お菓子の試食
ファラと母上が戸惑いながら顔を見合わせるなか、僕はカペラから箱を受け取って蓋を開けた。
箱の中には黒くて丸い一口サイズのお菓子が小分けされて入っている。
室内の張り詰めた空気は瞬く間に薄れ、甘い香りで満たされていく。
「ズベーラで仕入れた加加阿【カカオ】を加工して作った『チョコ菓子』です」
「チョコって健康や滋養強壮によいとされている飲みもので有名な、あの『チョコレート』のことですか」
母上が僕の説明と箱の中身を見て目を瞬いた。
ファラ、ディアナ、サンドラもほぼ同様の反応を示している。
それもそのはず、この世界における加加阿は『食べもの』ではなく、『飲みもの』というのが一般的だ。
加加阿を加工して固形化する技術がまだ確立されておらず、『チョコレート』は細かく砕いた加加阿の粉末を溶かして砂糖や蜂蜜で味付けした『飲みもの』なのである。
ただし、粉末といっても前世のような『チョコレートパウダー』ではない。
『ココア』とは全く違う味であり、別物と言っても差し支えないだろう。
試しに飲んだこともあるけど、独特な甘みと酸味があって僕の口には合わなかった。
それでも、加加阿は高級食材だから嗜むのは貴族やお金を持っている商人や平民にかぎられている。
「はい。特殊な技法と新たな工程によってチョコを固形化することに成功しました。すでに試食を済ました皆からは好評いただいているんですが、母上とファラの意見も伺いたいんです」
「わかりました。ファラ、一緒にいただきましょう」
「はい。お義母様」
母上とファラは興味津々といった様子で箱の中にあるチョコを選んだ。
「よければ、サンドラとディアナの意見もきかせてほしいな」
そう言って二人に目を向けると、彼女達は嬉しそうに僕の前にやってきた。
「リッド様は魔法だけでなく、お菓子にも詳しいんですね。楽しみです」
サンドラはひょいと箱の中からチョコを手に取るが、ディアナは箱の中のチョコが少なくなっていることに気付いて手を止めた。
「あの、本当に私もいただいてよろしいのでしょうか」
「うん、もちろんだよ。食べ過ぎはダメだけど、チョコは妊娠中に食べても問題ないからね」
「ありがとうございます」
ディアナはそう言って会釈すると、おずおずと箱の中にあるチョコを手に取った。
「それでは、皆で一緒にいただきましょう」
母上はそう告げると、手に持ったチョコをゆっくりと口の中に入れていく。
その様子を見ていたファラ、サンドラ、ディアナもチョコを口にしていった。
ちなみに、試食を済ました皆というのは、主にチョコ作りを手伝ってくれたエレンやアレックスと第二騎士団の皆である。
でも、彼等は貴族が食べるような『甘味』を味わう機会が少ないという問題があった。
母上は帝国建国以来存在した由緒ある貴族の出身だし、ファラは国が違えど王族出身。
忘れがちだが、サンドラも一応は貴族令嬢だ。
ディアナは身分は違えど、僕の専属護衛や母上の側仕えで貴族の甘味を食する機会も多かったし、そもそも味覚がしっかりしている。
つまり、彼女達が『美味しい』という評価を下してくれれば、貴族向けの『高級甘味』として売り出せる商品というわけだ。
固唾を呑んで母上達の様子を見つめていると、チョコを口に入れて間もなく母上は目を瞬いた。
「これがチョコレートですか。私が知っているものと全然違いますね。ファラ、貴女はどうですか」
「私もお義母様と同じ感想です。こんなに美味しいチョコレートは初めてです」
母上とファラは顔を見合わせ、目を蘭々とさせている。
そして、二人の傍に控えていたサンドラが驚嘆した様子で唸った。
「チョコレートは帝都でよく栄養剤として飲んでいましたが、もっとざらついた食感があった記憶があります。でも、このチョコは口の中で溶けてしまいますね。これなら、いくらでも食べれそうです」
「私もチョコレートを少しだけ飲ましてもらったことがありますが、個人的には苦手な味でした。しかし、このチョコなら毎日でも食べたいくらいです」
「よかった。皆の口にも合ったみたいですね」
皆は初めてのチョコに感動したらしく、満面の笑みを浮かべている。
ディアナは特に好みに合ったみたい。
彼女にしては珍しく、箱の中に残っている残り少ないチョコを遠慮がちに見つめている。
「えっと、ディアナ。よかったらもう少し食べる?」
「あ、いえ、ナナリー様を差し置いてそのような真似はできません」
彼女はハッとして頭を振るが、視線が箱の中のチョコから離れない。
その様子を見ていた母上は「ふふ」と微笑んだ。
「ディアナ、食べてくれていいですよ。私はいつでもリッドに頼めば作ってもらえますから。妊娠中はどうしても食べたいものができますからね。そういうときは遠慮せずともいいんですよ」
「ほら、母上もこういっているんだから。残りは食べてくれていいよ」
「いや、しかし……」
箱ごと渡そうとするが、ディアナは申し訳なさそうにたじろいだ。
すると、黙っていた父上が咳払いをして切り出した。
「ナナリーとリッドもこう言っているのだ。気にせず受け取っておきなさい」
「ありがとうございます。それでは……」
父上に言われ、ディアナはようやく僕からチョコが入った箱を受け取った。
その瞬間、今までにないくらいに彼女の顔がほころんだ。
僕は思わず笑みを噴き出してしまった。
「そんなに気に入ってくれたなら、定期的にチョコを差し入れしてあげるよ」
「い、いえ、さすがにそこまでは……」
ディアナはそこまで言い掛けたところで、受け取った箱の中にあるチョコを見てごくりと喉を鳴らした。
「そ、その、もし差し支えなければ。本当に差し支えなければ、少量で構いませんのでお願いしてもよろしいでしょうか」
「うん、わかった。ディアナとルーベンスにはいつもお世話になっているからね。これぐらいお安いご用さ」
「リッド様、心から感謝いたします」
はにかんだディアナが一礼して顔を上げると、「でも、リッド様」とファラが切り出した。
「これだけ美味しいチョコであれば誰でもほしがると思いますけど、どうしてわざわざ私達が試食する必要があったんでしょうか」
「あ、それはね……」
僕は相槌を打つと、チョコ菓子を帝都で販売していく考えがあることを告げる。
そして、最終調整として母上達の意見を聞きたかったと説明した。
まぁ、今回の場合は他にも狙いはあるけど。
「……というわけです。味は母上達の反応で間違いないことが確認が取れたので、あとはクリスと打ち合わせしてどう販売していくのか決めていこうかと」
「なるほど、そういうことだったんですね」
ファラが合点がいった様子で頷く隣で、母上が思案顔で「それなら」と切り出した。
「リッド、マチルダ陛下にはもちろん献上しますね」
「はい。クリスとも相談しますが、それは間違いないかと」
バルディア発祥の化粧品、健康食品の甘酒はマチルダ陛下に献上して以降、帝国全土で引っ張りだこの商品になっている。
テレビ、ラジオ、ネットのような情報媒体が少ない世界では『皇族』はある種の憧れを抱かれるスターやアイドル的存在だ。
つまり、マチルダ陛下が使用する、もしくは食するものは帝国内であっという間に流行るし、他国でも販売する際にも『信用』になり得る。
マチルダ陛下、というか皇族に献上しないという選択肢は貴族的、商売的にも悪手と言っていい。
「わかりました。では、マチルダ陛下への献上が終わった後、すぐにグレーズ公爵にも贈るようにしなさい」
「え、グレーズ公爵って。グレーズ・ラザヴィル公爵のことですか」
母上の口から出てきた意外な人物の名前に、僕は首を捻った。




