。
何をやっているんだか……。
クリスは美人だから見蕩れる気持ちはわかるけどね。
クリスが両手で持つ大盃の角度がどんどん急になっていき、程なくして大盃は天を仰ぎ「はぁ……」という彼女の声が漏れ聞こえた。
彼女は空になった盃を天に掲げ、会場全体に見せつける。
だけど、驚くべきはクリスが表情一つ変えずにけろっとしていることだろう。
エルフ特有の白い肌も相まって、余計に涼しい顔に感じられる。
クリスって、とんでもない酒豪だったのね。
「おぉおおおお⁉」
会場全体が揺れるような豪族達の声が轟くなか、彼女の勇姿を一番近くで見ていたセクメトスがにやりと口元を緩めて拍手を始めた。
「見事だ、クリスティ商会のクリスティ・サフロン殿」
「ありがとうございます、セクメトス様」
クリスは膝をついて畏まるが、「しかし……」と頭を振った。
「エマは、私以上にこの場を楽しませてくれるかと存じます」
「まさか本当にその盃で飲み干すつもりか。今ならまだ、クリス殿の勇姿で大目に見てもよいのだぞ」
「いえいえ、私達に二言はございません。それに……」
クリスが意味深に呟いて視線を流すと、エマが前に出て畏まった。
「私も猫人族です。故郷の部族長かつ獣王として名高いセクメトス様の前で、このような機会を逃すつもりはありません」
「……その意気やよし。よかろう、もしその盃に注いだ酒を見事飲み干せば、何でも褒美を取らそうではないか」
セクメトスの発した言葉に豪族達がざわめいた。
「そのような約束をしてよろしいのですか」
「そうですぞ、セクメトス様」
一部の豪族が慌てて諫めようとするが、彼女は横目で彼等を一瞥し、「だまっていろ」と凄んだ。
「う……」
豪族達が怯んでたじろぐと、セクメトスは表情を崩して肩を竦めた。
「なれば、お前達はこの盃で私の酒を飲み干せるのか」
「そ、それは……」
彼等はエマが持った巨大な儀礼用の盃を見やると、決まりが悪そうに俯いてしまう。
その様子を見たセクメトスは、やれやれと小さなため息を吐いた。
「そう気に病むな、誰もが飲める量ではないからな」
いや、そもそも十八寸(直径五十四センチ)もある盃でお酒を飲もうなんて普通は考えないよ。
僕は思わず、心中で突っ込んでしまった。
「しかしそれ故、褒美に値するというものだ」
「……畏まりました」
豪族達がこくりと頷くと、セクメトスはにやりと笑った。
「それに部族長たる者、果敢に挑戦した者には度量を示さねばならんからな」
彼女が会場を煽るように告げると、豪族達から歓声が立ち上がった。
ついさっきまでは、クリスとエマが注目を浴びていたんだけどな。
今は二人を許容するセクメトスが中心となって会場の空気を支配し、彼女に対する株が豪族達の中で上がっているように見受けられる。
こうして場を操る手並みも、さすが獣王というべきなのかもしれない。
「さぁ、出来るというならやってみせろ、エマとやら」
セクメトスが挑発するように告げると、彼女は目を細めて微笑んだ。
「何でも褒美を取らすというお言葉、どうか忘れないでくださいませ」
「もちろんだ」
セクメトスは近くにあった酒瓶を手に取ると、エマが両手に持つ極大の盃に躊躇なく酒を注ぎ始めた。
周囲にいた豪族達はその様子を息を飲んでまじまじと見つめている。
あれだけの酒を飲んで、エマは本当に平気なんだろうか。
できれば止めたいけど、会場の熱気やセクメトス達のやり取りからして、もう止めたくても止められない。
酒に溺れて本末転倒にならないといいけど。
「……おい、次の酒瓶を持ってこい」
酒が出なくなると、セクメトスは近くの給仕を見やった。
「は、はい。すぐにお持ちします」
ハッとした給仕やメイド達が慌てて動き出すと、セクメトスは何やら会場を見渡しはじめた。
そして僕を見つけると、「リッド殿、少しよいか」と威勢の良い声を発した。
「はい、何でしょうか」
返事をして前に出て行くと、セクメトスは身を乗り出して怪しく目を光らせた。
「折角の挑戦だ。ここは一つ、私とリッド殿でエマが一滴残らず飲み干せるかどうかで『賭け』をしてみないか」
「賭け、ですか?」
また、突拍子のないことを言いだしたな。
今度は何を考えているんだろうか。
突然の提案に僕が訝しむと、彼女は楽しそうに口角を上げた。




