手紙と飴
『拝啓、リッド・バルディア様。
いかがお過ごしでしょうか。
此度はカペラ・ディドールを通すという無作法な手段を取りましたこと、まずは深くお詫び申し上げます。
カペラを通した理由は、ご推察のとおり、バルディア家の皆様に無用なご心配をおかけせぬよう配慮したものでございます。
しかし、獣王戦で開かれる前哨戦の場においてリッド殿が敗北した場合、将来的にバルディアと時の獣王を輩出した部族と縁談が行われるという話を聞いて驚愕いたしました。
従って、急ぎ筆を執った次第でございます。
リッド様はエリアス陛下の御前や私達を前にしてこう仰いました。
ファラ王女に出会った瞬間、一目惚れいたしました。
どうか僕のお嫁さんになってください。
必ず幸せにしてみせます。
そして、ファラはこう答えました。
私もリッド様をお慕いしております。
もし、婚姻できるのであればこれほど嬉しいことはありません、と。
幼いながらも二人が相思相愛であることは、両家両国にとって良い関係を築く下地になることは間違いございません。
しかしながら、二人の未来に影を落とす無粋な輩に情けや容赦をする必要は全く、毛頭、微塵も無いかと存じます。
リッド様が前哨戦に負けるようなことがあれば、レナルーテ王族の血筋が他国に渡りかねません。
これは両家両国の関係にも影を落としかねない大問題でございます。
万が一そのようなことがあれば、婚姻関係はそのままにファラはレナルーテへと帰郷させる所存。
その上で、如何にズベーラが無粋な真似をしたのか。
お二人が想い合う微笑ましいやり取りを各国に発表いたそうかと存じます。
念のため、帰郷の準備は既に整えてございます。
追伸、エリアス陛下もこの件は内々に承知させました故、覚悟を以て臨まれますよう、心より願っております。
しかし、これらは全て、万が一、があった場合に備えてのことに過ぎません。
リッド様であれば、必ず打ち勝てると信じております。
どうか、ご武運を。
エルティア・リバートン』
刀で書いたかのような鋭く、でも綺麗な筆跡の文面に目を通すにつれ、顔からサーッと血の気が引いていった。
おまけに手紙が氷のように冷たい気がして、指先が震えてしまう。
読み終える頃には、僕は真っ青になって唖然とした口からメモリーが、いや、魂が抜けていくような感覚さえ覚える。
エルティア母様、やっぱりめっちゃ怒ってる。
しかも、手紙の中にある僕とファラのやり取りは三年以上前のものだ。
記憶【メモリー】と文面を照らし合わせてみるが、一言一句同じである。
その意味に薄ら寒さを感じ、僕は喉を鳴らして息を飲んだ。
それにしても、この一文である。
『ファラ王女に出会った瞬間、一目惚れいたしました。どうか僕のお嫁さんになってください。必ず幸せにしてみせます』
あの時の気持ちに嘘偽りはなかったし、今もない。
でも、エリアス陛下の命令だったとはいえ、皆から注視されている状況でのこの発言。
今思い出しても、顔が耳まで熱くなってくる。
うあぁ、暑い、暑い。
羞恥心でいたたまれなくなって、僕は溜まらず頭を抱えて悶えた。
エルティア母様は、暗部を統轄するリバートン家の出身。
情報の重要性をよくよく理解しているから、絶対に紙にでも記して保存しているんだろう。
下手したら、僕がレナルーテで過ごした間の発言全てを記録しているのかもしれない。
『当たり前です』
脳裏にエルティア母様の冷たい声が響いた気がして、背筋に戦慄が走った。
慌てて背筋を伸ばして周囲を見やるが、当然誰もいない。
カペラやティンクを始めとする皆も、気を遣って前の席に移動している。
間違いなく、僕の気のはやり、勘違いだろう。
「リッド様、どうかされましたか?」
気配を察したのか、前の席に座るティンクが顔を覗かせた。
僕はハッとして誤魔化すように後頭部に手をやって苦笑した。
「あ、いやいや。何でもないよ、あはは……」
「そう、ですか? もし、気になることがあればいつでも仰ってください」
「うん、ありがとう」
ティンクが前を向くと、僕は胸に手を当てて深呼吸をする。
そして、再び手紙に目を落とした。
改めて読んでみても、エルティア母様の怒りは相当に凄まじいことが伝わってくる。
そもそも、僕とファラの微笑ましいやり取りを大陸中に公表するって書いてくるあたり、僕に対しても容赦がない。
諸外国にズベーラの行いが無粋であることを周知させ、世論を誘導する、というのが表向きの主張。
でも、本当の目的は僕に対する圧、脅しなんだろうなぁ。
貴族社会は面子を重視する部分も強い。
相思相愛であった相手を守れなかったとなれば、僕の名前は地に落ち、下手すればバルディアの名に取り返しのつかない傷がついてしまう。
その前に、羞恥心で僕が死んでしまうかもしれないけど。
何より目を見張るのは、万が一のことがあれば『婚姻関係はそのままに、ファラを帰郷させる』ということ。
そして、『エリアス陛下もこの件は内々に承知させました』という文言だろう。
エリアス陛下に承知させたって。
エルティア母様のことだ。
きっと無表情のまま、理路整然とエリアス陛下を正論で理詰めでもしたのかもしれない。
なんにしても、これらが本当に実施されれば間違いなく両家両国の関係は悪化する。
レナルーテとバルディアの間で結ばれている自由貿易や税制上の優遇措置も、きっと見直されることになるだろう。
そんなことになれば、断罪回避に向けてやってきたこと全てが水泡。
回復しつつあるとはいえ、母上の治療にも影響が出るだろう。
帝国からはマチルダ陛下、レナルーテからはエルティア母様、か。
どちらにしても、前哨戦で負けるようなことがあれば、断罪回避は間違いなく遠のいてしまう。
勅命を下す女帝ことマチルダ陛下、王命を下す獣王ことセクメトス、大命を下す影の女王エルティア母様。
どうして、どうして僕の周りには、こんな強かな女性ばっかりなんだ。
味方なら心強いよ。
でも、中立的な立場の人ばかりだから、ひとたび立場が変わると手強すぎて頭がどうにかなりそうだ。
「リッド様。何やら手紙を見て唸ったり、頭を抱えたり、俯いたりしていますが、本当に大丈夫ですか?」
「え……?」
カペラの声にハッとするとアモン、ティンク、クリス、エマが首を傾げて訝しんでいた。
「あ、あはは。いや、エルティア母様の手紙を読んでいたらマチルダ陛下やセクメトスのことを思い出してね」
「あぁ、なるほど。皆様、一筋縄ではいかない方達ですからねぇ……」
僕の言葉に深い相槌を打ったのはクリスだ。
彼女はそう言うと、何やら遠い目をして車窓から大空を見つめはじめた。
クリスはマチルダ陛下、エルティア母様、セクメトスとも面識があったはず。
きっと、彼女にも思うところがあるんだろうな。
数々の商人や貴族と商談をしている彼女が言うぐらいだから、マチルダ陛下達は大陸指折りの強かな女性なんだろう。
いや、こうなると女傑と言っていいかもしれない。
まぁ、クリスやティンク達も十分女傑だとは思うけど。
僕は苦笑しながら震える手で、手紙をひっそりと封筒の中に戻した。
各部族領をこのまま順調に回れたとして、前哨戦に向けた訓練の時間を取れるのは一ヶ月あるかないかだろう。
断罪回避のため、バルディアの未来のため、気を引き締めよう。
そう思った瞬間、車内が激しく揺れた。
牛人族領は平地とはいえ、道が綺麗に整備されているわけじゃない。
でも、その揺れは、僕が押さえ込んでいた『酔い』を呼び起こすには十分だった。
「う、うぅ……⁉」
頭がぐらりと揺れ、視界がぐにゃりと歪み、座っているはずなのに体が宙を舞う感覚に襲われた。
やばい、今までで一番やばい。
なんで、どうして、ここまで込み上げてくるんだ。
咄嗟に口を両手で押さえたその瞬間、慈愛溢れる笑顔を浮かべた牛人族の女性達が脳裏を過った。
『リッド様。どうか朝食はたんと召し上がってくださいませ』
間違いなく、原因はあれだ。
断りきれず、いつもより大盛りになった朝食のせいだ。
「……⁉ リッド様、大丈夫ですか⁉」
「う、う……ん。そ、それより……」
「は、はい。ちょっとお待ちください」
カペラとティンクが僕の必要とするものを察し、慌てて動き出した。
「リッド様。私、飴玉持っていますよ。口を開けてください」
一方、クリスは飴玉を手に持って僕の前にやってくると、その飴玉をそっと口元に差し出してくれた。
でも、僕は……。
車内で悲鳴が上がって大騒ぎになるなか、僕達を乗せた木炭車は何事もなかったかのように牛人族領を抜け、熊人族領に入っていくのであった。




