親子の確執
「お、お取り込み中のところ申し訳ありません。ご家庭の問題を尋ねるのは大変恐縮なんですが、少々事情をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
殺伐とした空気が漂う中、部族長のカムイに向かって問い掛けた。
カルアの方がすぐに答えてくれそうではあるけど、ここは状況と立場を考え、あえてカムイに尋ねたのだ。
それにしても、優等生の家庭訪問に行ったら実は家庭崩壊していたという事実を目の当たりにした学校の先生みたいな修羅場だ。
いや、学校の先生なんてしたことないけどさ。
「リッド殿、言葉には気をつけてもらおう」
「うぐ……⁉」
カムイの怒号が草原に轟いた。
魔波による狂風、凄まじい声量で空気が震えて思わず怯んでしまう。
なんて迫力だ。
これがさっきまで穏やかな雰囲気だった部族長カムイ・マジェンタと本当に同一人物なんて、目の前にしても信じられない。
「奴と私は親子ではない。カルアが言ったはずだ。『元』だとな」
「元……ですか。じゃあ、どうして親子の縁を切ったのでしょう」
「ち……」
舌打ち……⁉ いま、カムイは間違いなく舌打ちした。
それも鬼の形相で。
「思い出すのも忌々しい。バルディアが奴隷を保護として称して迎え入れる数ヶ月前のことだ」
カムイは吐き捨てると、カルアを指差した。
「こいつは部族長の息子でありながら私の決定に異を発した挙げ句、発言が矛盾しており部族長に相応しくないと豪族達の前で断じたのだ」
「な……⁉」
僕は目を見開いた。
部族長の嫡男が決定に異を発するだけならまだしも、豪族達の前でそんなことをすれば極論すれば謀反や反旗を疑われる行為だ。
第二騎士団で分隊長として働くカルアは、決してそんな行動をする子じゃない。
むしろ、常に冷静沈着で、勝ち気なオヴェリアやミアといった面々を押さえてまとめる役回りが多い。
口数こそ少ないけど礼儀正しくて仲間想いだし、僕との鉢巻き戦における彼の様子を思い返してみても熱血漢であることは間違いない。
そんな彼が部族長の子というだけでも驚きなのに、豪族達の前で部族長に異を唱え、相応しくないと断じた。
一体、二人の間にどんなやり取りがあったというんだろうか。
「元お父上殿、貴方は常日頃言っていました。『力ある者が弱者を導くべき』だと。だからこそ当時の私は、日々領内を回って手が行き届かない小さな村を援助しておりました」
「また、その話か。あの時、言ったはずだ。お前は部族長の子である以上、大局を見ろと。一つの命と百の命という天秤を前にした時、どんなに辛く、厳しい判断であろうと誰かが決断を下さねばならんのだ。しかし、誰にでも決断できることではない。故に力ある者が決断し、弱者を導かねばならん。それが部族長という立場であり、責任だとな」
草原に再びカムイの怒号が轟き、魔波が狂風となって吹き荒れた。
だが、カルアは怯む様子なく睨み返している。
「だから彼等を、アレッド達を狐人族の企みに乗って奴隷に出すことが許されたと言うつもりか。ふざけるな、部族長であれば領民を救う方法をもっと考えるべきだった。他部族の力を借りて、でもだ」
「ふざけるなだと、どの口が言うか。他部族に借りを作れば、ズベーラ国内の均衡は崩れる。そうなれば、もっと多くの領民が危機に瀕することになるのだぞ。何度も言わせるな、部族長という立場と責任は貴様が思うほど軽くはない」
カムイの言い放った部族長という立場であり、責任……父上の言葉、過去のやり取りがふと脳裏をよぎった。
『お前もいずれ、命の天秤を前にすることもあるはずだ。その決断を下す覚悟は常に持っておけ。辺境伯家の息子としてな』
『はい。でも、僕は天秤を前にしても、必ず両方を救う方法を最後まで探してみせます』
僕がそう答えると父上は笑っていたけれど、本来ならカムイとカルアのようになっていてもおかしくはない。
親子でありながらいがみ合う二人の様子は、もう一つの、僕が記憶を取り戻さなかった時の姿だったかもしれないんだ。
「現実を見つめることなく、代案もなく、覚悟もなく、理想だけなら誰でも語れる。だから貴様は小童なのだ」
「……確かに当時の俺はそうだったかもしれない。しかし、俺はアレッド達と見たんだ」
「見た、だと……?」
カムイが眉をピクリとさせた。
「あぁ、そうだ。あんたに歯向かい、俺はアレッド達共にバルストに行った。そこでは、人が人として扱われず、獣人族ともなれば生きていても死んでいる者のように扱われたんだ」
「それがどうした。私の謹慎命令に従わず、嫡男という立場を無責任に捨て、出て行った結果であろう。そんなこと最初からわかっていたことではないか」
「違う、断じて違う。机上の数字だけで、人の命をやり取りするなんて絶対にあってはいけないことだ。それを俺は肌身で知った、そして、運命の悪戯か。あんたの言葉を『本当の意味で実践している人』に、俺は出会えたんだ」
「なんだと……?」
額に青筋を走らせ、今にも血管が切れそうな形相となるカムイ。
カルアはゆっくりと、こちらに振り向こうとしている。
ちょ、ちょっと待って。気持ちは凄くうれしいよ。
冷静沈着かつ元部族長の嫡男だった君にそんなことを言われるなんて、とっても光栄さ。
でも、でも、今はこっちを見るときじゃない。
小さく首を横に振って、駄目、名前を言ったら大変なことになりそうだから、今は駄目と必死に合図を送る。
しかし、カルアはふっと表情を崩した。
それも、今までの中で一番の笑顔である。
「リッド・バルディア様に、だ。あの人はあんたと違うぞ。見せかけや言葉だけの『力』じゃない。本当の強さというものを、俺に教えてくれたんだ」
『ブチ』
その瞬間、どこからともなく何かが切れたような音が聞こえた気がした。
同時にあれだけ吹き荒れていた狂風が止んで、辺りに静寂が訪れる。
い、一体、何が起ころうとしているんだ。
「いいだろう、カルア。貴様がリッド・バルディアに何も言わず、俺の前にのこのこと顔を見せた時が一度目」
カムイの声色が明らかに低く、棘のあるものに変わった。
しかも、僕の名前をフルネームで呼び捨てにしている。
いや、それ以前に一度目ってなんのことだろうか。
とりあえず、良い予感はしない。
「俺に向かって『面の皮が厚い』だと……? あの時が二度目だ」
彼がそう呟いた瞬間、草原に再び魔波が吹き荒れる。
でも、今度はさっきまでの比じゃない殺気と魔力に満ちあふれている。
身体強化を発動しないと、立っていられない程だ。
「そして、たったいま三度目を迎えた。穏やかな俺が散々言ったはずだ。それすら分からぬ阿呆など、生かしておく理由はない」
「あんたは、やっぱり短気だな。俺とは大違いだ」
いや、カルア、君も十分短気だよ。
二人のやり取りに突っ込んでしまうが、目の前で起きている事態はとんでもないことになっている。
カムイは獣化を発動して一部の服が裂け、頭髪は赤毛のまま剛毛のように逆立ち、全身が薄い灰色の毛に覆われていく。
顔も鼻先が伸び、口が深く割れて大きく鋭い歯が露わになり始めた。
もはや穏やかだった、あの優しげな瞳はどこにもない。
何よりも驚きなのは、ただでさえ大きかったカムイの体がどんどん大きくなっていることだ。
すでに彼は五メートルは超えていようかという身長で、ともかくでかい。
それなのに、まだ巨大化が止まる気配がないのだ。
つい先ほどまで日が当たっていたはずの僕とカルアの場所は、彼の影で薄暗くなっている。
まるで、犬と熊が戦う漫画みたいな状況だ。
まずい……まずい、まずい、まずい。
これは、まずい。
カムイが発する魔力は、エルバに勝るとも劣らない量だ。
このまま衝突したら大変なことになる。
「ちょ、ちょっと。落ち着きましょう。カムイ殿もここは冷静になりましょう。カルアの気持ちも理解できる点はあるはず……」
獣化を習うだけの話が、どうしてこんなことになってしまったのか。
慌てて二人の間に割って入った。
しかし、カムイは殺気の籠もった目で睨み付けてくる。
「黙れ、小僧……!」
「は……?」
仲裁に入ったとはいえ、僕は怒鳴られて呆気に取られてしまう。
カムイはきょとんとする僕を見据えると、鼻を鳴らして吐き捨てるように続けた
「貴様のような恵まれた領地で育ったぼんぼんに、我ら部族の苦しみが、俺の苦悩が理解できるのか。理解できるわけがあるまい。死にたくなければ、そこをどけ」
『ブチ』
「……なんだって? もう一度、仰ってもらえますか」
鬼の形相ならぬ、恐ろしい熊の形相となったカムイの咆哮に近い怒号が轟き、草原に突風が吹き荒れる。
でも、そんなことは些細なことだ。
だって今度は、僕の頭の中で何かが切れた音のほうが大きく、そしてとても良く聞こえたからだ。




