廊下での一時2
「私は種族や家柄にこだわりはありません。誠実で優しくて、ひたむきな方でしょうかね。でも、それがどうされたんですか」
「いやね。ダナエみたいに素敵な女性が異性に求めるものって、ふと何だろうと思ってさ」
僕もメルもダナエにお世話になっているし、変な男性には引っかかってほしくないというのが本音だ。
アレックスは想いを伝えられず燻っているようだが、彼の性格はダナエの好みと一致しているようだし、上手くいくならいってほしい。
恋愛は本人の自由だから決めるのはダナエだ。
でも、アレックスを密かに応援するぐらいならいいだろう。
「まぁ、リッド様は相変わらずお上手でございますね」
ダナエは嬉しそうに微笑むが、何やらすぐに真顔になって「ですが……」と凄んだ。
「奥様の前で他の女性の好みは聞くものではないかと存じます」
「あ……」
「では、失礼いたします」
彼女は一礼してそそくさと走り出すが、僕は背後からとんでもなく冷たい視線という冷気を感じて背筋に戦慄が走った。
「リッド様は、ダナエさんのような方が好みなんでしょうか」
「ち、違います。決してそういうわけではありません。これはちょっとした、思惑がありまして」
冷たい声から凄まじい威圧感を覚え、僕は後ろに振り向けないまま直立不動で何故か敬語で答えてしまう。
そして、嘘偽りを言えば氷漬けになるとも察した。
「へぇ、思惑ですか。それはどのようなものなんでしょう」
「そ、それは……」
廊下の先にはまだダナエの後ろ姿が見える。
万が一にも彼女に聞かれては、アレックスに申し訳がない。
せめて、ダナエが見えなくなってから説明するべきだろう。
そう思った直後、右肩がひんやりと涼しく……いや、少しずつ凍っていくような冷たさを感じる。
恐る恐る目を向ければ、白い冷気を纏った褐色肌の可愛らしい手が添えられていた。
「ダナエ様が視界にいると言えないんですか」
「は、はい」
「どうして」
ファラは僕の左耳にそっと顔を寄せ、まるで最後通告のように囁いた。
「そ、それは……」
やばい、本当に僕は氷漬けにされてしまうかもしれない。
そう思った直後、ダナエの背中が見えなくなった。
僕は右肩に置かれた手を取ってさっと振り返ると、流れるようにファラを抱きしめ、彼女の耳元に顔を寄せた。
「えっと、多分だけど、アレックスがダナエのこと好きみたいなんだよね。だから、こっそり応援しようかなって」
「……え、えぇ⁉」
ファラはきょとんとして目を丸くするが、すぐ身を乗り出してきた。
「まったく知りませんでした。アスナはアレックス様とダナエさんの件を知っていましたか」
「いいえ、私も初耳です」
尋ねられたアスナが首を横に振ると、ファラが「むぅ」と頬を膨らませてジト目で訝しむ。
「もしや、アレックス様の名前を出して誤魔化そうとしていませんか」
再び彼女から背筋が凍るような冷気が発せられ、僕はわたわたと両手を振りながら「本当さ」と即答した。
「本人から直接きいたわけじゃないけど、端から見た感じだと間違いなくそうだと思う。だよね、カペラ」
「……どうしてそこで私にお尋ねになるのでしょうか」
カペラが無表情のまま眉をぴくりとさせた。
「それは、ほら。カペラはエレンと結婚したから、アレックスは義弟でしょ。何か聞いているんじゃないの」
必死に助けを求めるように視線を向けると、彼はやれやれといった様子でため息を吐いた。
「確かにアレックスはダナエ殿にも好意を抱いているようですね」
「ほら。僕の言ったとおりでしょ」
「ほわぁ、本当にアレックス様はダナエさんに好意を抱いているんですね」
ファラが目を瞬くと冷気が収まり、周囲が温かくなっていく。
何とか誤解が解けたと胸を撫で下ろすが、ふいにカペラの発言に「ん……」と引っかかりを覚えた。
「カペラ。ダナエ殿『にも』ってどういうこと?」
「そのままの意味でございます。アレックスは優柔不断……いえ、恋多き年頃なのでしょう。気になる方が多数いるようです」
「えぇ、そうなの⁉」
予想外の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
言われてみれば、アレックスにお願いされて自作の装飾品を数人のメイドに渡したことがある。
まさか、あの時の面々全員に好意を抱いているのか。
「それは噂に聞く二股、という奴でしょうか」
ふいに呟いたのはファラだが、何やら少し目が興味の色に染まっている。
「いえ、アレックスはまだ誰とも交際しておりません。この場合、二股とはなりませんのでご安心ください」
「そ、そうでしたか。なら一先ず安心できますね」
カペラが畏まって会釈すると、ファラは安堵したような残念そうな顔を浮かべて頷いた。
「しかし、そうなるとダナエ以外の相手が気になりますね。カペラさん、アレックス様は他の誰に好意を抱いているんですか」
口元に手を当てながら、低い声で呟いたのティンクである。
ファラは好奇心が強い雰囲気だったが、彼女は明らかに目が蘭々として楽しそうだ。
「私も詳しくは聞いていませんが、バルディア家に仕えるメイドであることは確かなようです」
「なるほど。バルディア家のメイドでアレックス様の年齢を考えつつ、ダナエの年齢に近い子で特に……」
カペラの答えを聞くとティンクは考えを巡らせて「わかりました」と口元を緩めた。
すると、ファラが少し前のめりになる。
「どなた、でしょうか」
「推測の域はでませんが、ダナエと同期のニーナ。あとは彼女達の後輩にあたるマーシオとレオナあたりの可能性が高いのではないでしょうか」
「一応尋ねるけど、その根拠は?」
アレックスの恋路とはいえ、メイド達のやる気や人間関係にかかわってくる話題だ。
バルディアの人間として、聞いておいたほうがいいだろう。
決して、野次馬根性からの質問ではない。
ティンクは自信に満ちた表情で咳払いをした。
「ダナエをはじめ、名を上げた皆はアレックス様と年齢が近い。かつバルディア第二騎士団宿舎の出入りが多い子達でした。つまり、アレックス様と接点を持つ機会が多かったはずです」
「な、なるほど」
僕は思わず唸った。
ティンクの当てずっぽうかと思ったが、意外と彼女達の仕事内容を把握していた意見だったからだ。
ダナエはメル達が行う訓練で第二騎士団宿舎に行くことが多い。
ニーナは最近だとクロードの世話係になっているが、その前は第二騎士団宿舎で勤めていた。
マーシオとレオナは異動したニーナの業務を引き継ぎつつ、今も宿舎で働いている。
アレックスは第二騎士団所属第二製作技術開発部の責任者で、宿舎に出入りすることも多い。
ティンクの指摘どおり、彼女達と接点を持つ機会はあったはずだ。
それにしてもダナエだけでなくニーナ、マーシオ、レオナか。
彼女達はメイド長マリエッタや副メイド長フラウの覚えもよく、父上や母上からも将来を期待されている器量良しの子達である。
もしティンクの推測が当たっていたとしたら、相手が誰にしてもアレックスが求められる甲斐性は高そうである。
彼の恋路はなかなかに困難な道になるかもしれない。
「そして、可能性は低いですが候補者はもう一人います」
「え、もう一人?」
ティンクの意味深な物言いに僕達が首を傾げると、彼女はファラへと視線を向けていく。
いや、まさか、さすがにそれはないだろう。
万が一そんなことがあれば、アレックスであろうとも許容できる自信がないぞ。
ファラや僕の視界から遠ざけるため、狐人族領やクリスティ商会への出向を彼に命じてしまうかもしれない。
僕の思いを知ってか知らずか、彼女は目を細めると腰に手を当てながら指差した。




