リッドの提案『水田』
この場にいる豪族達の誰も彼もが「何も知らぬ小童が生意気な口を……」という眼差しをこちらに向けている。
とりあえず、自己紹介は終わったから今は黙っておこう。
僕が席に着くと、隣に座っていたアモンが立ち上がった。
「狐人族部族長アモン・グランドークです。すでにご存じの方もおられましょうが、当家はバルディアと様々な分野で今後技術提携をしていくことを予定しております。従いまして、今後を踏まえた建設的な会談となることを願います」
彼は毅然と告げ、豪族達を一瞥して微笑むと、何事もなかったかのように席に座った。
僕の発言に不満を覚えた豪族達の様子を察し、彼なりに釘を刺してくれたのだろう。
豪族達の反応は様々だ。
眉をひそめる者もいれば、値踏みするように見てくる人、腕を組んで唸る者。
大半は警戒しているが、一方でわずかに前のめりになる人も見受けられた。
おおよそ七、八割は否定的。
残りが中立もしくは多少好意的、そんなところかな。
部族長であるハピスとカムイをそれとなく見やれば、彼等は様子を伺っているようだ。
あえて中立的な立場を示しているような雰囲気もある。
アモンの挨拶で殺伐とした雰囲気が少し和らいだなか、僕の隣に座っていたクリスが立ち上がって畏まった。
「バルディア辺境伯家と懇意にさせていただいております、クリスティ商会代表クリスティ・サフロンです。こちらの地域に出店しておりましたサフロン商会は、当商会が運営を引き継ぐことになりました。今後も皆様のお力になれるよう尽力して参りますので、よろしくお願いします」
彼女は流暢かつ丁寧に告げると、一礼して席に座った。
相変わらず凜とした綺麗な所作だ。
豪族達を見渡せば、クリスに邪な眼差しを向けている者もちらほら見えた。
彼女はとても魅力的な女性だから、彼等が見蕩れる気持ちもわかる。
でも、変な下心を持たれても困るんだよね。
僕はわざとらしく咳払いをした。
「万が一、彼女自身やクリスティ商会の関係者によからぬことが起きれば、バルディアと一戦交える覚悟をお持ちください」
一部の豪族達から「ふふ……」と失笑が漏れた。
おっと、どうやら冗談や洒落と思われたらしい。
僕はスッと真顔になると、あえて言葉に感情を込めずに冷淡に続けた。
「これは決して冗談や洒落ではありません。私の父であるライナー・バルディア辺境伯も同じ考えです。くれぐれもご注意ください」
僕はふっと表情を崩して目を細めた。
でも、圧を発することで言葉の重みを強調する。
豪族達は意図を察してくれたらしく、ごくりと喉を鳴らして息を飲んだ。
よかった、どうやら伝わったみたいだね。
「……リッド殿、それぐらいでよかろう」
会議室に重い空気が漂うなか、ハピスが切り出した。
「貴殿達の自己紹介は終えた故、本題に移ろう。最初にあった発言、『水田』と『米』の魅力を聞かせてもらおうか」
「そうだな。私とハピスは部族長会議の場で聞かせてもらったが、改めてこの場にいる者達が納得できるよう説明してもらいたい」
「畏まりました。それでは農業技術が高いことで知られるレナルーテ。かの国の『水田』による『米』の収穫量。そして、僭越ながら牛人族領と熊人族領で取れる小麦の収穫量をできるかぎり数値化した資料をお配りいたします」
カムイの言葉に頷きつつ、僕はカペラやティンクに目配せする。
二人は資料を部族長であるカムイとハピスへ最初に手渡し、次いで会場にいる豪族達に手渡していく。
資料が手元に行き渡ったのを見届け、僕は席から立ち上がった。
「皆様のお手元にある資料は、レナルーテ王国で実際に運用されている水田の統計情報と、熊人族・牛人族領での現在の小麦生産量を簡易比較したものです」
豪族達がざわざわとしながら資料に目を落とし、部屋の彼方此方から紙がめくられる音が広がった。
よし、掴みは成功だ。
僕は咳払いをして、口火を切った。
「まずこちら、レナルーテの平年並みの収穫量をご覧ください。面積あたりの収量は小麦の約1.5倍。水の確保と田起こしさえ整えば、少ない土地でより多くの食糧を生み出せます」
僕は資料にある棒グラフで示した比較を指さした。
「これがなぜ重要かというと、人口の増加や商業発展に伴い、農地の拡大だけでは限界があるからです。水田は、限られた土地を『より濃く使う』ための技術です」
誰かが息を呑んだのが聞こえた。
資料のグラフには、単純な収穫量だけでなく、余剰生産分が保存・加工に回され、長期的に『利益』を生む流れが図解されている。
「また、米は乾燥処理によって長期保存に優れ、加工品も多種多様。余剰分は交易用の資源としても価値があります。清酒や甘酒に至っては帝国の貴族層だけに留まらず、大陸全体で人気を獲得しつつある商品です」
ここで、少しだけ間を取って豪族達の顔を見回す。
先ほどまで訝しげだった眼差しのいくつかが、真剣な興味へと変わっていた。
一拍置いて、資料の次のページを開くよう促した。
「皆様ご承知のとおり、熊人族領と牛人族領はズベーラ全体の食糧供給を支える重要な農業地帯です。広大な麦畑と豊かな川に恵まれたこの地が、帝国にも劣らぬ自給能力をもつことは疑いようがありません」
そこまで言って、僕はより真剣な表情を浮かべて声を低くした。
「……ですが、同時に、この地域が『慢性的な食糧不足』に悩まされているという情報も私達は得ています」
豪族達の間で、小さなざわめきが起きた。
数名の顔色がわずかに強張る。
「原因は明白、皆様の体格や日々の活動量。つまり、他種族よりも日々必要とする食糧量が多いこと。種族として体格が大きく、基礎的な身体能力が高いことは『強み』でありますが、同時に食糧が不足しやすいという弱点にも繋がっております」
興味をさらに引くため、一瞬言葉を止めて含みを持たせる。
豪族達をそれとなく一瞥し、ふっと目を細めた。
「そこで、水田による『米』の導入です」
僕は胸を張って毅然と告げた。
「米は栄養価が高いだけでなく保存性に優れており、加工品も豊富です。麦と同じ面積で育てても、得られる収穫量は米の方が多いのです」
配布した資料にある『麦と米の収穫量の対比。米の加工品一覧』の項目を見るように促すと、豪族達が資料の数値に視線を落として低く唸った。
もう一押しかな。
僕は声に熱を込めて続けた。
「皆様の暮らしを『耐える農業』から『蓄える農業』へと変えていきたい。水田を導入することで、皆様が日々の暮らしの豊かさを手にできると、私は信じています」
語り終えると、豪族達が熱に当てられたようにごくりと息を飲んだ。
しばし沈黙が続くなか、静寂を破るように二つの拍手が響いた。
「見事な説明だったぞ、リッド殿」
拍手の主はハピスだった。
彼は口元を緩めつつも、目は笑っていない。
隣のカムイが小さな拍手をしつつ、ゆっくりと口を開いた。
「貴殿の言う水田と米の可能性は理解した。我々も部族長会議の折に話は聞いている。だが、どうしても腑に落ちぬ点がある」
カムイが視線を鋭くし、圧を発しながらすっと身を乗り出した。
「現状、この地域は広大な麦畑によって食糧供給を成立させている。いきなり水田へ転換などといっても、容易なことではない。水利、地形、労力、そして、なによりも技術が問題だ」
彼の低い声が重く響くと、ハピスが「まして……」と含みのある物言いで口火を切った。
「我々が行ってきた今までの農法を否定されるような話であれば、領民の反発も免れまい。技術をどこから学ぶのか。麦畑はどうするつもりか。そのあたりの答えも、ぜひ聞かせてもらいたいものだな」
彼はそう言うと、資料を手に取ってこちらを凄んだ。
「ここにある数字に嘘ないかもしれんが、現実的に可能かどうかは別問題。口ではどうとでも言える」
会場内の空気が張り詰め、一気に緊張が走る。
二人の言葉は非難でも拒絶でもなく『本気で考えているがゆえの問い』だろう。
それにしても、さすがは部族長だ。
視線だけで、この圧。
全身に戦慄が走り、手に汗が滲んでくる。
でも、稽古で真剣を持って僕の前に立つ父上と比べれば、この程度は虚仮威しに過ぎない。
僕は一呼吸おいて、にこりと目を細めた。




