母上の助言
「はい、そのとおりです」
僕が聞き返すと、母上はこくりと頷いた。
ラザヴィル公爵家とは、マグノリア帝国の建国時代から存在する由緒正しき貴族の一つである。
そして、現当主がグレーズ・ラザヴィル公爵だ。
彼女は帝国の保守派の中でも排他的で過激な発言が絶えないとされる『帝国純血主義』の筆頭人物であり、帝国魔法研究所で所長に抜擢されたサンドラを辞任に追い込んでいる。
なお『帝国純血主義者』とは、帝国貴族における当主の血筋は両親ともに生粋の帝国人であるべき、という思想だ。
仮にこの純血主義に従うと、例えば将来的に僕とファラの間に子供ができたとしても家督を継がせることは許されない。
そのため、生粋の帝国貴族令嬢を側室にしなければならないとなる。
サンドラの表情を覗えば、眉間に少し皺が寄っていた。
彼女が準伯爵をアーウィン陛下から叙爵した時、二人の因縁は見るからに明らかだったからなぁ。
やっぱり、グレーズ公爵にはよい印象はないらしい。
「でも、どうしてグレーズ公爵にも渡す必要があるのでしょうか」
合点がいかずに再び問い掛けると、母上はサンドラをちらりと見やってから真剣な表情を浮かべた。
「サンドラとグレーズ公爵の因縁は、私も聞いています。ですが、グレーズ公爵が帝国社交界で如何ほどの影響力を持っているのか。リッドは知っていますか」
「えっと……」
思いがけない返事に、僕は言葉に詰まってしまった。
『帝国社交界』とは、文字通り帝国内の貴族をはじめとした有力者だけで開催される集会。
その中の交際で作られる社会のことだ。
帝都に住まう貴族のご婦人と令嬢は、毎月必ずと言って良いほど何かしらの集会に参加しているらしい。
保守派、革新派、中立派といった派閥で開かれる場合もあれば、派閥関係なしに情報交換の場として開かれる『お茶会』的なものあるという。
派閥で開かれる集会には、主に当主や男性陣が参加。
派閥関係なしに開かれる『お茶会』にはご婦人と令嬢が参加することが多いそうだ。
また、こうした集会に呼ばれる有力者とは貴族以外の『商人』、『芸術家』、『冒険者』、『武芸者』、『芸能人』を指している。
当然、貴族の集まりに参加を許可されるわけだから、その世界での頂点もしくは次点に立つような人達ばかりだそうだ。
こうした知識は持っているが、バルディアにいる僕は社交界に参加したことはない。
帝都のバルディア邸で商品をお披露目のために懇親会を開催して帝都の貴族を呼び集めたことはあるけど、あれは社交界と言うよりも『展示会』だった。
帝都に住んでいるエラセニーゼ公爵家のヴァレリ。ジャンポール侯爵家のマローネ、ベルゼリア。皇族のデイビッドやアディールは日頃から社交界に参加しているだろう。
あと、この場にいないキールも参加したことはあるはずだ。
彼等ならグレーズ公爵の持つ影響力を把握しているかもしれないが、今の僕が持つ知識にはない。クリスは把握していそうだけど。
考えを巡らせても答えはでず、僕はゆっくり頭を振った。
「……存じ上げません」
「いえ、よいのです。リッドはバルディアにいますからね。知らなくても無理はありませんから」
母上はそう言うと、咳払いをした。
「グレーズ公爵は帝国貴族におけるご婦人、ご令嬢の間ではマチルダ陛下に勝るとも劣らないほどの人気があるのです。社交界における女性陣への影響力は、皇族に次ぐものといっても過言ではないでしょう」
「え、グレーズ公爵ってそんなに人気なんですか」
僕は意外な答えに目を丸くした。
帝都でグレーズ公爵と舌戦を繰り広げた時の様子を思い返してみるが、正直なところ傲慢で高圧的な印象しかない。
「グレーズ公爵は帝国貴族で数少ない女性の当主であり、公爵家ともなれば当主を務めているのは彼女だけです」
母上は横目で父上を見やると、視線をこちらに戻して言葉を続けた。
「それに並み居る貴族を相手に一歩も引かず、力強く毅然と答えて時には論破して完全に言い負かしてしまう。グレーズ公爵のその姿が、ご婦人や令嬢にどのように見えると思いますか」
「そ、それは……」
帝国、というよりもこの世界の社会はまだまだ男性優位な部分が強い。
そうした状況下、貴族社会の頂点に近い『公爵』という立場で男性達を一喝して活躍する女性。
それが、グレーズ公爵というわけか。
母上の言いたいことが見えてきて、僕は唸った。
「格好よいというべきか、憧れるでしょうね」
「そのとおりです」
母上はにこりを微笑むと、グレーズ公爵について知っていることを教えてくれた。
驚いたことにグレーズ公爵が当主となる前、ラザヴィル公爵家は没落の憂き目にあったらしい。
その理由は当時の当主と嫡男が散財を重ねたあげく、投資と商売にも失敗して多大な借金を背負ったことが原因だったそうだ。
グレーズ公爵はそうした事実を当時の皇帝に書面と証拠を持って伝え、『現当主と嫡男には、貴族としての資格がない』と直談判。
皇帝の許可を得た彼女は、父親と兄をラザヴィル公爵家から追い出して当主となった。
そして当主となったグレーズ公爵は家に残っていた家財を全て売り払い、自身が着るドレスを自らデザインして作製。
派閥に関係なく社交界の場に次々と現れ、そのドレスを着た姿を披露したという。
その姿を見た男性貴族達からは、『実父と兄を追放した雌狐が化けて出てきた』と陰口を叩かれた。
しかし、彼女はそうした相手に面と向かって舌戦を挑み、論破して次々と打ち負かしていったという。
その過激ながらも鮮烈で新進気鋭の姿は帝国貴族のご婦人と令嬢の心を射止め、グレーズ公爵が着ていたドレスは瞬く間に完売。
ラザヴィル公爵家は瞬く間に借金を全て返済し、没落の憂き目に合う前よりも富を得て復活。
実父と兄を追放した雌狐という汚名を返上し、没落間際となったラザヴィル公爵の名誉を挽回した彼女はその手腕を評価され、当時の皇帝から表彰もされたらしい。
グレーズ公爵は今でも自らドレスのデザインを手がけており、帝国内の最先端ドレスといえばラザヴィル公爵家のものを指すそうだ。
言われてみれば、グレーズ公爵は並々ならぬ迫力と凄みだけではなく、立ち姿が華やかというか。
ドレスを完全に着こなしていたような気がする。
「昨今のグレーズ公爵は『帝国純血主義』を掲げ、過激な言動が強まっているようですが社交界での影響力は顕在です。サンドラのことがありますから思うところはあるでしょう。ですが、今はまだ完全な敵対を避けるべきです」
母上は語り終えると、真剣な表情を浮かべた。




