熊人族領にて、カムイからの意外な提案
「リッド殿。待っていたぞ」
「いえ、こちらこそ。再びお会いできて光栄です」
熊人族領内にある部族長屋敷に到着すると、熊人族部族長カムイ・マジェンタが豪族達と一緒に歓迎してくれた。
カムイは牛人族領の会談後、水田の検地をその目で確かめた後、僕達を迎える準備と水田開発に向けた候補地選定があるということで先に熊人族領へ出発。
こうして、出迎えてくれたわけだ。
ちなみに、熊人族領は牛人族領とよく似た立地で広い平野が多い。
小麦の収穫時期になると、どこまで黄金色の小麦が広がる光景を見ることができるそうだ。
残念ながら、いまは時期じゃないけどね。
でも、移動中、車窓から領内を見ていた様子では、牛人族領よりも木々や花が多い印象を受けた。
事前情報だと、小麦だけではなく山の麓で果樹園も営んでいるところもあるそうだ。
文化的にも農業の傍らで花を育てる習慣もあるらしく、道中にあった熊人族の村では色鮮やかな花々を目にする機会もあった。
牛人族領と熊人族領、二領ともズベーラ国内の食糧事業を支える農業を営み、広大な平野を持つという領地。
でも、やっぱり、細部を見ていくと違う文化が見えてくるのはとても面白い。
熊人族は牛人族同様に身長が高くて、成人男性はどちらの部族も同じぐらいの身長な印象を受けた。
ただ、牛人族の成人女性は150~200cmという感じで幅があったけれど、熊人族の成人女性は180cmは超えていそうな人ばかり。
ただし、女性の身体的特徴は牛人族の女性が総じて大きいみたい。
熊人族領民の服装は、深い青を基軸とした着物に幾何学模様が全体に刺繍で施されているものだ。
加えて額に着物と同じ色と幾何学模様が刺繍された鉢巻というかバンダナを巻いていた。
幾何学模様は無病息災や魔除けを込めているらしい。
握手をするカムイの服装も基本的には領民と同じ雰囲気だけど、彼は鉢巻はしていない。
代わりというべきか、毛皮のついた外衣を羽織っている。
豪族達も同じように外衣を羽織っているから、権威というか身分の象徴なのかもしれない。
「ところで、リッド殿。一つ尋ねてよいか」
「はい。なんでしょうか」
「……何やら、皆の雰囲気が気まずそうに感じられるが、ここに来るまでに何かあったのか?」
「あぁ、それは……」
クリスを横目でちらりと見やると、彼女は決まりの悪そうな顔で頬を掻いた。
僕達一行が乗っていた被牽引車内で何が起きたのか、詳しく言うつもりない。
でも、少なからず移動が一時中断され、僕とクリスがとある理由から体を洗って着替えることになってしまったのだ。
主に、僕のせいで。
体を洗う際、魔法で水と火を組み合わせることで簡易シャワーと即席お風呂を用意できると閃いた僕は、まず自分で試して有用性があることを確認。
それから、お詫びの気持ちにとクリスにも使ってもらった。
途中まで大好評だったんだけど、酔いの余韻が残っていたせいで魔力制御が途中で乱れてしまい、大変なやらかしをしてしまったのだ。
ティンクとエマに叱られ、カペラには呆れられ、アモンは顔を真っ赤にし、僕はクリスの顔をまともに見られなくなってしまう事態が発生。
僕はクリスに謝罪し、彼女も許してはくれた。
酔いの余韻があるときは、魔法を使うのを極力やめようと僕は決意する……いや、絶対。
しかし、気まずい雰囲気のまま移動は再開。
熊人領に到着したことに合わせ、気持ちを切り替えたつもりだったんだけどなぁ。
僕は雰囲気を一新するべく咳払いし、畏まった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、この後の会談に支障はありませんので大丈夫です」
「そうか。まぁ、そう言うなら、そうなのだろう」
カムイはさらっと流すと、不敵に口元を緩めた。
「さて、リッド殿、アモン殿。我が領でも文化交流を楽しんでもらおう」
「あはは……。やっぱりそうなるんですね」
苦笑すると、カムイは「無論だ」とさも当然のように頷いた。
「狸人族、牛人族ときて、熊人族だけ文化交流をしないというのは外聞的にもよろしくなかろう」
「そ、そうですね」
社交辞令で相槌は打ったけど、そうなると、全部の部族領で文化交流することになってしまう。
熊人族領で、この流れがある程度落ち着くといいんだけどなぁ。
「それから、よくよく考えればクリスティ商会の代表であるクリスティ殿も来賓だ。貴殿の服も用意させてある。この機に触れてみるとよい」
「え、私もですか」
クリスは目を瞬くが、ハッとしてすぐに頭を振った。
「いえいえ、お気になさらず。こうして、この場に呼んでいただけただけでも光栄ですから」
「ほう、貴殿は我らのもてなしが気に入らぬと申すつもりか」
カムイが鋭い目付きになると、周囲の豪族達もじろりと彼女を見やった。
熊人族は身長が高くて体格もいいから、言葉以上に圧がある。
横で見ているだけでも、かなり怖い。
「そ、そんな滅相もございません。決してそのような意味では……」
クリスは困惑した様子でたじろいでいる。
どう断ろうかと、彼女はいま必死に考えを巡らせているんだろう。
でも、カムイが急にこんなことを言いだした狙いは、多分あれだな。
ズベーラ全域、レナルーテ、バルスト、帝国東側という膨大な商圏を構築しつつあるクリスティ商会。
その代表であるクリスに熊人族の民族衣装を着てもらうことで、輸出の足がかりにしようとしているんだろう。
バルディアがクリスやマチルダ陛下に化粧品を使ってもらうことで、広告塔になってもらった方法と考え方は似ている。
帝国出身の貴族である僕と、アストリア出身のエルフで大商会となりつつある代表のクリス。
僕達が二人が同時に部族領を訪れるというのは、そうあることじゃない。
そして、公的な場で民族衣装に袖を通すこともなかなかないだろう。
国内外に自領の民族衣装を売り出すには、よい切っ掛けになるだろうし、宣伝力もある。
最初、僕とアモンに民族衣装に袖を通すよう言いだした狸人族部族長ギョウブ。
おそらく、彼もそうしたことを狙っているんだろう。
その意図に気付いたハピスが乗っかり、カムイがクリスにも目を付けた、というところかな。
付け加えるなら、ここで僕がすべきことは決まっている。
僕は咳払いをし、目を細めた。
「クリス、カムイ殿がここまで仰っているんだ。ここは好意に甘えようよ。クリスティ商会が熊人族、ズベーラの文化を尊重する商会ということを知ってもらう機会にもなるはずさ」
「えぇ……⁉」
「うむ、リッド殿は話がわかる」
カムイが相槌を打って笑い出すと、クリスがすっと顔を寄せて僕に耳打ちをしてきた。
「ちょ、ちょっと、リッド様。どういうおつもりですか」
「……死なば諸共、旅は道連れ世は情け。って言うでしょ。僕達が民族衣装に着替えた姿を、いつも楽しんでいたじゃないか」
「確かに、それは一理ある」
淡々とした口調で返すと、僕の隣に立っていたアモンが深く頷いた。
僕達の冷たい反応を前に、クリスは「あう……⁉」と、ぐぅの根もでない様子で自らの胸を押さえた。
「し、しかしですね……」
彼女はすぐに気を持ち直してと言葉を続けようとするが、僕は被せるように彼女へ耳打ちした。
「それに両家両国の関係性、延いてはクリスティ商会を大きくするために必要なこと。民族衣装に着替えるだけで信頼と好意を得られるんだから安いものでしょ。これもお仕事。損得勘定で考えるべきだと思うけど?」
「うぐ……⁉」
『損得勘定』。
商売人である彼女に、これほど効果覿面な言葉はない。
実際、民族衣装に着替えることで先方との友好関係が築けるなら、実業家や為政者であれば喜んで着るべきだろう。
「それに、あの民族衣装。クリスが着たらとっても似合うと思うよ」
「え?」
耳打ちしながら、カムイや豪族達の側に控える熊人族の女性を見やった。
青を基軸とした幾何学模様が施された着物は、とても目を引く魅力がある。
加えて高身長かつすらっとした体型で着こなす姿は、凜としていて綺麗だ。
クリスも身長があるし、美人だから着こなした姿はとても様になるだろう。
「ね、だからここは先方の言うとおりにしようよ」
「……わかりました。まったく、リッド様は本当におませですよねぇ」
「え……?」
僕が呆気に取られていると、クリスはやれやれと肩を竦める。
次いで、カムイと豪族達に向けて畏まった。
「カムイ様。ご厚意、ありがたく頂戴いたします」
「よい決断だ。それでこそ商会の代表だな」
彼女の答えを聞いて満足そうにするカムイだが、彼は「あぁ、そうだ。一つ言い忘れていた」と素知らぬ顔で呟いた。
「我が領地では絵以外にも、木彫りも盛んでな。会談は牛人族である程度した故、今日は文化交流による絵と木彫りを貴殿達は楽しみながら体を休めるが良い」
「え、えっと。絵はわかりますが、木彫りを楽しむというのは……?」
あれかな、旅行先で地域独特の文化を体験できる的な奴かな、そうだよね。
若干、淡い期待を抱きながら尋ねるが、カムイはにやりと口元を緩めた。
「無論、貴殿達の姿を絵と同様に木彫りで作製することに決まっているではないか。木彫り被写体になれることなど、そうあることではない。これも文化交流と思って楽しんでくれたまえ」
「えぇ⁉」
僕、アモン、クリスは呆気に取られるが、カムイはご機嫌な様子で部族長屋敷へと歩き出した。
その後、僕達は熊人族の民族衣装に着替え、絵と木彫りの被写体となる。
ちなみにその間、カペラとエマが用意されていた水田候補地と日程の確認をしてくれていたらしい。
いやいや、僕達も混ぜてよ。
絶対、そっちのほうが重要でしょうに……。
こうして、熊人族領で歓迎(?)された僕達は、到着初日を文化交流による友好関係構築を中心に過ごす。
そして、会談と水田候補地の視察、獣化魔法の教授は翌日と翌々日に行われることになった。




