リッド、訓練に立ち会う
牛人族領にてカペラ主導で行われた水田の測量、調査、検地は部族長であるハピス、カムイ、アモンをはじめ、僕やクリスという各代表者。
そして、各部族の豪族たちが見守るなかで、地元領民の協力と理解を得ながら、黙々と行われていった。
「……地質や水源に問題はありません。田起こしや専用の水路は必要となると思われますが、この点はレナルーテと連携することで解決できるかと存じます」
場の空気が張り詰めるなかでカペラがそう発すると、僕を含めた関係者の誰もがほっと胸を撫で下ろした。
特に検地場所の選定に携わっていた牛人族の豪族たちから「よかった……」とか「ずっと肝が冷えたよ」と、震えた声が漏れ聞こえてくる。
事前調査において年間の気候や雨量を可能な限り調べた結果、牛人族領で水田ができるだろうことは確認済み。
お米で注意しなければならないのは土壌や水質も重要だけど、実は気候と年間雨量が大きく影響する点だ。
土壌や水質はある程度調整が効く部分はあるけど、人の力ではどうにもできない自然が米作りの最初にして最大の壁として立ちはだかる。
特に気温の寒暖差や生育期間中の降水量が不足していると、収穫量に大きく影響を及ぼすのだ。
小麦も育成に適した条件はあるけど、寒冷地から乾燥地まで対応できるため、栽培可能な気候帯や土地の選択肢は米よりも小麦が優れている。
個人的には、どんな土地でもお米が作れてほしいんだけどね。
実際、レナルーテの気候に近いバルディアでは米の栽培に成功したけど、帝国西側ケルヴィン領の場合、気候的な問題が壁になっておそらく栽培できない。
以前、文通をしているケルヴィン領のデーヴィドから米栽培について質問されたことがある。
その際に教えてもらった気候を調べたところ、米作りには適さないということがわかったからだ。
会談を通じて生育環境の点はハピスや豪族たちへ入念に尋ね、問題ないだろうという結論に至っている。
でも、実際に現地に出向いてみないとわからないことも多い。
だけど、こうして確認が取れた以上、あとはレナルーテと連携して水田を行い、米が無事に収穫できれば、牛人族とバルディアの絆は国を超えて強いものが築かれるだろう。
収量効率の点では、同じ面積でも米は小麦のおおよそ1.5倍の収穫量を見込める。
加えて、水田という『水』を張るという特性上、農作物で問題となる連作障害も起きない利点がある。
おまけに牛人族領の広い平野は米作りにも適しているから、上手くいけば莫大な量の米を収穫できるだろう。
牛人族の食事量が凄まじいことは、懇親会と朝食で目の当たりにしている。
この事業が成功すれば、彼らの食事事情も改善されるに違いない。
そうなれば『水田』を持ち込んだバルディアに、牛人族の領民たちは感謝の念を抱いてくれるだろう。
ちょっと恩着せがましいけど、ちゃんと会談の場において『この水田事業が成功した暁には、バルディアからの提案で牛人族は水田を始めた、という事実を記録に残して伝えていってくださいね』と、お願いしている。
政において『こういうことは、言わずともしてくれるだろう』というのは、残念ながら通じない。
こちらが念押しをしておかなければ、ハピスはせずとも後々の部族長が『水田技術は我らが開発したものだ』なんて言い出すことだってあり得るのだ。
農業技術が提供先より発達する、というのは将来的にどこでもあり得る話だから、その点をどうこう言うわけじゃない。
世の中、『貸した側は覚えていても、借りた側は忘れた挙げ句に開き直る』という部分がどうしたってあるし、誰も彼もが高潔なわけじゃない。
国同士であろうが、家同士であろうが騙し合い。
『兵は詭道なり』ってね。
バルディアが水田技術を提案したのは、両家の将来を見据えた『永遠の貸し』を作る意味もある。
まぁ、これは、僕が前世の記憶を持っているからこその視点かもしれないけどね。
午前中の現地調査が終えると、カムイは朝食時で言っていたとおり一部の豪族を引き連れて熊人族領に向け、一足早く牛人族領を立つことになった。
「リッド殿。我が領でも、水田の件をよろしく頼むぞ。我ら熊人族も牛人族に負けず劣らず、よく食べるのでな」
「あはは……。畏まりました」
負けず劣らずって。
懇親会と朝食の様子を見た印象だと、熊人族と牛人族だけでズベーラ国内の食糧を半分、とは言わなくても3割以上は確実に消費していそうだよなぁ。
いっそ、この食欲は戦略で使えるんじゃなかろうか。
敵国に牛人族と熊人族を観光と称して大量に送り込む、もしくは傭兵団とか偽って入り込ませて敵国内の食糧事情を短期間で急激に悪化させる……作戦名『進撃の暴食』とか。
いや、冗談だけど、実際にやったら冗談じゃ済まされない戦略になるかもしれない。
僕が苦笑しながら頬を掻いていると、カムイはふっと目を細め「では、また我が領地で会おう」と言い残して出発した。
カムイたちを見送ると、僕たちの一団は二つに分かれることになった。
一つはカペラを筆頭に、バルディア関係者と牛人族の豪族たちによる現地調査団。
第二騎士団の面々やクリスたちと現地領民や豪族たちと打ち合わせを行いつつ、田起こしの候補地を確認。
問題がなければ手持ちの地図に記載していき、レナルーテ王国との連携に使う資料とする。
もう一つは僕と、第二騎士団所属の分隊長牛人族トルーバを始めとしたバルディア関係者の一部とハピス。
理由は一足早く部族長屋敷に戻ってトルーバが獣化を学び、僕がその場に立ち会い見学するためだ。
部族長屋敷に到着すると、ハピスの案内で僕とトルーバは開けた訓練場に移動する。
部族長自ら他国に属した獣人族に獣化を教えるというのは外聞的によくないということで、訓練の様子を見ることを許されたのは僕だけとなった。
この件に専属護衛のティンクは「リッド様に万が一のことがあったらどうするんですか」とかなり食い付いたが、ハピスは「ならば、獣化を教えてることはできん」とかたくなで、やむなく彼女が折れている。
訓練場に到着すると、ハピスはトルーバを前にして見下すように鼻を鳴らした。
「バルディア第二騎士団分隊長、か。大層な肩書きだ。私の教えについてこられるのか、見物だな」
明らかな挑発で空気が張り詰め、圧で肌がひりついた。魔波による威圧だ。
相手を怯えさせ、あわよくば獣化を教えられる相手ではないと断るつもりかもしれない。
でも、『彼』はそんなことで臆病風に吹かれる子じゃないんだよねぇ。
ハピスの正面に立つトルーバに目をやるが、彼は全く動じず、むしろにこにこと笑っている。
トルーバは頭の黒髪から小さな二本の角と横耳を生やし、大きく優しい目に黒い瞳を持つ牛人族の男の子。
第二騎士団分隊長の中でも一、二を争う力の持ち主かつ社交的でありながら冷静沈着という性格の持ち主だ。
でも、彼において一番特筆すべきは、状況を客観的に見て、考え、冷静な判断を下すという大局観にある。
トルーバのチェスや将棋の腕前は僕とあまり変わらず、というかちょっと手加減されるぐらいに強いんだよね。
実際、第二騎士団内部の紅白戦で彼が指揮すると、その組が戦略的な勝利を挙げていることが多い。
しかも、トルーバはそのことを決して自分からは言わないし、ひけらかすようなこともしない。その大局観は亡きクロスも太鼓判を押していて、父上やダイナスも高く評価している。
将来的には第二騎士団をまとめる立場や、第一騎士団に異動して副団長にもなれる逸材だ。
しかし、かなりマイペースな性格でもあって『ベルと平和に過ごせるなら、私はそれだけで幸せなんです』とあんまり野心がないから、第二騎士団内では目立つ子じゃないんだよね。
ちなみに『ベル』というのは、第二騎士団所属のベルカランという牛人族の少女だ。
彼女は目尻の下がった目に青い瞳を持ち、赤毛の長髪を三つ編みにしている、独特なおっとりとした口調をしている子だ。
ベルは誰に対しても分け隔てなく優しくて、慈愛に満ちているというか。
一緒にいると明るい日差しで日向ぼっこでもしているようなポカポカしてくる、そうした不思議な魅力を持っている。
でも、実力もあって第二騎士団では副隊長という立場だ。
まぁ、彼女の魅力の根本というか、根幹となる部分は今回の牛人族領訪問で牛人族の女性たちから垣間見たような気がする。
彼女のことになると、トルーバは人が変わるので注意しないといけない。
これは第二騎士団内では有名な話で、かく言う僕も『リッド様でもベルに手を出したら許しませんよ』と目を細めたトルーバに言われたことがある。
ファラがいるから、あり得ないよって即答したけどね。
「私もです。果たして、牛人族部族長直々の訓練がバルディア第二騎士団以上のものなのか。実に楽しみでなりません」
「ほう、頼りなさそうな面の割に度胸が据わっているな。では、せいぜい、泣かずについてくることだ」
彼の答えが気に入ったのか。
ハピスは口元を緩め、魔力を解放する。
ただそれだけなのに周囲では激しい狂風が吹き荒れ、砂埃が巻き上がった。
いよいよ、訓練の始まりだ。
僕は彼らの一挙一足を見逃すことのないよう刮目した。




