道中
バルディア家の屋敷を出発して暫くすると僕達の一団はバルディアの町を抜け、狭間砦に続く街道へ出た。
此処まで来ると、もう屋敷は見えない。
僕は酔い止めの飴玉を口に放り込むと、サルビアからもらった父上の言付けが書き記されているという手紙を懐から取り出した。
ちなみに、カペラは牽引車を運転しているから車内にはいない。
「リッド様。車内で文字を読むと酔いが酷くなるかと存じます。差し支えなければ、私が音読いたしましょうか」
正面の座席に腰掛けていたティンクが心配顔を浮かべた。
とても有り難い申し出だけど、僕は頬を掻きながら苦笑する。
「本当ならそうしてほしいけど、父上からの言付けだからね。口外できない内容も書いてあるかもしれないし、気持ちだけ受け取っておくよ」
「畏まりました。では、気分が優れなくなったらすぐに仰ってください」
「わかった。その時はすぐに言うよ」
僕はそう言うと、手紙の封を開けて中身を取り出して内容に目を通しはじめた。
要約していくと、バルディア家が獣王戦に来賓として招待されたことに加え、僕ことリッド・バルディアが前哨戦でヨハン・ベスティアと手合わせする件は皇帝、皇后陛下は問題ないとしてくれたみたい。
むしろ、狭間砦の戦いで悪化した両国の関係を改善する好機と考えてくれたようだ。
ただし、前哨戦で僕が負けた場合、将来的にバルディア家と獣王を輩出した部族での縁談を行うというのはマチルダ陛下が『言語道断であり、断固許さない』と激怒したみたい。
結果、僕が勝利すれば問題ないが、万が一負けた場合には両国の関係性を踏まえて表面上は一旦認めつつ、水面下で交渉を行う。
帝国としては多少の損失を被ってでも、バルディア家と獣王との将来的な縁談は認めないということらしい。
僕はもちろん、父上も獣王との将来的な縁談には反対だった。
でも、国同士の政として考えれば利点がないという訳じゃない。
どちらかといえば、利点の方が多いように思える話だ。
それなのに、マチルダ陛下が断固拒否という姿勢を最初から示したというのはちょっと意外だった。
「……ここまで反対するということは、もしかしてバルディアには皇室しか知り得ない秘密でもあるのかな」
バルディア家は、マグノリア帝国建国時から存在する由緒正しい貴族の一つだ。
現在に至るまでの長い歴史で、途切れた伝承や失われた情報があってもおかしくない。
もし、それらの伝承や情報が皇室に残っていて、かつ帝国にとって重要なものならマチルダ陛下が強く反対する理由になる。
違和感は、手紙を読む限りだとアーウィン陛下がマチルダ陛下のように強く反対したという記述がない点だ。
今回の一件、二人の間で問題認識の熱量が違うのかもしれない。
だけど、どうして熱量に差が出ているのか、という部分が気になる。
読み進めて手紙の終わりが見えてくるなか『追伸、マチルダ陛下の言葉をそのまま伝える』という文言に目が留まった。
『リッド・バルディアに命じます。
此度、獣王戦の場で開かれる前哨戦において、必ず勝利をマグノリア帝国に捧げること。
万が一にでも敗北した場合、皇室の命令に背いたと見做し、現在バルディア家に行っている税制上の優遇処置は全て撤廃。
また、ズベーラとの交渉で発生した損失及び費用は、全てバルディア家の負担とします。
事と次第によっては、バルディア領は皇室の管理下に置かれることになるでしょう。
当然、事の発端となった獣王との交渉を行った貴殿の責任を問うことは免れません。
首を洗いたくなければ、必ず前哨戦で勝利しなさい。
これは『勅命』です。
型破りな風雲児の活躍を期待していますよ。
マチルダ・マグノリア』
唖然としてしまった。
前哨戦で負けたら、バルディアは全てを失う。
『首を洗いたくなければ』という文言に至っては、断罪をほのめかしているじゃないか。
狭間砦の戦いを乗り越え、母上の魔力枯渇症完治という希望の光が差しこんだはずだったのに。
僕は深いため息を吐き、がっくりと項垂れてしまった。
「……どうしてこんなことに」
「あの、リッド様。大丈夫ですか、顔色が真っ青ですよ」
「え、あ、いやいや。大丈夫だよ、ちょっと酔いが回ってね」
目を細めて誤魔化すように頬を掻くと、ティンクは何を思ったのかその場を立ち上がった。
そして、僕の前に跪いて「失礼をお許しください」と呟いた。
「え……?」
きょとんと小首を傾げたその時、ティンクはそっと胸の中に僕を抱きしめてくれた。
「リッド様はとても強い方です。どんな困難であろうと、必ず乗り越えられるでしょう。それに、もし苦しいことがあれば周りを頼って下さい。ナナリー様、ライナー様はもちろんのこと、バルディア家に仕える皆がリッド様の力になります。どうかご自身のお力を信じてください」
「……うん、そうだね。ありがとう」
彼女の言葉と優しさに包まれ、不思議と不安が消えていく。
そうだ、これしきのことでへこたれたり、落ち込んだりしている場合じゃない。
獣王戦まで、まだ二ヶ月以上の時間はある。
それまでに僕がヨハンを、獣王と部族長も倒せるぐらい強くなってバルディアを守ればいいだけだ。
あ、でも、獣王や部族長はさすがに言い過ぎかもしれない。
その時、「んにゃ~」という野太い鳴き声が聞こえ、ふにっと柔らかいものぽんぽんと頭を優しく叩かれた。
「え、あれ……⁉」
鳴き声が聞こえた場所に慌てて視線を向ければ、黒い子猫姿のクッキーがちょこんと座っていた。
「ついてきちゃったの。でも、ビスケットは……」
ティンクの胸から飛び出して車内を見渡すが、白い子猫の姿が見当たらない。
どうやら、知らないうちにクッキーだけが乗り込んできたみたいだ。
「えっと、まだ、バルディア領だから木炭車を止めようか。そうすれば、ビスケットのところに帰れるよ」
「ん~にゃ」
しゃがみ込んで話しかけると、クッキーは小さく頭を振った。
どうやら意図的についてきたらしく、帰る気はないみたい。
彼は空いている座席の上にすっと飛び乗ると背伸びと欠伸をしてそのまま丸まってしまった。
「リッド様が心配でついてきたみたいですね」
「そうなのかな。だったら嬉しいかな」
ティンクの言葉に相槌を打ちながらクッキーの様子を伺うが、丸まったままで動きはない。
彼は僕達の言葉を理解しているはずだけど、本当に心配してついてきてくれたのかな。
「う……⁉」
突然、視界がぐらりと揺れ、頭の中に鈍痛のようなものを感じてよろめいてしまった。
「リッド様、大丈夫ですか」
「やっぱり、手紙で酔っちゃったみたい。少し寝るね」
「畏まりました。では、必要な時だけお声掛けするようにいたします」
「うん、お願い」
僕は座席を倒すと、丸まったクッキーを見ながら目を瞑ってそのまま眠りについた。




