意外な実力者
「リッド様、休憩にしましょう」
「わかった」
カーティスの言葉に頷くと、僕は「ふぅ」と息を吐いて訓練場の外で魔力回復薬の準備をしてくれているファラの下へと移動した。
「お疲れ様でございました。では、どうぞこちらを」
「う、うん。ありがとう」
ファラから丸薬と水の入ったコップを受け取ると、僕は覚悟を決めて一気に飲み干した。
この味だけは、何度飲んでも慣れないんだよなぁ。
「素晴らしい動きでしたぞ」
「ありがとう、カーティス。でも、二対一となると、さすがに今までどおりにはいかなかったよ」
「はは、そうでございましょうな。ですが、この訓練の目的は他にもありますぞ」
「え、そうなの?」
僕が首を傾げると、彼はこくりと頷いた。
「近いうち、リッド様は再び狐人族領に参られましょう。あちらには第二騎士団の分隊長達がおりますからな。同様のよい訓練ができましょう」
「あ、そういうことね」
今回、第二騎士団の各隊長達は狐人族領に残してきた。
狐人族領在中のダイナス率いる第一騎士団の補助をさせるためである。
犯罪の取り締まりや鎮圧力は第一騎士団が上だけど、魔法を使った道路整備のような公共事業は第二騎士団の方が秀でているからだ。
特に隊長格の子達が扱う魔法は、大人顔負けと言ってもいい。
狐人族領に戻った際、ダイナスや彼等に協力してもらえれば今回以上の訓練ができることは間違いないだろう。
あっちに行った時の訓練方法も悩んでいたから、この案はとても助かる。
「しかし、この訓練だけでは些か不安もありますがな」
「不安、か。理由を聞いてもいい?」
難しい顔を浮かべるカーティスに聞き返すと、彼は周囲にいる皆を見渡した。
「ここにいる者、狐人族領にいる者。全てリッド様にお仕えする者でございます故、どうしても手心が出てしまい緊張感が足りません。実戦となれば相手に容赦はありませんからな」
「なるほど。実戦形式の訓練が足りないってことだね」
「左様です。もちろん、狭間砦の戦いで得た実戦経験はリッド様を大きく成長させたでしょう。とはいえ、まだまだ経験不足であることは否めません」
「実戦経験の不足、か……」
カーティスの指摘に、僕は口元に手を当てて唸った。
普段の環境を考えれば、質の良い訓練を行えていることは間違いないだろう。
だけど、さっきの訓練でベルジアが言っていた『喧嘩のやり方』というか、なりふり構わない乱暴な戦い方とは無縁だ。
戦い方の多様性というか、僕が対戦した相手の数が少ないと言われたらその通りかもしれないな。
大なり小なり命のやり取りを感じるような緊張感がある戦いを訓練で行うのは、ちょっと難しい。
父上と真剣で行う訓練もあるけど、あれは父上の剣術に加えて信頼関係が成り立っていることが前提でもある。
「レナルーテにある魔の森に籠もって魔物を相手する方法もありますが、そのような時間はありますまい」
「……そうだね。さすがにそれは難しいかな」
折角、カーティスがしてくれた提案だけど、僕は苦笑しながら頬を掻いた。
魔の森とはレナルーテの東側にある人を寄せ付けない、強力な魔物達が住む深い森のことだ。
森で採取される魔力に帯びた様々な素材、魔物から取れる爪や皮といった素材は高値で取引されている。
他国から一攫千金を夢見て森の奥深くに入る者が後を絶たないそうだが、森の奥深くに入って生きて帰ってきたものはごく僅だそうだ。
地元であるはずのレナルーテの人達ですら、危険過ぎて入るのを躊躇する場所らしい。
「もしくは、少々危険ですが牢宮【ダンジョン】に籠もってみるという方法もありますな」
「……⁉ 牢宮【ダンジョン】に籠もる、だって。詳しく、詳しく聞かせてよ」
予想外の案が飛び出して、僕は思いがけず身を乗り出した。
牢宮【ダンジョン】の話は、前世の記憶を取り戻して早々にルーベンスから聞いていたし、書物で知識も得ている。
でも、縁に恵まれず、足を踏み入れたことまだ一度もない。
「はは、興味津々ですな」
カーティスは笑みを溢すと、咳払いをして畏まった。
「牢宮【ダンジョン】内は魔力で満ちております故、規模にもよりますが魔物が一定時間ごとに無限に出現すると言われておりましてな。もちろん、魔物は侵入者の命を奪うべく襲ってきますから、実戦訓練としてはこれ以上ない環境でしょう」
「へぇ、確かにそれならやり方次第でいい訓練になりそうだね」
魔物といえば、僕の身近にいるシャドウクーガーのクッキーとスライムのビスケットがいる。
しかし、彼等は魔の森に漂う魔力を永年に渡って浴び続けた動物が進化した姿だ。
一方、牢宮に出現する魔物とは、牢宮内に漂う魔力。
正確には、牢宮核から発せられる魔力が侵入者を排除すべく形を成したものと考えられているらしい。
何にしても、牢宮内の魔物相手となれば少しの油断が文字通りに命取りになる。
実験経験を得るには、もってこいだろう。
「リッド様。お気持ちはわかりますけど、牢宮に籠もるなんて絶対にダメですからね」
「え……」
冷たい声に振り向けば、ファラがジト目で頬を膨らませていた。
「い、いや、でも、ほら。対ヨハンを考えたらいい経験になると思うんだけど……」
「それはそうかもしれませんけど、勝利するための訓練で命を落としては元も子もないではありませんか。お義父様をはじめ、皆と一緒に行くなら構いませんよ。でも、籠もるのは危険過ぎます」
「ファラ様の仰る通りです」
合いの手を入れてきたのはカペラだ。
「ライナー様とナナリー様は、ただでさえリッド様を狐人族領に行かせて心配しております。お二人の心中もお察しください」
「う……」
父上と母上が僕のことを心配してくれていることは、良く知っている。
そう言われてしまうと、何も言い返せない。
「わかった。牢宮に籠もるような真似はしないよ。でも、狐人族領に牢宮があれば、カペラやダイナス達と一緒に行くのはいいでしょ」
「はい、それでしたら構いません。ファラ様もよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろんです」
ファラは目を細めて頷くが「ただし……」と続けた。
「絶対に無理をせず、自重してくださいね」
「わかってる。皆に心配掛けるような真似はしないって約束するよ」
「約束、しましたよ」
ファラと指切りをすると、彼女は少し照れくさそうにはにかんだ。
「あの、リッド様。少しよろしいでしょうか」
恐る恐る声を発したのは、ファラの侍女であるジェシカだ。
「うん、どうしたの」
「もし魔物と手合わせしてみたいなら、クッキーと立ち会ってみてはいかがでしょうか」
「あ、なるほど。それもそうだね」
普段は黒い子猫姿のクッキーだけど、あくまでそれは仮の姿。
彼本来の姿は、ライオンや虎を彷彿させるものだ。
魔力次第で身体の大きさもある程度自在に操ることもできるみたいだし、実力も相当なものだろう。
あと、クッキーとビスケットは僕達の言葉をしれっと理解している。
「よし。じゃあ、クッキーに直接相談してみるよ」
「あ、それでしたら私も一緒に参ります」
僕は訓練を一旦中断し、ファラと一緒にクッキーのところに移動する。
メルと一緒に居たクッキーとビスケットに状況を説明したところ、ビスケットを通じてクッキーから『いいぜ。付き合ってやるよ』と返答をもらった。
そして、訓練場に戻ってきた僕は、早速クッキーと対峙したんだけど……。
「……クッキー。君って、こんなに強かったんだね」
「にゃーにゃ」
シャドウクーガー本来の姿となったクッキーは、一対一にとんでもなく強かった。
素早くて軽い身のこなし、的確な読みから繰り出される重い一撃。
魔の森で生き抜いていた魔物というのは、伊達ではないらしい。
ちなみに彼はいま、仰向けに倒れた僕の両手両足を四つ足で押さえ込み、目と鼻の先でドヤ顔を浮かべている。
彼との手合わせが、意外と一番良い訓練になるのかも。
それからカーティス指導の下で皆との訓練を再開。
クッキーにも何度か挑戦したけど、その度に僕は彼に翻弄されるのであった。




