鼠人族部族長ルヴァ・ガンダルシカ
「似合っているよ、アモン」
「君もね、リッド」
「お二人とも、よくお似合いでございます」
鼠人族の民族衣装に着替えた僕とアモンが互いを見やってどちらからともいえずにはにかむと、カペラが会釈した。
今、僕達がいるのは鼠人族部族長屋敷の来賓室で、クリスの着替えが終わるのを待っている状況だ。
ちなみに、僕やアモンが着替えた衣装は白いフリルがついたシャツ、黒の生地に赤の線が縁に入ったベスト、黒の生地に赤の線と刺繍が施された膝下まである外套。
下はオフホワイトで、少しゆとりのある長ズボンを履いている。
黒い円つば帽子が用意されていたけど、室内で被るのはどうかと思って、それだけは被らずにカペラに持ってもらっている。
鼠人族の女性達はとても鮮やかで可愛らしいけど、男性の服装は対になるようなシックな雰囲気だ。
並ぶと対比があって面白いから、これを父上と母上に着てほしい。
まぁ、ちゃんと手配はしたけどね。
「それにしても、クリス殿。着替えに手間取っているみたいだな」
部屋の席に着いたアモンは、扉に視線を向けながら切り出した。
「そうだね。でも、『商機だ』って息込んでいたから、着替えながらあれこれ聞いているんじゃないかな」
「はは、確かにな。クリス殿は転んでもただでは起きない人だからな」
アモンは笑みを噴き出すが、「しかし……」と真顔になった。
「クリスティ商会には気をつけなければ、何かも根こそぎ持って行かれる。敵に回すと、怖い人だよ。リッドはよく彼女と縁を結べたものだ。一体、誰に紹介されたんだい?」
「あぁ。えっと、バルディアに『ガルン』って執事がいてね。将来性がありそうで、帝国以外にも販路を持っている見込みのありそうな商会を教えてほしいって、彼に頼んだんだ」
「すごい頼み方だな。リッドの無茶振りは、もうそんな頃から始まっていたのか」
答えを聞くなり、アモンは目を丸くした。
まるで、僕がいつも無茶振りしているみたいな言い方だ。
失礼だな、ちゃんと出来る人にしかお願いはしていないのに。
僕は頬を膨らませ、ジト目で見やった。
「ちょっと。いくらなんでも、その言い方はないんじゃないの」
「悪い悪い。確かに、言い方に少し語弊があったかもしれないな。だが、そのガルンという執事。只者ではなさそうだね。どんな人なんだい?」
どんな人、と尋ねられ、僕は「うーん」と唸った。
よくよく考えてみれば、あんまりガルンのことを知らない。
バルディア家の前当主から仕えているらしいけど、出生とか執事になった経緯は聞いたことがなかった。
「……とりあえず仕事ができて、多分、武術も相当な手練れだと思う。ガルンについては、僕よりもカペラの方が詳しいんじゃないかな」
カペラがバルディアに来て間もない頃、執事の仕事を学ぶということでガルンに色々と教わっていたはずだ。
でも、彼は小さく頭を振った。
「ガルン様は、あまりご自分のことを語る方ではありませんでした。残念ながら、私も詳しいことは存じ上げません」
「へぇ、ますます興味深いな。今度、バルディアに行く機会があったら話をさせてもらおうかな。狐人族に派遣できる良い人材はいないだろうかってね」
「駄目だよ。そんな人材がいたら、うちで働いてもらうに決まっているでしょ」
「わかっているよ、冗談だよ冗談」
僕がジト目で睨み、アモンが諦め顔で肩を竦めた。
程なく、僕達は噴き出して笑みを溢す。
部屋の中に和やかな雰囲気が漂ったその時、扉が丁寧に叩かれた。
「リッド様、アモン様。クリスです。入ってもよろしいでしょうか」
「うん、大丈夫だよ」
何やら遠慮がちなクリスの声に返事をすると、「し、失礼します」と扉が開いた。
「お、お待たせして申し訳ありませんでした。少々、着替えに手間取りまして……」
気恥ずかしそうにするクリス。
彼女は予定通り、鼠人族の衣装に着替えていた。
普段は颯爽で凜とした雰囲気を持つクリス。
でも、華やかで可愛らしい鼠人族の服装を纏った彼女は、なんだか初々しい少女のように見えなくもない。
ただ、ちょっと。というかとても気になることが一つある。
なにやら、服が食い込み気味というか、きつそうだ。
「えっと、うん。いつもは凜として綺麗だけど、その衣装も可愛らしくてとても似合っているよ、クリス」
「そ、そうだな。しかし、動きがぎこちないように見受けられる。ひょっとして、着こなすのがそんなに難しい衣装だったのだろうか」
アモンもどうやら僕と同じ疑問を抱いていたらしい。
彼が僕の言葉に続けて問い掛けると、クリスは決まりが悪そうに頬を掻いた。
「それが、熊人族の方々から話を聞いて大きめのサイズを用意してくれていたそうなんですが、それでも全体的にちょっと小さくて。特に……あ、いえ、何でもありません」
彼女が目線を落とした体の部位で何を言わんとしたか大体察しがついてしまい、同時に先日の『シャワー事故』の光景が脳裏に再生されていく。
僕はハッとして勢いよく頭を振ると、顔の火照るのを感じながら「あぁ、なるほど」と誤魔化すように大袈裟に相槌を打った。
「これは、あれだね。クリスの体型が良すぎたんだね」
「あ……⁉」
何やら彼女が青ざめ、慌てた様子で勢いよく頭を振り始める。
どうしたんだろう、と首を傾げたその瞬間、彼女の背後からどす黒いオーラを纏った小柄な少女が笑顔で現れた。
どうやら、クリスの影に隠れて見えなかったらしい。
「へぇ、リッド殿は鼠人族の体型がよろしくない。そう、遠回しに仰りたいのでしょうかねぇ」
「な……⁉」
姿を見せたのは、少女ではなく部族長ルヴァ・ガンダルシカご本人である。
見れば、クリスの背後にいるエマとティンクが、やれやれと呆れ顔を浮かべていた。
咄嗟に視線でアモンに助けを求めるが、彼は「あはは……」と苦笑してそれとなく視線を外していく。
次いでカペラに視線を向けるが、彼は無表情のまま目を横に動かした。
カペラ、君もか。
というか、アモンはともかく、君は僕の味方であるべきでしょ。
「リッド殿は私が年の割に童顔で小柄、寸胴、まな板で気の強いちんちくりんだと仰りたいんですか」
「いえいえ、決してそういう意味ではありません」
笑顔だが、凄まじい剣幕で目と鼻の先まで迫ってくるルヴァ。
身長が近いせいで、余計に怖いし、そもそも、そんなことは言った記憶がない。
というか、怒った時のファラと雰囲気が似ているような気がする……って、そんなことを考えている場合じゃない。
「ほう。それでは、どういう意味なんでしょう」
相槌を打ったルヴァだが、その目は据わっている。
「いや、その、言葉通りと申しますか。クリスは女性ながら身長もありますし、誰がどう見ても体型は良いと見るのではないかと。それに、ルヴァ殿もとても素敵な顔立ちをしているではありませんか」
「あら、リッド殿は口が上手なんですね」
目を細めたままだが、ルヴァの黒いオーラが少し収まった気がする。
間近で見る彼女は意志の強さを感じさせる鋭い目に、理知的な黒い瞳が浮かんでいる。
身長こそ小柄だけど、白い肌の顔立ちはとても凜々しい。
灰色の髪はふわっと広がり、その髪の間からは丸みを帯びた大きめの獣耳が生えている。
僕はそれらの特徴を瞬時に見て、頭の中で言葉を命がけで組み立てていく。
言い間違いを起こそうものなら、下手すれば会談失敗。
獣王の右腕と称される、ルヴァ。
その影響力を鑑みれば、将来における断罪回避のためにも、彼女との会談も失敗は決して許されない。
「とんでもないことです。ルヴァ様はご自身が仰ったように小柄で童顔かもしれませんが、その眼差しや話す言葉一つ見ても、とても理知的です。気にされていた気の強さも、部族を束ねる長として必要な気質でしょう。それらを認めぬ度量のない輩など、むしろルヴァ様の相手としてありえません。私はそう考えます。そ、それに、その……」
「それに……? なんでしょうか?」
彼女のすべてを見透かすような鋭い視線に、僕ははにかみながら答えた。
「ルヴァ殿は、私の妻、ファラと、どこか雰囲気が似ている気がします。私の目から見たルヴァ殿は、可愛らしさと理知的な魅力に溢れております」
これは、初対面の時から感じていたことだった。
もちろん、ルヴァとファラは年齢が全然違うだろう。
でも、理知的で縁の下の力持ちという立場。
黒いオーラや鋭い視線も含め、ファラが大きくなったら、ルヴァのような雰囲気になるのではないか。
話してて、僕はそう思うことが何度かあった。
「私が、リッド殿の奥方、ファラ殿と雰囲気が似ていて、理知的な魅力に溢れている……?」
ルヴァは首を捻ると、僕の目を真っ直ぐに見据えた。
その瞬間、部屋の中に静寂が訪れ、空気が張り詰める。
あれ、これってひょっとして、さらなる地雷を踏んじゃった感じ……⁉




