リッドと牛人族領
狸人族の部族長屋敷を出発して約半日。
僕達が乗っている被牽引車は牛人族領に入っていた。
車窓から牛人族領の南側に目をやれば、青い空に届きそうな綺麗でそびえ立つ山脈が見える。
あの山を超えれば帝国領だが、あまりに高く険しい山のために超えることはほぼ不可能だそうだ。
近場に目を向けると高低差のない平坦な麦畑が遠くまで続き、体格の大きい牛人族の人達が農作業をしている。
この平野に広がる麦畑こそ、牛人族領と熊人族領の特徴でズベーラの食糧供給の要である農業地帯だ。
牛人族領と熊人族領は、他の部族領に比べ平坦な土地が圧倒的に多いらしい。
帝国領との間にそびえ立つ山から流れてくる綺麗な水による川もあって、とても肥沃な土地だと聞いてた。
実際、その通りだし、驚きなのはそこまで整備されていないはずの道を通っているはずなのに車内の揺れが少ないことだ。
こういう光景のことを、確か山紫水明【さんしすいめい】って言うんだよね。
揺れが少ないことに加え、車窓から見える綺麗な景色のおかげかいつもより乗り物酔いも酷くない。
「リッド。そろそろ牛人族の部族長屋敷に着くと思うけど、酔いは大丈夫そうかい?」
「うん。心配してくれてありがとう、アモン。今回はそこまで酷くなさそうだよ」
「よかった。牛人族部族長ハピス殿との会談は、ギョウブ殿の時より大変だと思うが一緒に頑張ろう」
「そうだね。気を引き締めていこう」
アモンに笑顔で答えたその時、車窓から立派なお屋敷が見えた。
おそらく、あそこが部族長屋敷だろう。
牛人族部族長ハピス・ローフィス。
彼との会談が何故、ギョウブの時より大変なのか。
それは彼自身に問題があるというよりも、今回の外遊日程に余裕がないため、牛人族領での会談だけがちょっと特殊なのである。
不安はあるけど、やるしかないよね。
僕は気つけ薬の代わりにと酔い止めの飴玉を口の中に放った。
◇
「牛人族領へようこそ。リッド・バルディア殿、アモン・グランドーク殿。そして、クリスティ殿。歓迎する」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ハピス殿」
牛人族の部族長屋敷に到着すると、部族長ハピス・ローフィスが出迎えてくれた。
彼はさらっとした赤い長髪に加え、頭部には二本の角と横耳が生えている。
驚くべきは七尺【210cm】は優に超えているだろう身長だ。
王都で開かれた部族長会議に参加して初対面した時も感じたけれど、間近で見ると彼の大きさには圧倒される。
ハピスと握手を交わすと、僕は彼の隣に立つ人物に視線を向けた。
「カムイ殿も本日はご協力をいただきありがとうございます」
「気にしなくていい。ハピスと一緒に聞いた方が良いと判断したまでだ」
熊人族部族長カムイ・マジェンタは淡々とした口調で頭を振ると、僕と握手を交わした。
カムイはハピスよりも長身でオレンジ色に近いくせっ毛の長髪をしていて、左頬に大きな傷がある。
実は今回の会談、牛人族領で行うけれどカムイも同席するのだ。
牛人族と熊人族の領地は隣同士な上、どちらも農業地帯である。
カムイとハピスさえよければ、僕達の提案を一緒に聞いてはどうかと事前に伝えたところ二人はこれを了承。
そして、牛人族領で二人の部族長との同時会談が成立したというわけだ。
もちろん、個別に話したいこともあるから、牛人族領での会談が終わった後は熊人族領にもお邪魔するけどね。
挨拶がある程度落ち着いてくると、ハピスが何やら僕とアモンをジッと見つめてきた。
どうしたんだろう、何か失礼なことでもしちゃったのかな。
会談前に心象を悪くすることがないよう、出来る限り皆で気をつけていたはずなんだけど。
内心、どきどきしていると、ハピスがおもむろに「ところで……」と切り出した。
「リッド殿とアモン殿は狸人族領で文化交流をしたそうだな」
「え……? は、はい。その通りですがよくご存じですね」
思いがけない問い掛けで、僕は一瞬呆気に取られてしまった。
文化交流といっても狸人族の民族衣装に僕とアモンが着替えただけなんだけどな。
それにしても、なんでもそのことをハピスが知っているんだろうか。
「そうか。しかし、狸人族領だけと文化交流するのは少々不公平だと思うのだが?」
「えっと、それはどういう意味でしょうか」
意図がわからず困惑していると、ハピスはにやりと口元を緩めた。
「簡単な話だ。我ら牛人族の衣装もリッド殿とアモン殿に着て欲しいと思ってな。会談はそれから行おうではないか」
「えぇ⁉」
僕とアモンは揃って目を瞬くが、ハピスが指を鳴らすと牛人族の女性達がすっと集まってきた。
彼女達はハピスほどではないにしろ、2mはあろうかという長身の人ばかりである。
「リッド様、アモン様。衣装は既にご用意しておりますので来賓室にご案内いたします」
「ちょ、ちょっと待ってください。ハピス殿、もう少し説明をお願いします」
僕は迫りくる女性陣に両手を出して制止すると、慌ててハピスに向かって問い掛けた。
こんな話、事前のやり取りでは聞いてない。
しかし、彼は真顔のままあっけからんと答えた。
「なに、狸人族領でされた説明と変わらんさ。私は君達のことを買っているが、家臣達にはそうでない者もいる。だが文化交流をすれば、いくらか友好的になるだろう。実際、ギョウブのところではえらく評判だったそうじゃないか」
ハピスはそう言うと、自らの懐から一通の封筒を取り出した。
なんだろうと思って目を凝らすと、僕はハッとした。封筒に狸人族の家紋が押してあったのだ。
ギョウブめ、いつの間にあんなものをハピスに送りつけたんだよ。
「案ずるな。全ては家臣達の心象を良くし、お互いにとって会談がより良い方向に進むための手段に過ぎん。貴殿達も友好的にことは進めたいであろう」
「それはそうですが……」
言わんとしていることは分かるし、友好的に進めたいことも事実。
でも、何だか釈然としない。
横目でアモンを見やれば、諦め顔で頭を振った。
しょうがない。
文化交流で心象が良くなって会談が支障なく進むというのであれば、それにこしたことはないんだから。
僕はため息を吐くと、こくりと頷いた。
「畏まりました。では、牛人族の服装に着替えさせていただき、会談に臨ませてもらいます」
「そうか、それは助かる。リッド殿が我らの文化を尊重する姿勢を見れば、家臣達の心象も良くなるであろう。では、改めて来賓室に案内しよう」
僕とアモンは狸人族領に続き、牛人族の民族衣装に着替えることになった。
こうなったら乗りかかった船だ。
こちらが牛人族の文化を尊重する姿勢を示した以上、会談では多少強く出ることもできるはず。
転んでもただでは起きてあげないもんね。
僕は密かにそう決心して、用意された牛人族の民族衣装に着替えるのであった。




