ギョウブの一瞥
「おぉ……⁉」
豪族達からどよめきが起きる中、ギョウブは慣れない手つきでキーを押し込んで打ち込みを続けていく。
やがて、紙が端までいき『リーン』という鈴の音がなった。
「鈴が鳴ったら、この操作をすればまた打ち込めます」
「なるほど……」
僕が説明しながら操作すると、ギョウブは再び打ち込みを開始する。
再び『リーン』という音が鳴ると、彼は手を止めてにやりと口元を緩めた。
「素晴らしい製品だな。リッド殿、他の者にも触らせたいんだが、いいかな?」
「はい、構いませんよ。カペラ、ティンク。悪いけど、皆様に使い方を説明してもらえるかな」
「畏まりました」
「承知しました」
二人が会釈して間もなく、ギョウブが席を立った。
すると、豪族達が我先にと席に座って説明を受けながら打ち込み君を触って目を輝かせていく。
子供が新しい玩具を与えられて喜んでいるみたいだなぁ。
その様子を眺めていると、僕の横に立っていたギョウブが「それでリッド殿……」と切り出した。
「これはいつ販売する予定なんだ」
「新製品ではありますが、まだ試用テスト中の段階なんです。『いつ』というのは、何とも言えませんね。しかし、クリスティ商会で予約発注をしていただければ、出来る限り早く納品できるよう善処はするつもりです」
打ち込み君を触っていた豪族達が色めき立ち、同時に『リーン』という鈴の音が鳴った。
今回の会談内容が感情的に少し気に入らなかったとしても、僕達が『利』を生み出す存在。
金の卵を産むガチョウであることを理解させれば、多少の感情論なんて些末な問題だ。
特に、領地運営を営む豪族かつ策を巡らすことが好きという狸人族であれば尚更ね。
「ただし、予約台数は各家で一台だけとなりますのでご注意ください。もし、予約に不正や販売後の転売が認められた場合『打ち込み君』は二度と手に入らないとお考えください」
「わかった。その点も十分に気を付けよう。では、早々に予約の手続きを取らせてもらうよ。もちろん、クリスティ商会を通してな」
ギョウブが横目で見やると、クリスは「ありがとうございます」と会釈する。
これで、会談ですべきことはほぼ終わった。
でも、僕にはまだギョウブにお願いすることがある。
「ところで、ギョウブ殿。私からちょっとしたお願いがあるんですが、よろしいでしょうか」
「事と内容次第によるが、俺に出来る事なら構わないぞ」
「では、改めて……」
真顔で畏まると、僕は彼の目をサングラス越しに見据えた。
「一つ目は、狸人族の獣化についての情報がほしいんです。二つ目は私と戦ってください」
豪族達がざわつくが、ギョウブは口元をにやりと緩めた。
「面白いお願いだが、理由を教えてもらえるかな」
「狸人族の獣化についての情報は、バルディアにも狸人族がおりますので彼等のために知りたいんです。そして、二つ目の理由は対ヨハン戦を見据えてのこと」
狐人族や猫人族の獣化に段階がある以上、おそらく各部族にも何かしらがあるはずだ。
第二騎士団の子達を今以上に活躍させる為にも獣化の情報は必要不可欠。
自分達だけで調べるという方法もあるけど、それだと時間が掛かりすぎる。
僕は獣化に詳しいであろう部族長とこうして会談の機会を得た訳だから、これを利用しない手はない。
対ヨハン戦は、絶対に負けられない戦いだ。
部族長と手合わせ出来れば良い経験になるし、対ヨハンの秘策も見つかるかもしれない。
「なるほど、理由としては十分だな。しかし、獣化の情報を教え、対ヨハン戦を見据えてリッド殿に助力したことがセクメトスの耳に届けば面倒臭いことになりそうだ」
ギョウブはわざとらしくやれやれと肩を竦めた。
遠回しに断るつもりだろうが、こっちだって簡単には引き下がれない。
「もちろん、それぞれに応えてくださった際にはお礼も差し上げます。例えば、試作機になりますが『打ち込み君』と『消耗品』をギョウブ殿の分だけ先にご用意する、とか」
「ほう、それは興味深いお礼だ」
「しかし、私も無理にとは申しません。ギョウブ殿が仰ったようにセクメトス殿の件もありますから」
押して駄目なら引いてみろってね。
にこりと目を細めると、彼は打ち込みくんをちらりと一瞥して「ふむ……」と自らの口元に手を当てる。
少しの間を置いてギョウブは「分かった」と頷いた。
「狸人族の獣化については教えてもよいが、リッド殿との手合わせは出来ん。前哨戦は、獣王戦の中で行われる厳粛な試合だ。試合前とはいえ、部族長がリッド殿に肩入れしたとなれば、勝敗に物言いやけちがつくだろう。それは貴殿も望まないはずだ。違うかな?」
「そう、ですね。畏まりました。では、狸人族の獣化についてご教授願います」
僕はしゅんとして肩を落とすが、手合わせを断られるのは一応想定内だ。
提案を二つとも了承してくれるのが一番だったけど、部族長が他国出身の僕に肩入れすることが難しいことは想像に難くない。
本命は獣化の情報。
あわよくば部族長との手合わせという狙いだった。
あえて二つの案を提示することで、相手に断るという選択肢を無くし、どちらかを選ばせるという選択肢に誘導した訳だ。
ギョウブのことだから、こっちの意図を察した上で教えてくれるのかもしれないけど。
「ギョウブ様、よろしいのですか」
「そうです。同じ狸人族とはいっても、バルディア家。他国に属する者達ですぞ」
慌てた様子で豪族達が声を上げるが、ギョウブはため息を吐いてから「だまれ」と睨みを利かせた。
その瞬間、室内に凄まじい魔圧が放たれ壁と天井からきしむ音が発せられる。
部族長会議の時にも感じたけど、やっぱりエルバに負けず劣らずの魔力量だ。
ギョウブ・ヤタヌキ。
他の部族長と比べて飄々としているところはあるが、実力は間違いなく本物だ。
僕がごくりと喉を鳴らして息を飲む中、彼の迫力に当てられた豪族達は蛇に睨まれた蛙のように「う……」とたじろいだ。
その様子を見たギョウブは、ふっと表情を崩して肩を竦める。
「お前達も目の当たりにしただろう、バルディアの技術力をな。今後のことを考えれば、獣化の情報で友好と信頼が図れるなら安いものだ」
「し、しかし……」
一人の豪族が食い下がるが、ギョウブは頭を振った。
「どちらにしても、獣化の情報は時間をかけて調べればいずれわかることだ。それなら、情報として価値の高いうちにリッド殿へ恩として売った方がよかろう」
「……畏まりました。ギョウブ様のご意向に賛成いたします」
豪族達が渋々ながらも納得した様子で畏まると、ギョウブはこちらに振り返って白い歯を見せた。




