リッドの提案『水田』2
「ご質問、ありがとうございます。お二人の疑問もごもっともでしょう。しかし、誤解されないでください。私たちの提案は、水田と麦畑を『競合』ではなく『共存』の形で捉えていただければと存じます」
「ほう。競合ではなく共存、か」
「収穫量は米の方が優れているのだろう。ならば、麦をすべて米にすべきということではないのかな」
ハピスが興味深そうに相槌を打ち、カムイは資料にある数値を指さしながら挑発するように切り出してきた。
これは、試してきたな。
二人とも不敵な笑みを口元に浮かべている。
僕はゆっくりと首を横に振った。
「ズベーラの土地すべてが水田に適しているとは思っておりません。むしろ、小麦と米を用途や気候に応じて住み分けることで、安定性と多様性を両立させる。それが私の考えです」
そう告げると、僕は「そして……」と続けてにやりと笑った。
「ご指摘の技術についても問題ありません。私の妻であるファラが農業大国レナルーテの王女であることを、皆様はお忘れでしょうか」
会場が一瞬ざわついた。
ファラの名前で豪族達がこんな反応をすると、何だか嬉しくなるな。
僕は間髪を容れずに熱を込めた口調で言葉を続けた。
「現在、彼女を通じてレナルーテ王家と正式な取り決めのもと、水田に関する技術支援と技術者派遣の了承を得ております。これにより、農具の選定、水の管理、田植えから収穫までの一連の工程を『段階的かつ安全に』導入することが可能です」
ハピスとカムイはにやりと笑い、したり顔で頷いた。
まぁ、この二人には大体のことを部族長会議の時に伝えていたからね。
部族長である二人が決定すれば、豪族達は従わざるを得ないだろう。
でも、彼らが納得しないまま、農作を麦から米に切り替えても絶対にうまくいくはずがない。
農産物を育てるというのは、口で言うほど簡単じゃないからだ。
普段から作物を手入れしている人たちの熱意、愛情、創意工夫、忍耐力などの様々な労力がなければ農業は成功しない。
農業機械がなく、すべてが手作業中心のこの世界ではなおさらだ。
豪族達からどよめきが起きる一方で、色めき立つ声も聞こえてくる。
僕は深く息を吸い、ふっと穏やかに微笑んだ。
「後は、皆様次第です」
会場がざわつくなか、数人の豪族が顔を見合わせる。
そして、恐る恐ると言った様子で一人が「話としては魅力的だが……」と切り出した。
「現実的に動き出すには課題が多すぎる」
「そうだな。測量や水利の調査、苗の仕入れはどうするつもりだ」
「米の大量生産に成功したとして、我らに加工技術はない。仮に加工できたとしても、売り先がなければ無意味だぞ」
次々と飛び出す懸念に、場の空気が再び重くなり始める。
「ご安心ください」
クリスが待ってましたと言わんばかりに凜とした声を響かせ、席を立って身を乗り出した。
彼女は自身の胸に手を当てながら品よく微笑んだ。
「新しい農作物を始める。新規事業を立ち上げるようなもの故、皆様が不安を覚えるのも無理はありません。しかし、販売先の確保、苗の仕入れ、商品化までの道筋。すべて、私とクリスティ商会にお任せいただければと存じます」
堂々とした物言いに、ざわっと場が波打つ。
注目を浴びたクリスは、ここぞとばかりに気風よく流暢に言葉を続けた。
「すでに我が商会は、米を使った甘酒や清酒、加工食品の販売実績がございます。この地域で採れた米を原料にすれば『地酒』や『地産甘味』の銘柄開発も可能でしょう」
彼女の明るく、自信に満ちあふれた言葉は会場に漂った重い空気を一蹴する。
豪族達の口元が緩むが、まだ半分が懐疑的な表情だ。
彼らの様子を察してか、ハピスが代表するように「しかし……」と難しい顔で口火を切った。
「やはり、水田をするには測量や水利の調査が必要だろう。レナルーテ王国の支援は有り難いが、かの国は遠い。取り組むにしても時間が掛かりすぎるのではないか」
「そうだな、食糧問題は火急の案件だ。事前調査に多大な時間、労力が掛かるのであれば提案を実施するのはなかなかに難しいだろう」
険しい表情を浮かべたカムイが、腕を組んだまま相槌を打った。
「事前調査の件については、私にお任せください」
僕の後ろに立って控えていたカペラが、一歩前に出て畏まった。
「貴殿は?」
ハピスが見やると、カペラは一礼した。
「私はレナルーテ王国出身のダークエルフ、カペラ・ディドールと申します。現在はリッド様の家臣としてバルディア家に仕えております。どうか発言をお許しください」
「わかった。許そう」
「ありがとうございます」
ハピスの許可を得ると、カペラは顔を上げて言葉を続けた。
「私は水利と土壌、地形の読み方など、水田に必要な知識を一通り身につけております。皆様のお許しさえいただければ、今日明日にでも水田候補地を決めて王国との連携に動く所存です」
『今日明日』という言葉に豪族達が一瞬唖然とするが、すぐにどよめきが広がる。
そして、畳みかけるようにアモンが手を上げて立ち上がった。
「水田に必要な農具の製作については、狐人族領で請け負いましょう。必要な道具の調整、鍛造、配備まで対応できます。木工や金属加工は狐人族の得意分野ですから」
次々と示されていく『道標』。
色めき立っていた者、懐疑的だった人も、揃って真剣な表情を浮かべて配った資料に再び目を落としていた。
「ただの数字ではないようだな。本当にやれるかもしれん」
「もし成功すれば、我らの農業が一変するぞ」
肩を寄せて話す豪族も現れ始め、期待に満ちた小声が漏れ聞こえてくる。
ここまでくれば、ほぼ決まりかな。
周囲の反応をそれとなく確かめた後、僕は部族長であるハピスとカムイに視線を向けて、にこっと目を細めた。
すると次の瞬間、会場に「よかろう……」と不敵に笑うハピスの声が響いた。
「どうやら数字と調子の良い言葉による夢物語ではなく、客観的な数字と現実を見据えた提案だったようだ」
「うむ、まずは試験的に始める方向で進めよう。牛人族領、熊人族領の両方で段階的に導入して問題点があれば共に洗い出す。リッド殿、それでよいかな」
カムイが発した重々しい言葉に、場が静まり返る。
僕は静寂の中で『よし、まとまった』と心の中でガッツポーズを取るが、表には出さないよう平然を装いつつ白い歯を見せた。
「ありがとうございます。それでは皆様と一緒に、未来を変えていきましょう」
豪族達から「おぉ……⁉」という声が漏れ聞こえるなか、僕は咳払いをした。
「実は今回の会談で皆様にお渡しした資料ですが、バルディアで開発された新製品で作られたものなんです」
「新製品……?」
この件は、ハピスもカムイもまだ知らない。
僕はにやりと笑うと、狸人族の時と同様にタイプライターこと『打ち込み君』を紹介して、実際に使用してみせた。
もちろん、大好評だったけど、とある問題点が発覚する。
「……人族や他部族なら問題ないんだろうが、我らが使うにはボタンが少々小さいかもしれんな」
「あぁ、あと力加減がなかなかに難しいな。すまない」
ハピスとカムイの机の前に置かれた『打ち込み君』は、一部のボタンがへこんでしまっている。
「そう、ですね。何かしら案を考えます」
残念そうにする二人を前に、僕は頬を掻きながら苦笑した。
牛人族と熊人族は体格が大きく、人族の指に合わせた打ち込み君のボタンだと少し小さかったのだ。
おまけに二人の力が予想以上に強くて、打ち込み君のボタンが押されたまま戻らなくなってしまった。
持ってきた予備が数台あるから良かったけど、バルディアに帰ったらエレン達に怒られそうだなぁ。
他の豪族達にも触ってもらったが、どうしても肩が縮こまるような姿勢になってしまうから、長時間の作業は難しいだろう。
でも、とりあえず、打ち込み君の素晴らしさは知ってもらえたようだ。
この問題点はその場での解決が難しいため、改善策や改良案を見つけるべく持ち帰ることになった。
こうして会談は良い形で終われたけど、牛人族領でやらなければならないことは、まだある。
ハピスから牛人族の獣化についての情報をもらうこと。
水田開発に向けた測量だ。
にもかかわらず、皆から言われてまず最初に行われたのは、別室で僕とアモンの衣装姿を絵に描かれることだった。
いや、他に優先するべきこと、たくさんあるよね?
絵師の筆が走る音が響く中、僕とアモンは揃って深いため息を吐くのであった。




