ルヴァとの別れ、次の部族領へ
「リッド殿、今回の会談はとても有意義だったわ。これからもよろしくね」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
鼠人族部族長屋敷前で僕とルヴァは別れの挨拶を済ませて、固い握手を交わした。
会談と懇親会。
獣化訓練後に鼠人族領内を見て回るという全ての日程を終え、これから僕達一行は獣王セクメトスが治める猫人族領に向けて出発する。
ちなみに、鼠人族領内はルヴァが直々に案内してくれた。
鼠人族領は地形的な理由なのか、山から流れてくる綺麗な湧き水が豊富らしく、町や領内の至る所に水路が設けられて透き通った綺麗な水が流れていた。
町を行き交う人達を見れば、肌に張りや艶のある人も多く、空気中の湿度が良い感じに保たれているのかもしれない。
ただ、ルヴァ曰く、出生率の高さから鼠人族領内でも食糧不足という問題を抱えているそうだ。
水が豊富ということなら、熊人族や牛人族で水田が成功すれば導入してみてはどうかと伝え、すぐにできるものとして狐人族領で行っている『鯉の養殖』も提案した。
『鯉って、あの身がドロ臭い魚よね。食べれなくはないと思うけど、養殖する餌代や手間暇を考えたらどうなのかしら』
ルヴァは首を捻って訝しんだが、僕とアモンは顔を見合わせると笑って一蹴した。
『実は育て方次第で鯉は臭くならないんです』
『えぇ、リッドの言うとおりです。狐人族領ではすでに養殖が始まっていますし、バルディアとクリスティ商会を通じて帝国やレナルーテへの輸出計画も進んでいますよ』
『え……⁉ なによそれ、もっと詳しく教えて』
僕達の答えを聞いたルヴァは領内案内中にもかかわらず目の色を変え、鯉の養殖について興味津々だった。
しかし、養殖も重要な技術だから、見返りなしにおいそれと伝えることはできない。
先日の会談や訓練中に議題になった鼠人族のバルディア留学や派遣とからめることで、有意義な話し合いができたと思う。
握手を終えると、彼女はやれやれと肩を竦め「それにしても……」と肩を竦めた。
「交渉は五分五分だった……と言いたいところだけど、今回はリッド殿に六対四で負けた気分ね。打ち込み君や鯉の養殖技術なんかで想定よりも譲歩させられたもの」
「そんなことありませんよ」
僕はすぐに頭を振った。
「発注をいただけたとはいえ、道路整備の件はかなり厳しい条件でした。互いに得のある五分五分の交渉だった、私はそう思います」
彼女は譲歩させられたといったけど、逆に言えば『打ち込み君』や『鯉の養殖技術』という手札がなければもっと厳しい会談になったはずだ。
獣王の右腕として国家運営にも携わるルヴァは、今までの中でも大変な交渉相手の一人と言って良い。
なお、僕が対外的に一番嫌な交渉相手はマチルダ陛下だ。
彼女は皇后という身分もあるけど、それ以上に根回しと外堀を埋めるのが上手いんだよね。
会談が決まった時には、ほぼ向こうの勝ち確状態。
そこからひっくり返すのは至難の業だ。
まぁ、マチルダ陛下をはじめとする帝国貴族達のおかげで僕の交渉力も上がっているだろうから、そこは感謝かな。
ルヴァはきょとんとすると「ふふ」と笑みを溢した。
「そうね。じゃあ、道中は気をつけてね。セクメトスにもよろしく伝えておいて」
「わかりました、お伝えしておきます。では、今回はこれで失礼します」
「えぇ、いつでもいらっしゃい。リッド殿……いえ、バルディア家の皆さんだったらいつでも歓迎するわよ」
「ありがとうございます。でも、次はルヴァ殿をバルディアに招待しますよ」
僕が目を細めると、彼女もにこりと口元を緩めた。
「あら、それは嬉しい言葉ね。その日を楽しみにしているわ」
「はい。それでは……」
ルヴァはファラと似た雰囲気があったせいか、ほんの少しだけ名残惜しい気持ちになる。
いつか、こうしてファラと一緒に大陸を見て回れたら楽しいだろうな。
踵を返して木炭車に連結された被牽引車に向けて足を進めていくと、「あ、ちょっと待って」とルヴァが小走りでやってきた。
「なんでしょうか」
小首を傾げると、ルヴァは何やら少し顔を赤らめて僕の耳元に顔を寄せてきた。
「私がバルディアに行くときはリッド殿やライナー殿の親類とか、優秀な文官系独身男性を集めた懇親会をお願いね」
「……あ、あはは。できるかぎり善処します」
「ほんと⁉ 約束したわよ。近いうちに招待されるからお願いね」
「わ、わかりました」
招待して、ではなくて『招待される』から、か。
何とも彼女らしい。
僕は苦笑しながら頷くと、ルヴァはぱぁっと明るく破顔した。
鼠人族の出生率の高さって、もしかすると種族として恋愛に前向きというか、奔放なところが根本にあるんじゃなかろうか。
彼女の表情に、僕はふとそんなことを考えていた。
◇
鼠人族領から猫人族領までの道のりはそれなりに整備されていて、ズベーラの道の中では今までで一番振動が少ないように感じられた。
多分、輸送路も兼ねているからだろう。
それでも、僕は酔っちゃうんだけどね。
猫人族領までの移動中、僕はいつもどおり酔い防止の飴玉を口の中で転がしつつ、カペラやクリス達と鼠人族領での会談内容のまとめをしていた。
車中で書類を読むと目が回るから、皆に書類を読み上げてもらって、父上への報告書類作成をティンクにお願いするような流れだ。
ルヴァとの会談ではズベーラ国内の道路整備受注に始まり、近い将来的にバルディアで鼠人族の留学受け入れなど、予定外の内容も多かった。
だけど、バルディアと鼠人族、それぞれのよりよい未来に繋がるものばかりだ。
父上もきっと喜んでくれるだろう。
でも、次の猫人族領も油断はできない。
交渉相手は猫人族部族長にしてズベーラを治める獣王セクメトスだ。
彼女と公式な個別会談をするのは今回が初めてだけど、狐人族領やズベーラ王都でのやり取りを思い返せば、決して一筋縄ではいかない相手である。
おまけに猫人族領は教国トーガと国境を構え、大きな衝突こそないが状況的には小競り合いが続く紛争状態だという。
バルディアと猫人族。もといズベーラとマグノリアとの友好が深くなれば、二国と国境を構えるトーガを牽制して好戦的な動きを抑制することには繋がるだろう。
しかし、大々的にバルディアが猫人族に物資の支援をすれば、間違いなくトーガは反発する。
今までは、ズベーラと言えどもトーガと直接衝突することがない部族領だったから、言い訳できたんだけどね。
さすがに直接衝突している部族を直接支援したとなれば、トーガも何かしら動いてくる可能性が高い。
帝国領でトーガと国境を構えるケルヴィン家には根回しはしているが、相手は獣王セクメトス。
油断は禁物だ。
そして何より、猫人族領には『ときレラ』の登場人物でもあった『ヨハン・ベスティア』がいる。
彼の動向にも注意を払わなければならない。
狭間砦の戦いでバルディアがエルバを撃退したことによって、ヨハンの未来は大きく変わったはず。
でも、巡り巡って、彼がバルディア家の断罪に再び関与してくる可能性もないとは言い切れない。
実際、今度の獣王戦では彼と行う前哨戦の勝敗がバルディアの将来に大きく影響する事態になっている。
ヨハンは決して悪い子じゃないんだけど、ちょっと扱いに困る感じの子なんだよなぁ。
頭の回転は速いけど、放っておくと変な輩につけ込まれそうな危うさもある。
最悪、彼にもバルディアに留学を促して僕の目が届くところに置いておく方法も視野に入れておくべきかもしれない。
婚約したもののヨハンに苦手意識がありそうなシトリーは、彼がバルディアへ留学してくるって聞いたら困惑しそうだけど。
「リッド様。難しい顔をされていますが、何か不明点がございましたか」
考え事をしながら打ち合わせをしていると、カペラが心配するように問い掛けてきた。
「あ、ごめん。これから行く猫人族領のことを考えていたんだ。大丈夫、いまのところ不明点はないよ」
「畏まりました。では、これで鼠人族領での会談内容はまとまりましたので、次は猫人族領での動きや注意点を確認して参りたいと存じます。よろしいでしょうか」
「うん、お願い」
僕が頷くと、カペラは猫人族領における日程の予定を語り始めてくれた。
途中、クリス達も補足説明をしてくれる。
車酔いでちょっと気分が悪くなりつつも、僕は気を引き締めて皆の話に耳を傾けていた。
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