リッドの矜持と赤頭巾
「なに……?」
僕が全く動じず真っ向から睨み返すと、カムイは虚を突かれたように首を傾げた。
彼は全身が薄灰色の毛に覆われ、赤い長髪が剛毛のように逆立っている。
睨みを利かせた瞬間、見た目からぴったりの呼び名を思いつき、僕は口角を上げて笑ってやった。
「敬語が通じないなら、わかりやすいように言ってやる。もう一度、同じことを言ってみろ。そう言ったのさ。穏やかなふりして短気な、赤頭巾」
「……貴様、リッド・バルディア。他国の嫡子だからと下手に出ていれば、俺に向かって随分と舐めた口を叩いてくれたものだ。覚悟はできているんだろうな」
獣化したカムイはすでに10mに届こうという巨体であり、彼の咆哮のような怒号と同時に狂風が吹き荒れ、大地が揺れ、空気が震えていく。
しかし、こんな虚仮威しで怯むようでは『バルディア』の嫡子は務まらない。
僕は思いっきり空気を吸い込むと、カムイに凄み返した。
「僕が舐めた口を叩いた、だって。先に舐めたのはそっちだろ」
怒号と同時に暴風が竜巻となって周囲を吹き荒れ、大地が嘶き、瞬く間に曇天となって稲光と雷鳴が轟いた。
「ぬぅ……⁉」
カムイが魔波に怯んで一歩たじろぐと、僕はその分だけ足を進めた。
「僕が『恵まれた領地のぼんぼん』だって? ふざけるなよ、赤頭巾。ズベーラが、お前達部族長が、ガレスとエルバの率いる旧狐人族を野放しにした結果、バルディアが一体どれだけの被害を被り、永遠に消えない悲しみと苦しみの傷を負わされたこと。知らないとは言わせない」
狭間砦の戦いで、クロスをはじめとする多くの騎士達が命を落とした。
彼等にも帰りを待つ人達が、愛する人達が沢山いたんだ。
新婚夫婦だった者。
子供が生まれたばかりの父親。
結婚を控えていた者。
年老いた両親を支えていた者。
妻の懐妊を知ったばかりの夫。
帰りを待つ恋人がいた者。
悲しみの数を挙げればきりがない。
だが、その悲しみを憎悪に変えてしまえば、憎しみの連鎖となる。
そうなれば、もっと沢山の人が不幸になってしまう。
だからこそ、バルディアは悲しみを憎悪にするのではなく、耐え忍んで乗り越える道を選んだんだ。
それだけの人達に困難を与えた、その責任の一端を持つであろう部族長が言うに事欠いて『バルディアを恵まれた領地』だと。
ふざけるな。
僕の故郷を、守るべき大切な人達を踏みにじったというのに。
例え一時の感情から出た言葉としても、断じて許せるものか。
怒りのままに僕はさらに前に進み、カムイの足下から彼の顔を指差した。
「そして、お前の言うぼんぼんが、どれだけ己の無力感に苛まれ、悩み、悔やんだか。お前に理解できるのか」
人の死に、人はどうすることもできず無力だ。
受け容れるしかない。
でも、それでも思う。
あの時、何か一つでも違えば、あの人は死ななかったのではないか、と。
今でも、狭間砦の戦いを、僕は夢に見てうなされる。
そして、夢から覚める度、あの時ああしていれば、こうしていればと無意味とわかっていても考えてしまう。
「理解できるわけがないし、理解してもらおうとも思わない。人のことを……知ったような口で語るなぁああ」
魔力が感情に呼応したのか、吐き捨てると同時に再び僕を中心に魔波が竜巻となって吹き荒れ、巨大化しているカムイを吹き飛ばした。
「ぐぉおおおお⁉」
彼が仰向けに倒れると大地が揺れ、地響きが轟き、凄まじい土煙が舞い上がった。
「はぁはぁ……どうだ。思い知ったか、赤頭巾」
僕が肩で息をしている間に曇天は晴天に戻り、荒れ狂っていた竜巻と稲光や雷鳴も消えていた。
「リッド様、大丈夫ですか」
やってきたのは近くで僕達のやり取りを見ていたカルアだ。
「うん、この程度はなんてことないさ。それよりも……」
彼に答えながら赤頭巾の方を見やると、土煙の中からぬうっと灰色の影がそびえ立っていく。
さて、部族長がこの程度でやられるとは思えない。
こうなれば、やれるとこまでやってやる。
父上、ごめんなさい。
カムイの言葉は『バルディアの嫡子』として聞き捨てならず、断じて引くわけにいきません。
一騒動起きそうですが、帰ったらちゃんと謝ります。
僕は心の中で謝罪すると、身体強化烈火を発動した。
「こうなったら実力行使だ。怒りで我を失っているのかなんなのか知らないけど、カムイの目が覚めるまで、いや、僕達のことを認めさせるよ」
「畏まりました。俺もやれるところまでやってやります」
カルアはそう言って頷くと「元父上殿、カムイ・マジェンタ」と叫んだ。
「あの時、俺はあんたの行いすべてを否定し、憎んだ。だが、今となっては、あんたの苦悩もわかる。だからこそ、俺は俺の道を進む。そして、今日がその決別の時だ。獣人族らしく、いや、一人の男として拳で向き合うときだ」
え、言葉じゃなくて、拳で向き合うの? やっぱり、獣人族の考えは僕と違う気がするなぁ。
僕が呆気に取られている間に、カルアは獣化を続けてカムイほどではないにしろ体が大きくなって白い体毛に覆われていく。
「ふふふふふ。あははは、はははは……」
突然に聞こえてきた笑い声と合わせ、灰色の影の肩が揺れ始める。
程なく、獣化したカムイの熊顔がぬっと土煙の中から現れた。
「なるほど、面白い。リッド殿がエルバ・グランドークを倒したという話、正直なところ半信半疑であった。しかし、どうやらまったくの出鱈目というわけでもないようだ」
「……部族長のカムイ殿にそう仰っていただけたこと、光栄です」
まるで憑き物が落ちたかのように、カムイの声色は落ち着いていた。
言葉遣いも穏やかだった時に戻っている。
「ふふ、そう構えるなリッド殿。生意気、いや、生意気すぎる小童に久しぶりに会ったせいか、どうやら少々感情的になりすぎてしまったようだな。先程の無礼な私の発言、謝罪しよう」
「あ、いえ。私も失礼な発言をいたしましたから謝罪いたします。『おあいこ』ということでよろしいでしょうか」
少々感情的って、少々どころじゃなかったよ。
心の中で突っ込みながら、僕は自分の発言を振り返って決まりの悪い表情で頬を掻いた。
部族長の獣化をした姿を目の当たりにして、いくらなんでも『赤頭巾』は失礼すぎる。
怒りで我を忘れていたのはカムイだけじゃない、僕自身もだった。
「構わんよ。しかし、『赤頭巾』とはなかなかに面白い呼び名であった。覚えておこう」
「あ、あはは。わ、忘れてください」
僕が苦笑していると、カムイの身長が小さくなってカルアの獣化と同等の大きさになった。
「ところで、カルア。貴様、俺の道を進むとか、決別とか、一人の男として拳で向き合おうと言っていたな」
「あ、あぁ。そのとおりだ」
「良いだろう、リッド殿に頼まれた獣化訓練の件もある。お前の決意、拳で見せてもらおう。こい、全力で打ってこい」
カムイは不敵に笑うと、カルアの前に出て自らの腹を指差した。
「どうした、威勢が良いのは口だけか」
「ぬかせ、やってやる」
突拍子もない発言に呆気に取られていたカルアはハッとすると、手を拳に変えた。
しかも、よく見れば魔力を込めている。
あ、あれは『ゼロ距離大地破砕拳』じゃないか。
本来、大地破砕拳は土属性の魔力を拳に込め、魔力弾として放つ魔法だ。
カルアが得意とする攻撃魔法であり、鉢巻き戦で僕が苦戦した技でもある。
ちなみに、教えてもらったから僕も使用可能だ……って、今はそんなことは重要じゃない。
あの技は至近距離であればあるほど破壊力を増すという特性がある。
いくら部族長のカムイであろうと、バルディア第二騎士団精鋭の一人である鍛え抜かれたカルア。
それも上位トップ3に入るであろう彼の大地破砕拳をまともに受けたら、ただじゃ済まない気がする。
「ちょ、ちょっと待っ……」
「これが今の俺の全力だ。受け取れ、親父」
僕の制止もむなしく、カルアはカムイの腹に向かって拳を力の限り、全力で打ち込んだ。
次の瞬間、カムイを中心に大爆発が発生。
強風が吹き荒れ、もうもうと土煙が立ち上がった。




