朝食のひと時
「キールが『どうやったら、皆と逸早く仲良くなれるだろうか』と悩んでいる時、メルちゃんが『じゃあ、兄様がやったみたいに鉢巻戦をしてみれば』って提案したそうなんです。ただ、私やお義父様には反対されると思ったらしくて」
「あ、そういうことね」
メルの婚約者とはいえ、キールは皇族の一員だ。父上の管理下で行われる指導ならいざ知らず。
傭兵、冒険者、団員達という一般市民との訓練で怪我でもあれば大問題だ。
普通に考えれば、許可は出さなだろう。
加えて言うなら、第二騎士団の子達は獣人族だ。
帝国文化や礼節は教えてはいるけど、『皇族』だからといって手加減するような子達でもない。
「話を聞いたところ、キールとメルが言い出したことのようだからな。鉢巻戦に参加した第二騎士団の団員達は厳重注意。キールは事後報告の罰として、私が特別指導。メルはナナリーが特別指導している」
父上は呆れ顔で呟くと、キールとメルを鋭い目で一瞥した。
「あ、あはは。ライナー殿、特別指導は身に沁みております。もういたしませんのでご安心ください」
「う、うん。私も」
二人はたじろぎながら頷いた。
ここはバルディア家の『兄』として、何か言った方がいいかもしれないな。
僕は咳払いをして畏まった。
「状況にもよると思うけど、事後報告は駄目だね。何かする前には、父上やファラにちゃんと相談すること。いいね、二人とも」
僕がそう言って間もなく、和気あいあいとしていた食堂が静まって皆の目が点になった。
「あれ……?」
困惑して首を傾げると、キールが肩を震わせて「ふ……ふふ……」と吹き出した。
「えっと、リッド。それは冗談なのかな。それとも自覚が無いのかな」
「私も兄様だけには言われたくないかな」
キールに続いて肩を竦めるメルの言動に「え……?」と呆気に取られると、父上が咳払いをした。
「……事後報告はお前の専売特許だろう。この場合、リッドの悪い癖に妹とその婚約者が感化されたと考えるべきだな。この件、お前も『兄として』反省すべきことだぞ」
「な……」
鋭さを増して返ってきた言葉が、僕の胸をえぐるようにぐさりと深く突き刺さって唖然とする。
食堂をそれとなく見渡せば、メイドの皆が俯いて何かを押し殺すように肩を小刻みに震わせていた。
どうやら、屋敷の皆も父上やメル達と同じ認識らしい。
これもまた因果応報というべきか、自ら墓穴を掘ったというべきか。
何にしても穴があったら入りたい。
「……申し訳ありません。兄として言動に気をつけます」
力なく項垂れると、隣に座っていたファラが「た、確かに……」と切り出した。
「事後報告はあまりよくありません。しかし、時と場合によってはそうせざるを得ない場面は多々ありましょう。適時の一針は九針の手間を省く、という言葉もあります。リッド様が型破りな風雲児と呼ばれるだけの活躍ができたのは、それだけ優れた判断力と決断力があってこそもの。もちろん、周囲の支えがあってこそですけど。そうですよね、お義父様」
「ま、まぁ、ファラの言うことにも一理あるな」
はつらつと流暢に捲し立てた彼女から熱い眼差しを向けられ、父上はたじろぎつつ頷いた。
「ですよね。つまり、リッド様は今までどおりでいいんですよ」
ファラはそう言って僕の手を力強く握ると、にこりと微笑んだ。
彼女の可愛らしい笑顔と、力強い言葉に落ち込んでいた気持ちはどこかに消えさり、かわりに目頭が熱くなった。
「ありがとう、ファラ」
「い、いえ……」
彼女の澄んだ朱赤の瞳を見てお礼を告げると、何だか時間が止まったように感じた。
「兄様って、本当に姫姉様に愛されているよね」
「そうですね、羨ましいかぎりです」
メルとキールのにやついた声に僕達がハッとして周囲を見渡せば、食堂にいる皆から生暖かい眼差しで注目を浴びていた。
「いや、これは……」
「え、えっと……」
僕とファラがいたたまれなくなって頬を掻いていると、「あ、そうです」と話頭を転じるように彼女が畏まった。
「事後報告の件ですが、メルちゃんとキールはリッド様の真似しちゃ駄目ですよ」
「えぇ、どうして」
「納得できる説明をお願いしたいところですね」
メルが頬を膨らませ、キールが目を細めるとファラが咳払いをした。
「リッド様は、お義父様からある程度の決裁権が認められております。そのようなお立場で、状況に応じた判断と決断をくだした結果の事後報告。でも、メルちゃんとキールは違いますよね」
「う……」
何やら圧のあるファラの笑顔から繰り出された指摘に、メルとキールがバツの悪い顔を浮かべて目を泳がせた。
「むしろ、そのような立場ではないと自覚していたからこそ、私やお義父様に相談してこなかった。いや、できなかったんですよね。お二人とも、違いますか」
「ご、ごめんなさい」
「あはは、仰るとおりです。申し訳ありません」
発する声は優しい。
だけど、異様に冷たい圧のあるファラの問い掛けに、メルとキールが堪らずに頭を下げた。
「いえいえ。わかってくれればいいんです」
ファラの声から冷たい圧が消え、ぱっと明るくなった。
メルとキールは、ほっと胸を撫で下ろしている。
ファラの怒った時の雰囲気がどんどんエルティア母様と似ていくような。
いや、あの笑顔の圧は、どちらかといえば母上の方が似ているかもしれない。
声から発せられる冷たい声の圧はエルティア母様、笑顔から発せられる異様な圧は母上というところだろうか。
「ファラの言うとおりだぞ」
父上は口火を切ると、キールを鋭い目で見つめた。
「特にキール、君はバルディア家で身元を預かっているとはいえ皇族だ。リッドのことで何かあっても私が前に出れば済む。しかし、君の場合、私が前に出ても収まりがつかないこともあるだろう。帝都よりも自由は利くかもしれんが、自由には責任も伴う故に自重を忘れずにな」
「あ、あはは。承知しました」
指摘に心当たりでもあるのか、キールはぎくりした様子で顔を引きつらせながら苦笑した。
すると、ファラが「ふふ」と笑みを溢して僕の耳元に顔を寄せてきた。
「帝都で話した時のキールはかなり大人びて落ち着いた雰囲気でしたが、バルディアにきてからは行動も日に日に大胆になっているみたいなんです。きっと、お義父様との訓練やメルちゃんとリッド様の影響ですね」
「えぇ、そうなの。でも、一緒にいる父上やメルの影響っていうのは何となくわかるけど、どうして僕もでてくるの」
キールがバルディアに来て間もなく、僕は狐人族領に出向している。
影響を与えられるほど、彼と接した記憶はないんだけどな。
首を捻ると、ファラはくすりと笑って耳打ちしてくれた。
「バルディアでは、リッド様という前例というか特例がいますから。キール様が何をしても、皆さんの反応がちょっと薄いと申しますか。本人的には、それはそれで衝撃というか悔しいというか。何にしても、よい刺激になっているみたいですよ」
「へぇ、そういうものなのかなぁ」
頷きながらも『特例』という言葉に引っかかりを覚えたけど、とりあえず突っ込むのは止めておいた。
キールはバルディアに来てから、本格的に魔法と武術を学び始めている。
どちらも優秀だが、どちらかといえば魔法の才が高い。
魔法を教えるサンドラとの師弟関係も良好だそうだ。
現状の知識でも、帝国内の部分では僕やファラよりも博学なところもある。
帝都では皇太子であるデイビッドの対抗馬として革新派が持ち上げようとしていたぐらいだから、幼いながらも才気に溢れていることは間違いないだろう。
キール本人も知らず知らずのうち、『自分は特別』という思いが生まれていたのかもしれない。
しかし、僕と比較されがちなバルディアではキールの行いに対して『皆の反応がちょっと薄く』なってしまうのだろう。
そうした現状にキールの気持ちがこじれると危険だけど、今のところ闘争心に火がついているから問題なさそうだ。
でも、これって僕の影響って言えるのかなぁ。
苦笑するキールを見つめながら、僕は首を傾げるのであった。




