友好の気持ち
夜闇の中、カムイは何か見定めるようにこちらを真っ直ぐに見ている。
カルアが熊人族部族長の血筋というのは驚いたし、彼の言う『扱いに困る』というのは素性が知れた以上、情報漏洩や諜報員の疑いも出てくるということだろう。
でも、重要なのはカルアの過去ではなく、今現在におけるまでの行動だ。
バルディアに来てからの彼は、熊人族の子達の中では誰よりも率先して厳しい訓練に挑み、時には他の子達の見本となっていた。
当初、獣人族の子供達がバルディアに来て間もない頃、彼等が不審な行動をしないかという監視も指示していたけど、特におかしな報告はない。
むしろ、特定の子達が夜な夜な自主練をしたり、自主学習をしていたという前向きな報告があった。
その特定の子達が現在、バルディア第二騎士団の分隊長と副隊長になっている。
当然、カルアもその面々の中にいた。彼に至っては他の子達よりもかなり真面目というか、執念というか、何が何でもというような熱意があったのを覚えている。
今にして思えば、あの時、彼には部族長の嫡男という立場を捨てた負い目があったのかもしれない。
何より、今の彼はバルディア第二騎士団にとって重要な人材であり、捨てがたい存在だ。
僕の友人としてもね。
考えなくても、答えは決まっていたかな。
顔を上げてカムイを見据えると、雲の隙間から月明かりが露台を照らしていく。
「本人が名を捨てたというのであれば、私はそれで構いません。扱いが困るということはありませんよ」
「……いいのか。今はリッド殿しか知らぬかもしれんが、いずれライナー殿や他の者達の耳にも入るだろう。そうなれば間者や情報漏洩の危険性を問われるはずだ。痛くもない腹を探られ、貴殿の監督能力にも疑いの目が向けられかねないぞ」
「ふふ、あっはは」
僕が思わず噴き出して笑ってしまうと、カムイは怪訝な表情を浮かべた。
「リッド殿、私は真面目に貴殿のことを心配しているんだぞ」
「申し訳ありません。でも、そんなことは……」
威儀を正して切り出すと、僕は真剣な眼差しで彼の目を見据えた。
「獣人族の子供達を保護した時から、わかりきっていたことですから。いまさらです。ですから、ご心配は有り難いですがご安心ください。私は、いえ、バルディアはそんなことで動じるほど、やわな貴族ではありませんよ」
「……そうか、どうやら私の杞憂だったようだな」
月明かりが照らしたカムイの表情はとても穏やかで、優しいものだった。
昼間の険しさや鬼の形相は見られない。
同一人物とは思えないほどだ。
その時、強い夜風が吹いて穂波が立ち、風のざわめきが起きる。
しばらく露台で立ち話をしていたせいか、寒気で体がぞくりと震えた。
「……くしゅん。あぁ、申し訳ありません」
鼻を啜りながら会釈すると、カムイはきょとんとして「ふふ」と笑みを溢した。
「どうやら長話をしすぎたようだな。会場に戻ろう」
「はい、そうしましょう」
出入り口の窓に向かって歩き始めると、カムイが僕を見てにやりと笑った。
「言い忘れていた。木彫の彫刻に使った木材は樹齢百年を超えているものだったんだが、バルディアで作製する奥方の彫刻も同様の品質でよいな」
「え……?」
思いがけず、僕の足が止まった。
樹齢百年超えの木材を木彫の彫刻に使った、だって。
それって、とんでもなく稀少価値が高い代物なんじゃなかろうか。
何だか、とっても嫌な予感が脳裏をかすめた。
「どうした、リッド殿。そう驚くことでもあるまい。それとも、奥方の彫刻やレナルーテの王族に対する献上品にも関わらず、懐を心配しているのかな?」
「い、いえ。決してそのようなことではありません。もちろん、僕と同じ最上級の品質でお願いします」
訝しむカムイに、僕は胸を張って答えるが内心は穏やかじゃない。
ただ、エルティア母様に送るとなれば、彼の言うとおり王族への献上品だ。
知り合いや親戚へのお歳暮とか、結婚式とかの返礼品みたいに考えてはいけない。
皇族、王族、貴族、豪族、華族。
どの国でも、やんごとなき方々はとても対面を気にする。
下手にお金のことを考えれば、それ以上の信用を失いかねないからだ。
それにしても、貴族社会って本当にお金がかかるなぁ。
父上がまた頭を悩ませそうだ。
「わかった、最上級の品質だな。では、特別に樹齢五百年ものを用意しよう」
「ご、五百年ですか⁉」
声が翻ってしまった。
百年でも希少価値が高いというのに、五百年ともなればさらに価値は跳ね上がる。
それこそ、国の宝物庫に保管されるぐらいの価値になるんじゃないだろうか。
というか、そんな貴重な木材で自分や妻の彫刻作ったら、どんだけ虚栄心が強いんだって、むしろ僕の悪評が立ってしまわないか心配になる。
しかし、カムイは口元に手を当ててにやにやしている。
「おや、五百年では足りぬと申すか。ならば、樹齢およそ一千年ものでどうだ」
樹齢千年だって⁉ 世が世なら国の天然記念物とか国宝とかに指定されるような木じゃないか。
冗談じゃないよ。
「いえいえ、いえいえいえいえ。僕の彫刻で十分素晴らしい品質であることは間違いありません。樹齢百年で十分かと存じます」
「そうか、それは残念だな」
カムイはわざとらしく肩を竦めると、大声で笑いながら前を歩き始めた。
何とか、良い頃合いで落ち着いたかな。
そう思って胸を撫で下ろしていると、カムイが「ところで……」と切り出した。
「色々と心配していたようだが、『材料は熊人族領から持ち出す』と言ったはずだぞ」
「え……?」
僕がきょとんとすると、彼はドヤ顔で不敵に笑った。
「つまり、今回の材料費は元より取るつもりはなかったのだ。どうやら、損をしたのはそちらのようだな。リッド殿」
「な……⁉」
「はは。まだまだ、可愛らしいところもあるものだ。まぁ、友好の気持ちとして受け取ってくれ」
唖然とした僕を見ると、カムイは楽しそうに歩いて会場の中に戻っていった。
謀ったな、カムイ・マジェンタめ。
確かに、思い返してみれば『材料は熊人族領から持ち出す』とは言っていた。
あれ、でも、先に費用はバルディアが全部出すと言っていたはずなんだけどな。
「……ひょっとして、友好と言いつつも、彼なりに感謝の気持ちだったのかな?」
首を傾げるが、真実の答えを知っているのはカムイのみ。
もしかすると、カルアの件があるから、これで貸し借り無しということなのかもしれない。
何にしても、わかりにくい人だなぁ。
こうして、夜は過ぎていって懇親会は終わりを告げた。
熊人族領での工程を終えたから、明日は鼠人族領へ向けて出発する。
部族長のなかで一番の常識人こと『ルヴァ・ガンダルシカ』。
彼女との会談は、きっと今までに比べて少し余裕が持てそうな気がする。
さて、鼠人族領はどんな光景が広がっているのか。
楽しみだな。




