リッドとギョウブ
「いやいや、僕達の絵をわざわざ買う人なんていないよ。そんなことして何になるのさ」
母上や父上に僕が『童水干』を着た姿を見せるため、絵師を呼んで描いてもらうのは理解できる。
だけど、その絵を大陸全土に販売するなんて全くもって意味不明だ。
「リッド様とアモン様。お二人は大陸での知名度を理解しておりません」
「ぼ、僕達の知名度……?」
エマの答えに呆気にとられてしまう。
知名度って、芸能人じゃないんだから。
それとなく横目でアモンを見やるが、彼も心当たりはないらしく首を横に振った。
「おやおや、当の本人達が知らないとはね。少しは巷の噂に耳を傾けるべきかもな」
ギョウブが肩を竦めると、クリスが咳払いをした。
「狭間砦の戦いを勝利に導き、型破りな風雲児という異名を持つリッド・バルディア様。狐人族再建のため、覚悟を持って旧体制と決別したアモン・グランドーク様。お二人の活躍は大陸中に轟き、今や注目の的です。多くの方々がリッド様やアモン様を一目見たいと考えておりますから、お二人の普段着。そして、様々な服装を着こなす絵となれば買い手は多いでしょう。実際、私達も取引先の方々からお二人の人となりをよく訊かれますから」
「え、そうなの。そんな報告受けてないんだけど……」
「私も初耳だよ」
彼女の答えに面食らうと、アモンも唖然としてしまった。
似たような話や報告でいえば、帝国貴族の一部がバルディアと縁を得たいがために、アポなしで帝都のバルディア邸へとやってくるというものはある。
でも、大陸中で注目の的になっていて、僕とアモンの姿を一目見たいという需要があるなんて聞いたことがない。
何も言わず無表情で控えていたカペラに目をやると、彼はすっと軽く頭を下げて「おそらく……」と切り出した。
「クリス様やギョウブ様が仰った『多くの方々』とは、帝国でいえば主に領民や商人。リッド様と対面する機会がない者や他国に住まう方々のことかと存じます。リッド様もアモン様もここ最近は多忙故、周囲の者が優先度が低いと判断し、あえて報告を差し控えたかと」
「あ、そういうことね」
合点がいった。
アモンが新部族長になってからというもの、領内整備で休む暇もなかったからなぁ。
事務処理を効率よく進めるため、優先度の低い情報は後回しにするよう指示を出していたことも原因だろう。
「何にしても、私達の絵を販売するかどうかは後にしよう。それよりも会談を優先しないと」
肩を竦めて小さなため息を吐くアモン。
狸人族領に滞在できる時間は限られているから、確かに僕達の姿を絵にするかどうかは、後回しにしたほうがいい。
「そうだね。じゃあ、ギョウブ殿。早速、始めましょう」
「わかった。では、会議室に案内しよう」
僕達が案内された部屋には、すでに狸人族の有力者と思われる豪族達が勢揃いしていた。
でも、僕とアモンが『童水干』を着ていたことに目を瞬き、どよめいた。
「いやはや、待たせてしまってすまない。文化交流を提案したところ、二人が快諾してくれたのでね。では、始めようか」
こうして会談が始まるが、思いのほか感触は良い。
これといった問題もなくとんとん拍子に進んでいく。
ギョウブが根回しでもしてくれていたのかな。
彼、そういうの得意そうだし。
狸人族が求めたのは、クリスティ商会を通じてバルディアの商品を仕入れる為の取引窓口の開設。
一方、新グランドーク家で生産される商品は直接取引をしたいという申し出だった。
ズベーラの商圏は東側を狸人族、西側を鼠人族が掌握している。
サフロン商会からクリスティ商会が引き継いだ販路や商圏は、二部族と比べればとても小さい。
クリスティ商会と狸人族の取引が始まれば、瞬く間にバルディアの商品はズベーラの東側に届いていく。
これはとても利点のある話だが、一方で新グランドーク家で生産される商品は直接取引したいという申し出は、簡単に頷ける話ではない。
新グランドーク家で生産される商品には、バルディアの技術が少なからず使用されているからだ。
現状、アモンによる領地運営は領民、豪族の強い支持を受けて上手くいっている。
でも、いずれは不正を働く者、目先の利益に目が眩む者が出てくるはずだ。
非常に残念なことだけど、どんなに良い時代、治世であってもそうした者が出てくるのは歴史が証明している。
いずれ発生するであろう問題であり、楽観視することはできない。
それに『物』が狙われるならまだいいけど、バルディアの技術が狙われる可能性もある。
技術は使い方と使う人次第で、人を救うことも、殺すことも出来てしまう。
特に、僕の記憶をこの世界で復元したものとなれば尚更危険だ。
バルディア家の技術が関わる製品は、全てクリスティ商会を通して販売する。
そうすることで危険性を少しでも減らし、万が一にでも不正や技術流出が起きたとしてもクリスティ商会を通しているわけだから、そこから辿っていけば原因を発見できるというわけだ。
まぁ、それも絶対ではないけどね。
このような事情から、新グランドーク家との直接取引についてはやんわりとお断りした。
もちろん、配慮した丁寧な言葉でね。
「……なるほどな。しかし、グランドーク家とヤタヌキ家はともにズベーラで領地を持つ部族同士だ。そこにバルディア家が絡むというのは『内政干渉』のような気もするんだがね」
ギョウブはにやりと口角を上げた。
彼はサングラスをしているので、目の色を覗うことは出来ない。
内政干渉、か。
獣王セクメトスも使ってきた言葉だ。
でも、あの時と今回の会談では状況が違う。僕はにこりと微笑んだ。
「グランドーク家とヤタヌキ家の取引が全て駄目、という意味ではありません。あくまでバルディア家の技術が関わった生産品は難しいと申し上げているだけですよ」
バルディアで開発された器具を使った生産品は全て『バルディアの技術が関わっている』と言い張れるから、事実上『全て駄目』と言っているのと同義なんだけどね。
ものは言いようというやつだ。
それにしても、『内政干渉』という言葉はとても気に食わない。
今までの会話の流れ、両家両国の状況を鑑みれば、『内政干渉』ではないことは明らかなのに。
僕をやり込めようと使ってきたのか、試すつもりなのか。
どちらにしても失礼極まりないし、なにより気に食わない。
そもそも、セクメトスとの交渉で煮え湯を飲まされたことがきっかけで最終的にマチルダ陛下から睨まれてしまい、僕もといバルディア家は崖際で背水の陣を敷くことになったのだ。
ふいにセクメトスが勝ち誇った顔でほくそ笑む姿が脳裏をよぎり、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
そういえば、ギョウブがあの場を作ったんだったな。
つまり、原因の一端は確実に目の前にいるグラサン野郎、お前にあるわけだ。
というか、会談中ぐらいサングラス外せよ。
僕は笑顔を崩さず、憤りをぶつけるように冷たい口調で口火を切った。




