バルディアの新製品
バルディアに戻ってきてから数日が経過。
再び狐人族領へ出発する日が近づくなか、今日の僕は屋敷の応接室でクリスティ商会のクリスと打ち合わせ中だ。
室内には机を挟んでソファーに腰掛ける僕達の他、エマとティンクが控えている。
部族長会議ではいろんなことがあったけど、何にしても苦労して得た各部族長との縁を無駄にするわけにはいかない。
今後におけるバルディアと狐人族の販路拡大に向け、僕は今までの経緯をクリスに伝えていた。
「……というわけでね。今後もどんどん忙しくなると思う」
「畏まりました。何があっても即時対応できるようにしておきますね」
説明が粗方終わると、クリスはこくりと頷くが「それにしても……」と切り出した。
「狐人族領の新部族長となったアモン様とリッド様が大活躍しているという噂は聞き及んでおりましたが、本当だったんですね」
「へぇ、どんな噂なの」
「商会の間では結構有名ですよ」
僕が身を乗り出すと、クリスは「ふふ」と口元を緩めた。
曰く、狐人族領の悪徳豪族達を僕達が一掃したことで、彼等と繋がっていた帝国、バルスト、トーガの商会がここ最近でいくつか潰れたらしい。
特に話題となったのがバルストで潰れた商会だとか。
何でも、それらの商会にはバルストの王族が絡んでいると囁かれていたそうだ。
真偽は不明だけど、そうした商会が潰れたことで、バルストの王位継承権が一番低いとされていた第六王子アリアドス・バルストの発言力が強くなったと見られているらしい。
そうした経緯もあって商人達の間で『バルディアの型破りが狐人族の新部族長と組んで暴れている』という話がたちまち広まったらしい。
僕が商人達の間で『バルディアの型破り』と呼ばれていることにも驚いたんだけど、話が逸れてしまうのでとりあえず突っ込むのはやめておいた。
「……という感じです。私が知っている商人達も口を揃えて言っていますよ。グランドーク家の新部族長とバルディア家の型破りな風雲児は只者じゃないって」
「あはは。まぁ、陰口を叩かれるよりはよさそうだね」
今後もいろいろやりたいことがあるから、あんまり身構えられても困るんだよね。
でも、舐められるよりはいいかな。
苦笑しながら頬を掻いていると、クリスがこほんと咳払いをして目を光らせた。
「ところでリッド様、今日は新商品。例の品が完成したと聞いたんですが期待してもよろしいでしょうか」
「もちろんだよ。じゃあ、早速お披露目しようか」
僕が席から立ち上がると、クリスが首を傾げた。
「あれ、ここでは見られないんですか」
「うん。持ち運べる物もあるけど、それだけじゃないからね」
僕は含みを残すように微笑み掛けると、きょとんとするクリスとエマを別室に案内した。
◇
「リッド様。そして、クリスさん、エマさん。お待ちしておりました。いえ、あえて言わせていただきます。待たせすぎですよ」
部屋に入るなり、明るく元気な勢いある声が轟いた。
声の主は胸を張ってドヤ顔を浮かべ、腰に片手を当てながらビシッと指を天に向けたエレンだ。
彼女の周囲にはアレックス、トナージ、トーマが申し訳なさそうに苦笑している。
「姉さん。お披露目できるのが嬉しいのはわかるけど、ちょっと悪のりしすぎだよ」
「そうですよ、エレン様。待たせすぎ、なんて言い過ぎです」
「はは、今の発言は俺も二人に同意します」
「あ、そ、そうだね。リッド様、調子に乗ってすみません」
アレックス、トナージ、トーマの指摘にエレンがハッとし、慌てた様子で会釈した。
「気にしなくて大丈夫だよ。皆には萎縮せずのびのびと開発に打ち込んでほしいし、待たせのは事実だからね。打ち合わせがちょっと長引いたんだ。ごめんね」
軽く頭を振ると、僕は目を細めた。
いまやバルディア発展の中枢となったドワーフ姉弟のエレンとアレックス。
そして、現在二人の愛弟子というべき狐人族のトナージと猿人族のトーマ。
彼等は全員、第二騎士団製作技術開発工房所属で僕直属の面々だ。
バルディアがここまで急激に発展できたのは、僕の考えを実現させた彼等のおかげであることは言うまでもない。
むしろ、頭を下げないといけないのはこちらと言っていいぐらいだ。
気持ちよく仕事をしてもらうためにも、今の言葉に嘘は全くない。
「いやぁ、そう言ってもらえると助かります。いつも予算を下さり、好き勝手にやらせてくれるリッド様は本当に素晴らしい方ですよね。ボク、一生ついていきますよ」
「あはは。エレンにそう言ってもらえると嬉しいよ」
決して好き勝手にやらしているわけではないんだけどね。
でも、本人がそう思ってくれているなら、わざわざ否定しなくてもいいか。
「姉さん、そろそろ本題に移ろうよ」
「あ、そうだね」
エレンはアレックスの言葉に頷くと、椅子が用意された机の前に進んだ。
机の上には、白い布が被された少し大きめの箱のようなものが置かれている。
「では、改めてご紹介します。こちらがリッド様の原案とクリスさんのご意見を参考に何度も手直しを加え、ようやく出来上がった完成品。名付けて『文字打ち込み君』です」
彼女が高らかに声を発して白い布を掴み上げると、その下から機械的な部品が丸見えで、いかにもメカメカしい黒い箱の形をしたモノがお目見えした。
なお、箱の正面には文字が描かれた打ち込む押しボタンが羅列されている。
個人的にはちょっと懐かしい。
「これが完成品。これさえあれば事務が、書類作成の手間がどれだけなくなることか」
クリスは目を光らせると、「ふふ、ふふふ」と怪しく口元を緩ませて机の前に歩み出ていく。
しかし、そのモノが何かを知らないらしいエマが小首を傾げた。
「あの、クリス様。その歪な箱でどうして手間がなくなるんですか」
「あ、そっか。エマには教えてなかったね。じゃあ、実際に使ってみてもらおうかな」
僕がそう告げて目配せするとアレックス、トナージ、トーマがすかさず黒い箱に『紙』をセットして使い方を説明すると、エマが目を見開いた。
「え、本当にそんな使い方ができるんですか」
「はい。早速使ってみてください」
アレックスが目を細めると、エマはごくりと喉を鳴らして椅子に腰掛けた。
皆の注目を浴びるなか、おぼつかない指先で文字が描かれたボタンを押すと『ガチャ』という打鍵音が部屋に響きわたる。
初めて聞く音らしく、エマの猫耳がぴくりと動いて戸惑った表情を浮かべた。
「え、えっと。壊しちゃいましたか」
「いいや。それで問題ないよ。何でもいいからどんどん打ち込んでみて」
「は、はい。わかりました」
エマがボタンを押すとセットされた紙に文字が次々と打ち込まれ、同時に少しずつ紙がセットされた部品が左側へとずれていく。
紙が左側の限界値まで移動すると、『リーン』という高くて透明感のある鈴の音が鳴った。
すかさずアレックスが使い方を伝えると、エマは紙がセットされた部分を手で右側へとずらし、再び打ち込みを開始する。
その動作を数回繰り返すとエマの手が止まり、彼女の身体が小刻みに震え始めた。
どうしたんだろう。
ひょっとして、獣人族には打鍵音や鈴の音が不快だったのかな。
心配になって「えっと、大丈夫」と僕が尋ねると、エマは座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がり、身を乗り出して僕の手を取った。
「リッド様。これ、この商品。今日、すぐにでも売ってもらえませんか。お願いします」
「え……」
エマが初めてみせた目を蘭々とさせた表情に加え、どこか切実な訴えが籠もった言葉で呆気に取られてしまった。
だけど、彼女の気持ちも理解できなくはない。
何故なら、僕の原案を元にエレン達とクリスの意見を参考にして作り上げたこの黒い箱の正体こそ、書類作成や事務仕事をはじめとする文字文化に革命を起こす機械。
前世で言う『タイプライター』だからだ。




