リッドとトルーバ
「……なるほど。生意気な口を叩くだけの実力はあったようだな」
「はぁ、はぁ……。ありがとう、ございました」
獣化の訓練が終わり、トルーバは肩で息をしながら一礼すると尻餅をつくようにへたり込んだ。
「トルーバ、大丈夫⁉」
「はい。ご心配には及びません」
見学していた僕が慌てて駆け寄ると、彼は座ったまま、にこりと微笑んだ。
ハピスは獣化を実演しながら丁寧な説明をしてくれたが、トルーバに教える時の訓練はかなり厳しくて苛烈だった。
でも、トルーバは何度も倒されても決して笑みを崩さず、ぼろぼろになりながらも立ち向かっていったのだ。
『やり過ぎではありませんか』
思わず訓練中に声を掛けてしまったが、ハピスは冷徹な表情で首を振った。
『教える時間が短い故、こうするしかない』
『いいんです、リッド様。これぐらい大したことありませんから』
トルーバはそう言って不敵に笑い、ハピスの厳しい指導に食らいついていた。
牛人族の獣化は、他の部族よりも魔力消費量が大きいけど、段階によって身体能力と同時に体を巨体化することが可能になるそうだ。
実際、トルーバやベルカランが獣化すると体格が大きくなる。
身長で例えるなら+50cm程度だろうか。
「……トルーバだったな。ところで、お前は本当に豪族出身ではないのか?」
ハピスは眉間に皺を寄せ、訝しむように僕たちを見据えてくる。
僕とトルーバは顔を見合わせて、意図がわからずに目を瞬いた。
「私はそう聞いております。トルーバ、どうなの。何か心当たりはある?」
「いえ、私は平民の生まれです。母は生まれて間もなく亡くなったので、その出生はわかりません。しかし、父親は間違いなく平民のはず。それに、私が奴隷になる時、あいつは『良い酒代になる』と喜んでいましたから」
彼が過去を割り切った様子で淡々と告げると、ハピスは納得した様子で「そうか」と相槌を打った。
ズベーラからバルストへ奴隷として売られ、バルディアで保護した獣人族の子たち。
彼らが奴隷落ちするまでの経緯は、身内に売られたり、村の口減らしだったり、孤児が人狩りに遭ったりと、大体が似たりよったりだ。
もっとも、トルーバはベルカランが口減らしで売られると聞き、自らも奴隷に志願したらしいけど。
僕たちがその場を立ち上がると、ハピスはトルーバを見据えて口元を緩めた。
「お前は、同年代の豪族子息たちと比べても優秀だ。加えて、気概と貪欲な向上心もある。どうだ、その気があるなら私の養子になってみるか?」
「な……⁉」
突拍子もない発言に、僕は目を丸くした。
ハピスには子供がいなかったはず。
もし養子になれば、トルーバは次期部族長の最有力候補だ。
将来、バルディア家の騎士団出身であるトルーバが牛人族の部族長になったとなれば、政治的な影響力も相当なものになるだろう。
しかし、『トルーバ』という何者にも代えがたい優秀な人材を失うことになる。
損失で考えれば、これもまた相当なものだ。
何よりも、僕が彼を手放したくない。
でも、ただの豪族ならいざ知らず、部族長であるハピスの申し出だ。
無下に断るわけにもいかない。
「あはは。ハピス殿、些か冗談が過ぎますよ」
僕は笑みを浮かべ、聞き流そうと頬を掻いた。
しかし、ハピスは真顔のままこちらに視線を向ける。
「リッド殿。他の部族長ならいざ知らず、私は無駄話や冗談が嫌いでな。これは、本心だよ」
「……だとしても、トルーバはバルディアにとって大事な騎士の一員。私にとって腹心の一人であり、友であり。何よりも家族同様、かけがえのない存在です。『はい、そうですか』と、この場で頷けるわけがありません」
笑顔のまま凄み返すと、ハピスは「ほう……」と興味深そうに相槌を打った。
「まさか、帝国人のリッド殿が他種族である牛人族をそこまで重用しているとは驚きだ。帝国では『純血主義』という思想も根強いと聞き及んでいる。口ではそう言っても、いずれ邪魔になれば第二騎士団の面々を冷遇するのではないかな」
挑発するようなハピスの物言いだが、帝国に『純血主義』という思想があるのは事実。
加えてこの世界における常識で考えれば、純血主義に染まっていないとしても他種族を重用することは少ない。
どの国と種族も、自分たちがすべてにおいて一番優れていると考えているからだ。
だから、ここで僕が『そんなことはない』と声を荒げても信憑性は薄く、逆に言葉の重みが軽くなってしまう。
僕は心配顔のトルーバを横目で一瞥すると、ハピスの目を見据えた。
「確かにご指摘のとおり、帝国の一部には『帝国人は誰よりも優れている。従って、帝国の重要な地位には純血の帝国人を据え置くべき』という思想があるのは事実です。しかし、私個人はその考え方には違和感しかありません」
「違和感、か。ならば、その違和感について語ってもらおう。口だけではどうとでも言える」
「わかりました。ですが、これはあくまで私、リッド・バルディア個人の考えであり、バルディア家の総意ではありません。その点は、あらかじめご了承ください」
「無論、承知している。この場でのことは、誰にも口外せん。牛人族部族長として誓おう」
口調こそ礼儀正しいけど、何か僕から聞き出したいことでもあるんだろうか。
いや、でも部族長会議や個別会談で必要なことは粗方打ち合わせもしている。
水田の件も順調に進んでいるから、下手な遠慮はしないほうがいいだろう。
「ありがとうございます」
僕は会釈すると、咳払いをして畏まった。
「では、率直に申し上げますと、種族にはそれぞれに長所と短所がございます。多様性、とでも申しましょうか」
「多様性、か。聞き慣れん言葉だな」
首を捻るハピスに、僕は淡々と言葉を続けていく。
セクメトスやエルバ。
部族長をはじめとして獣人族は身体能力に優れるが、それ故に協調性に欠けやすくて時代の変化に後手となりやすい。
ファラやクリスといったダークエルフやエルフは見目麗しく長寿で博識だが、子が生まれにくい。
また長寿故に過去の経験と知識に固執しやすく、若干閉鎖的で時代の変化に弱い。
ファラとの顔合わせで問題になったノリス一派、クリスの兄ことマイティとかね。
ドワーフは手先が器用かつダークエルフやエルフに次ぐ長寿だが、小柄で身体能力が乏しい。
また、自らの生み出した技術、過去の経験や知識に彼等も固執しやすいらしい。
エルフやダークエルフよりも閉鎖的なところもあって、時代の変化に取り残される危険性もある。
僕の身近なドワーフをあげると、言わずもがなエレンとアレックスの二人だ。
出会った当時の二人は技術さえあれば食っていける、大丈夫だろうと過信していた。
危うくレナルーテの悪徳華族に騙されて大変なことになる寸前だったんだよね。
彼等の普段のやり取りを見ていると、伝え聞くドワーフ種族観はあながち間違っていないと思う。
偏見や思い込み、決めつけは駄目だけどね。
人族は能力的に特筆する部分はないが、その分協調性に長けていて時代の変化に多種族よりも柔軟に対応できるところだろう。
父上や母上、皇帝皇后の両陛下、良くも悪くも帝国の高位貴族達。
各種族と見比べれば、尖ったところのないバランス型と言えるかもしれない。
「……以上のように、種族にはそれぞれの文化、歴史、長所、短所があり、ある点では優れ、ある点では劣る。その事実に目を背け、特定の種族がすべてにおいて一番優れていると主張するなんて、妄想に過ぎないと思いませんか」
「なるほど。それがリッドの言う“違和感”ということか。しかし、『多様性』を認めることは良いかもしれんが、いきすぎれば種族としての誇りや矜持がなくなってしまう。そうなれば、その種族は弱体化し、他種族に飲み込まれてしまうのではないか」
ハピスの問いかけに茶化すようなものはなく、真剣そのものだ。
彼の視線は、まるで何かを見定めるように僕の瞳を覗き込んでいる。
「そうですね。ですから、何事も区別と分別が必要となるでしょう。しかし、一番重要なことは、どの種族であろうとも、自らが属する国。故郷に『誇り』を持っていることではないでしょうか」
「む……」
ハピスは眉をぴくりとさせるが、僕は言葉を止めずに続けた。
「トルーバは、彼は帝国に属するバルディア家に仕えていることを『誇り』にしてくれています。そのことを鑑みれば、種族の違いなんて些末な問題でしょう。少なからず、私はそう考えます」
僕が断言すると、ハピスは難しい顔のまま口元に手を当てた。
場の空気がピンと張り詰め、静寂が流れる。
程なく、「ふふ……」とハピスが噴き出した。
「実に面白い考えだ。リッド殿が『型破り』と呼ばれる根幹は、どうやらその思想と思考にあるようだな。貴殿を知るよい機会であった」
「そ、そうですか? お気に召したなら幸いです」
『型破り』の根幹って……そんな大層な考え方じゃないと思うんだけどな。
呆気に取られていると、ハピスが「しかし……」と不敵に口元を緩めた。
「リッド殿の考えが『純血主義』とはまったく違うことは理解したが、養子の件は別だ。私の申し出を、トルーバが受けるか否かであろう」
「あ……⁉」
しまった、まんまとハピスの口車に乗せられた。
おそらく彼の目的は、僕の言動の根幹となる思想的なものを見定めることだったんだろう。
最初に口外しないとは言っていたこと。
会話中、ずっと探るような視線をこちらに向けていたのは、そういうことだったのか。
やっぱり、彼も部族長。
油断も隙もあったもんじゃない。
挙げ句、決めるのはトルーバの意思だ、なんて。
質問してきたのはそっちなのに、どの口が言うんだよ。
これまでの経緯から意図を察して睨みを利かせるが、ハピスは不敵に笑ったままだ。
「それで、どうだ。トルーバ、その気があるなら、私はお前を本気で養子に迎えてもよい。豪族達に文句は言わせん。希望もできるかぎり叶えてやろう。もちろん、バルディアとの関係性もな」
ハピスがそう言うと、トルーバは「そう、ですね……」と呟いた。
「平民で奴隷落ちまでした私が、部族長の養子となって牛人族の未来を変えていく。とんでもなく光栄で、魅力的で、やりがいに満ちたお話です。牛人族であれば、誰もが夢描く物語でしょう」
「そうだろう。ならば、この手を取るがいい」
ハピスはすっと手を差し出すが、トルーバはその手をまじまじ見つめるのみ。
そして、少し間を置き、トルーバは目を細めた。
「しかし、謹んでお断り致します。私は部族長の椅子で満足するつもりはありません。目指すところは更に上。私の目には、もっと広い光景が見えているんです」
「む……?」
「え、えぇ⁉」
彼の答えにハピスは首を傾げ、僕は目を丸くした。
いや、断ってくれたのは嬉しいよ。
でも、部族長の椅子で満足するつもりはないって、どういうことなの。
とんでもない野心を抱いていることを知ってしまった僕は、息を飲んでトルーバを見据えた。




