月明かりのなか
「すまなかった」
「え……⁉」
カムイは開口一番、深く頭を下げた。
僕は目を瞬くが、すぐにハッとする。
ズベーラと部族を代表する部族長のこんな姿、誰かに見られたら誤解を生んで大変な問題になりかねない。
僕は「どうか、頭を上げてください」と慌てて駆け寄るが、彼は顔を上げようとはしなかった。
「昼間の件でしたら、私もカムイ殿に失礼な発言がありましたから、『おあいこ』ということで話は済んでいたではありませんか」
「あれは部族長として、だ。この場ではカムイ・マジェンタ個人として、カルアと血の繋がった父としての謝罪だよ」
カムイの声色は真剣そのものだ。
僕が父上みたく身長があれば、ここは彼の肩を持って無理矢理にでも顔を上げてもらうだろう。
でも、今現在の僕は、カムイの腰ぐらいまでしか身長がないから不可能だ。
「わ、わかりました。受け容れます、謝罪を受け容れますから顔を上げてください。そうでないと、お話もできませんよ」
「……それもそうだな。度々、すまない。どうやら、謝罪の気持ちが先走ってしまったようだ」
「あ、あはは。いえいえ、気にしないでください」
カムイが顔を上げると、彼の身長で僕に当たっていた月明かりが遮られて影が生まれた。
暗くてよく見えなかったけど、彼は嬉しそうに笑っていた気がする。
少し下がると、僕は咳払いをして彼の目を見上げた。
「では、改めてお伺いします。お話とはなんでしょうか」
「さっきも言った通り、昼間の件。いや、正確にはカルアが熊人族領を飛び出した経緯についてだ。一応、伝えておこうと思ってな」
「……わかりました。お願いします」
カルアの飛び出した経緯。
この件は、まだカルア本人の口からは説明を受けていない。
彼が部族長の血筋であるということは、バルディアの中において僕しかまだ知らないことだ。
僕の立場上、カルアを問い詰めてでも聞き出すべきかもしれない。
でも、聞いたところで何かできることがあるわけでもないし、一般家庭の問題に首を突っ込むというのとは訳が違う。
カルアの父親が部族長カムイ・マジェンタである以上、下手に口を出すと内政干渉、外交問題に発展する可能性もある。
今回の熊人族領訪問で豪族達がカルアのことを見ているから、いずれ父上達の耳にも入るかもしれない。
しかし、現状は知っていても、あえて知らぬふりをしているのがよさそうだな……そう思っていたんだけど。
カムイから切り出してくるとは思っていなかった。
「事の起こりは数年前、バルディアが獣人族の子供達をこう……いや、保護する前の話だ」
カムイは口火を切ると、当時におけるズベーラの状況を語ってくれた。
曰く、ズベーラ全土において不作が原因による食糧危機が発生していたそうだ。
各部族はそれぞれに対策を講じたが、どうしても一部では犠牲者が出ることが予測されていた。
そんな折り、エルバとガレスによる旧グランドーク家が各部族の伝を使って『奴隷として売れる獣人族の子供達』を各領地から集め始めたという。
表向き、ズベーラでは自国民の奴隷売買を禁じている。
しかし、過去に何度も食糧危機を経験していたズベーラでは、飢饉における『口減らし』は暗黙の了解で行われていたそうだ。
慈愛の強い部族でも、どうにもならない最後の手段としては認識されていたらしい。
過去、何度も『二人の子供のうち一人の子を助けるか、二人とも亡くしてしまうか』という究極を強いられてきた結果、感情だけで選べば子供の未来が『後者』になってしまうことを、獣人族の大人達は良く知っているそうだ。
「カルアもそのことを、頭では理解していたはずだ。だが、あいつが救うべく動いてた点在する村の子供達が次々といなくなってな」
「……口減らしをされたんですね」
聞き返すと、カムイはこくりと頷いた。
穗波が立って夜の静寂に、風のざわめきが響きわたる。
「特にカルアが弟のように可愛がっていたアレッドという少年の姿が消えたことに、殊更衝撃を受けたみたいでな」
「アレッド、ですか」
その名前を僕は良く知っている。
アレッドは、第二騎士団でカルアが率いる分隊の副隊長をしていて、女の子みたいに可愛らしい顔付きしている男の子だ。
何故か、一部のメイドや帝都で彼を見た貴族令嬢達からの人気も高い。
僕から見ても、クマのぬいぐるみ、のような雰囲気があるから、そうしたところが人気なのかもしれない。
ただ、彼も熊人族だから、最近はどんどん身長が高くなっている……その点は、ちょっと羨ましい。
思い返してみれば、バルディアに来た時のカルアは『俺が仲間の身代わりになる』と、初対面の僕に向かって言っていた。
きっと、アレッドを含めた皆のことをとても気に掛けていたんだろう。
「知っているのか?」
カムイが眉をピクリとさせ、首を傾げた。
「はい。バルディアに保護した子供達の中に、アレッドという熊人族の子がいました。カルアとの雰囲気から察するに、カムイ殿が仰った子だと思います」
「そうか。では、おそらくカルアが気にしていた子達は皆、バルディアに保護されたんだろう」
月明かりに照らされたカムイの表情は、どこか嬉しそうだった。
その目はカルアの父親として、部族長として同族が救われていた事実に安堵したように見える。
でも、彼の表情はすぐに曇ってしまう。
「だが、カルアは村から子供達の姿が消えてから、ズベーラの、部族としてのあり方に疑問を抱くようになったようでな。何度も私とあいつは議論を交わした。時には怒鳴り合ってな」
「そう、なんですね。ですが、ズベーラも表向きは奴隷売買。言い換えるなら『口減らし』を禁止していたはずです。カルアの口からその点を指摘されれば、カムイ殿も動くしかなかったのではありませんか?」
「さすがリッド殿だ。痛いところを突いてくる」
カムイは自嘲するように笑った。
「もちろん、部族長としては『口減らし』を禁じていたし、報告を受けて警告もしたさ。だが、点在する村の状況を知っている以上、罰を与えることもできん。そんなことをすれば、事実上領民に死の宣告を与えることになる。かと言って、飢饉だ。他部族も子供達を受け容れることはできんし、借りを作ることもできなかった」
「……カムイ殿は、当時お辛かったでしょうね」
彼の話を聞いて、素直に心から出た言葉だった。
領地運営を行わなければならない部族長は、時に究極の判断や決断を迫られる。
それこそ『命の天秤』だ。
命の危機に瀕している人が二人いて、どちらか一方しか助けられない。
そして、決断を下さなければ、時間だけが過ぎて二人とも死んでしまう。
そんな状況下でどちらを助け、どうしてそちらを助けるべきなのか。
父上から直接受ける後継者教育では、そうした問答を何度も繰り返している。
まぁ、僕は開口一番で『どちらも助けます』と言って、いつも叱られているけど。
でも、その後で選ばされた上、理由も説明させられているんだよね。
他部族や他国に借りを作ったらどうなるのか……これも父上からよく考えろ、と言われていることの一つだ。
どんなことであれ国、貴族、部族間における『借り』というのは借金と同じだ。
仮に飢饉で子供達を他国に受け容れてもらったとして、その国では当然、その子供達を育て、養うための費用が発生する。
それを『借り』とし、『何かしらで返せ』ということだ。
文字通り『金』であることもあれば『特産品』、『領地』、『戦争における支援』など内容はいくらでもある。
もし『借り』を返さなかった場合には、借金を踏み倒したようなもの。
信用が地に落ちて、どこからも相手にされなくなってしまう。
だからこそ、権力者に『借り』を作るのはよくよく注意しなければならないというわけだ。
「そうだな。しかし、いずれ誰かが判断し、決断せねばならん。それが部族長という立場だ。だが、カルアは違った」
カムイは小さく頭を振った。
「親しくしていた子供達が一斉に村から消えたという現実を目にしたことで、あいつは現状に疑問を抱いた。そして、私や豪族と口論を交わすうちに内側から何も変えられないと考え、マジェンタの名を捨てて出て行ったのだ」
「そうでしたか」
僕はただ、相槌を打つことしか出来なかった。
狭間砦の戦いしかり、父上もカムイと同じような判断や決断を沢山してきたんだろう。
何だか、父上の背中がとても大きく見えた気がする。
それと、カムイは昼間に言っていた。
バルディアのことを『恵まれた領地』だと。
何を持って、恵まれたとするかは人それぞれだけど、少なからずバルディアでは食糧危機は起きていない。
バルディアでも農業は行われているけど、帝国領が相当広いからお金さえあれば別領地から食糧を買い取れるというのも大きい。
あと、皇帝をはじめとした保守派の貴族達が、帝国内の食料自給率を重要視して農業に力を入れていたということもある。
もしかすると、ズベーラで発生する食糧危機の実態を調べ、事前に対策していたのかもしれない。
「さて、前置きはこれぐらいでいいだろう」
彼はそう言うと、真っ直ぐに僕の目を見据えた。
「カルアの出生を知ったリッド殿は、あいつをどうするつもりだ。名を捨てたとはいえ、元部族長の血筋となれば扱いに困るのではないかな」
「あぁ、確かに。言われてみればそうかもしれませんね」
僕が口元に手を当て、なんて答えようかと、考えを巡らせ始める。
丁度その時、月が曇に隠れて周囲が少し暗くなった。




