バルディアの新製品2
「お願いします。これがあれば仕事効率が数倍、いえ十倍は跳ね上がるはずです。是非、お譲りください」
怒濤の勢いで捲し立てるエマ。
その勢いが普段の彼女と違い過ぎて、僕は「あ、あはは」と顔を引きつらせてしまった。
でも、仕事効率が数倍もしくは十倍に跳ね上がるという言葉は誇張とも言い切れない。
現状の書類仕事は基本的に手書きであり、よく使われる書類原本とかでも木製の原盤を用いて印刷されているに過ぎないからだ。
僕も提案書や資料をよく作成するけど、書類作成にかかる手間と時間は相当なもので当初はよく頭を悩ませていた部分でもあった。
記憶を取り戻していろいろな事業に携わるようになってからは執事のガルンをはじめ、ディアナやカペラ。
機密情報でない場合、バルディア家の皆にも協力してもらうようになったから楽にはなったけど、書類作成の手間暇という根本的な改善はできなかった。
それでもバルディア領内だけなら、何とかなっていたんだけどね。
帝都のバルディア邸に出向き、帝国貴族達との商売が本格的に動き出すと事務処理は爆発的に増加。
いよいよ、事務作業にかかる手間暇の根本的な改善に乗り出す必要性が発生したのだ。
パソコンがあれば一番いいけど、さすがにそれは無理だから、どうやって改善しようか。
そうやって悩んでいた時、思いついたのが前世の記憶にある『タイプライター』だった。
当初は電子部品も使われていないし、簡単に再現できるかも。
なんて考えたもしたけど、実際のところエレンが『文字打ち込み君』と名付けた機器ができるまで、かなりの時間を要した。
電子部品こそ使われていないけど、操作性や使い勝手がよくて正確かつ語り手の口述を精密に素早く文字を打ち込める機器の仕組みを作り上げる、これには想像以上の創意工夫が必要だった。
これは簡単に作れるものじゃないなと考え、第二騎士団製作技術開発工房の責任者であるエレン、アレックスを筆頭にトナージやトーマといった才能豊かな面々を集め、開発班こと『プロジェクトT』を発足。
彼等に開発を指示した。
僕の知識を元にエレンとアレックスが協力して設計図を書き出し、トナージやトーマが電動工具や手の研磨で細かい部品を作り上げる。
時には設計図や今までの部品を廃棄し、設計思想からやり直すこともあったという。
設計者と現場での意見の食い違いや熱い激論は時に、対立にも発展。
でも、彼等はその度に目指す方向が同じであることを再認識して情熱を燃やす。
試作機ができる度、実際に使用するであろうクリスや事務処理に携わる人に触ってもらい使用感や改善点を尋ねたりもした。
何度も挑戦と失敗を繰り返し、おおよそ五十二回目でようやく今の形に至ったのだ。
タイプライターこと『文字打ち込み君』の重さは、大人なら誰でも両手で抱えれば持ち運びできる程度の重量に抑えられている。
誰でも長時間使用できるよう、押しボタンも僅かな力で操作可能だ。
その他、さまざまな創意工夫が施されている。ただ、まだとある問題が残っているんだよね。
「何にしても気に入ってもらえて嬉しいよ。でも、まだ販売はできないんだよね」
「そう、なんですか……」
僕が咳払いして告げると、エマは耳をしゅんとしてがっくり肩を落としてしまった。
「実はね、販売前にこの機器を使って試してほしいことがあるんだ」
「試してほしいこと、ですか」
エマがきょっとんとして小首を傾げると、僕は目を細めて頷いた。
「クリスティ商会の業務で実際に使ってみてほしいんだよね。バルディア家の事務作業ではすでに試用を始めているんだけど、商会で使った感想も教えてもらいたんだ。試用機として二台貸し出すから、気に入ってくれればそのまま使ってくれて構わないよ」
「えぇ⁉ 本当ですか」
「リッド様。試用機貸し出しの件、私も初耳ですよ。後から返してと言われても、絶対に返しませんよ。それでもよろしいんですか」
目を丸くして喜ぶエマ、目を輝かせたクリスがずいっとやってきた。
「う、うん。今日はその説明もあったからさ。あとね、『文字打ち込み君』では『純正品』という考えを先に知っておいてほしいんだ」
「純正品、ですか」
聞き慣れない言葉だったらしく、エマとクリスは顔を見合わせた。
僕が横目でエレンを見やると、彼女が咳払いをしてやってきた。
「では、ボクから説明させていただきましょう。文字打ち込み君に使用できる紙には大きさの指定と一定以上の質が必要となります。また、打ち込み君には消耗品として、インクを染みこませたリボンこと『インクリボン』がありまして、それぞれの『紙』と『インクリボン』は打ち込み君が故障しないよう、バルディア製のみを使うようお願いします」
エレンが白い歯を見せると、クリスがハッとして口元に手を当てて唸った。
「つまり、打ち込み君を販売した際、消耗品が模倣されることを想定されているんですね」
「それもあるんだけどさ。市場に出すときは強めの価格設定で出して、化粧品とかのようにアフターフォローもしていくつもりなんだ。仮に消耗品の模倣品が作られて使用された場合、品質が悪すぎて故障の原因になると思うんだよね。それをこっちで修理するのもどうかなって」
人気かつ高額な商品があれば、類似品や模倣品が作られてしまうのは世の常だ。
ただし、この世界における技術力はバルディアが突出しているところがある。
打ち込み君を世に出しても、模倣された粗悪な消耗品を使われて故障が頻発したら堪ったもんじゃない。
でも、事前に『純正品』を使わないとアフターフォローできないよ、となれば話は別だ。
純正品と変わらない品質の模倣品が作られた場合、この対策における効果はあまり期待できないだろう。
バルディアの技術が突出している今だからこそ、効果が期待できるというわけだ。
「あの、リッド様。インクリボンというのはわかりますが、まさか『紙』も純正品なんですか」
エマが恐る恐る口を開くと、僕はにやりと口元を緩めた。
「さすがだね、エマ。そうさ、バルディアでは『紙』の製作もはじまったんだよ」
「で、でも、紙まで作りだしたらアストリアとトーガが黙っていないじゃありませんか」
「かもね。だけど、紙の製作がその二国でしか行っちゃいけない、なんて決まりはないでしょ。大丈夫、この件は父上も知っていることだからさ」
そう言うと、エマは唖然としてしまった。
この世界で使われる紙の大半は、エルフ国アストリアと教国トーガで作られるものがほとんどだ。
両国とも技術が流失しないようにしているみたい。
とはいえ、人の口に戸は立てられない。
年々、その技術は外部に漏れているとも聞いている。
ただ、二国のような大量生産に成功したという話はない。
他国に圧力でも掛けているのかとも考えたが、どうやら単純に大量生産できる設備、資材が二国以外では集まりにくいという立地的な状況が大きく関わっているようだ。
しかし、バルディアでは『樹の属性魔法』を用いての資材確保など、魔法を使えばいろいろとできることが多い。
他国から見れば『ずるい』と思われるかもしれないが、バルディアは魔法教育に相当な投資をしている。
後ろ指を指される言われもないわけだ。
「それと、いざという時に備えて二国に対する弁明も用意しているから安心して」
「弁明……。ちなみに、それは尋ねてよろしいのでしょうか」
「もちろん」
僕はエマの問い掛けに頷くと、机の上に置いてあった紙を手に取った。
「これ、一般的に普及している紙と素材が違うんだよね」
「え……?」
予想外の答えだったらしく、エマは目を瞬いた。




