廊下での一時
「リッド様、おかえりなさいませ」
「兄様、おかえりなさい」
「ファラ、メル。ただいま」
父上との打ち合わせが終わって皆揃って執務室を出ると、ダナエやアスナと一緒に廊下で待っていた二人がこちらに駆け寄ってきた。
メルは勢いそのままに僕の胸に飛び込んできたので、その場で抱きかかえてくるりと回る。
「もう、遅いよ。どうしてすぐに父上の部屋に行ったの」
「ごめんね。どうしても急ぎで報告しないといけないことがあったんだよ」
急ぎの報告があったのは事実だけど、ここまで打ち合わせが長引いた理由は別にある。
メルは頬を膨らませるが、本当のことを言うわけにもいかずに決まりが悪くなった僕は自身の頬を掻いた。
「まぁ、私はいいけどさ」
メルがそう呟くと、ファラがおずおずと前に出てくるなり頭を下げた。
「お出迎えができず、申し訳ありませんでした」
「え、いやいや。そんなこと気にしなくていいよ」
慌てて彼女に頭を上げてもらい、僕は頭を振った。
「屋敷に着いたのは早朝だったし、直前の連絡もできていなかったからしょうがないよ」
僕が帰って来たのはまだ日が昇りきっていない時間帯だった。
父上は帝都、狐人族領など遠征に行くことも多いからそうした経験から僕が帰ってくるであろう時間を察し、わざわざ仁王立ちしてまで待っていた父上の行動力と勘がすごいのだ。
というより、異様というべきかもしれない。
「ですが、妻として夫の帰りを出迎えるのは当然のことです」
ファラはしゅんとして耳が少し下がってしまった。
レナルーテでエルティア母様から王族としての英才教育を受けていたからか、彼女は古風というか僕をとても大切に立てようとしてくれる。
すごく有り難い気持ちだけど、こうして思い詰める必要はない。
「じゃあ、ファラの笑顔をみせてほしいな」
「え……」
きょとんと小首を傾げた彼女に、僕はにこりと目を細めた。
「久しぶりに最愛の人に会えたんだよ。笑顔を見たいのは当たり前でしょ」
「あ、ありがとうございます。私もリッド様のお顔を見れて嬉しいです」
ファラが顔を赤らめてはにかむと、彼女の耳が小刻みに上下した。
どうやら、元気になってくれたみたい。
やっぱり、可愛いな、そう思うと同時に手が自然とファラの頭に伸びて撫でていた。
「えっと。リッド様」
「あぁ、ごめん。ついね」
「い、いえ。大丈夫、です」
ファラと僕がそろってはにかむ、その様子を間近で見ていたメルがにんまりと笑った。
「兄様と姫姉様、相変わらず相思相愛のラブラブだよねぇ。ビスケットとクッキーもそう思うでしょ」
「んにゃ、んにゃ」
「にゃ~」
いつの間にか、メルの両肩には子猫姿のビスケットとクッキーが乗って相槌を打っていた。
「こ、こら。揶揄うんじゃない」
「そうですよ、メルちゃん」
「えぇ。見たまんまを口にしただけなんだけどなぁ」
メルが素知らぬ顔で肩を竦めるなか、傍で控えていたアスナとダナエに目をやれば二人から生暖かい眼差しを向けられていた。
「毎度、ご馳走様です」
「本当ですね。でも、ちょっと羨ましいです」
ダナエが頬に手を当てて小さなため息を吐くと、皆の目が点となった。
「えっと、ひょっとしてダナエも近いうちに結婚の予定があるのかな」
ダナエを狙っている関係者は意外と多い。
狐人族領へ出向いている間に、彼女の交友関係にも何かしら進展があったとしてもおかしくはない。
僕が恐る恐る尋ねると、彼女は顔を赤らめてわたわたと両手を振るった。
「いえいえ、違います。むしろ逆ですよ。良い相手に巡り会えなくて困っているんです」
「あ、そういうことね」
合点がいって頷くと、ダナエは僕を見てため息を吐いた。
「普段からリッド様をはじめ、素晴らしい方々のお傍にいるせいか。世の殿方が、あんまり魅力的にみえないんですよね」
「それ、わかる。兄様や父上が基準になると、誰をみても『ふーん』としか思わなくなっちゃうんだよね。キールも第二皇子だし、言動もちゃんとしているだけど。何というか……」
メルはそう言って唸ると、思い出したようにハッとした。
「そう、意外性。兄様のような型破りな意外性がないんだよね」
「型破りな意外性って……」
そんな人をはちゃめちゃみたいに言わないでほしいなぁ。
がくりと項垂れると、僕の傍で控えていたティンクが咳払いをした。
「メルディ様。恐れながら周りをよくみてから発言をしたほうがよろしいかと存じます」
「周りって、あ……」
ティンクが廊下の奥をすっと指差すと、メルは決まりが悪そうに目を泳がせた。
そこには、キールと護衛のネルスが立っていたのだ。
どうやら、僕達の会話を聞いていたらしくて彼等は苦笑していた。
「やぁ、打ち合わせは終わったみたいだね。型破りな風雲児のリッド兄さん」
「……そんなに誇張しなくてもいいでしょ」
「いやいや。私もリッドを見習って、もっとはじけたほうがいいかなと思ってね」
僕の前にやってくると、キールはわざとらしく目を細める。
そうした僕達のやり取りに、父上がため息を吐いた。
「勘弁してくれ。型破りはリッドだけで十分だ」
「そ、それはそれで酷いですよ」
思いがけず口を尖らせるが、父上は肩を竦めた。
「事実だからしょうがあるまい。獣王との会談も異例づくしで『型破りな風雲児』に恥じぬ働きだったではないか」
「それは先方からの要望でやむを得ずに行っただけです。決して僕が望んだことではありません」
ズベーラで行われた部族長会議に異国の者が参加できたのは、異例中の異例らしくて僕が初めてだったそうだ。
でも、僕だって参加したくて参加したわけではない。
「なるほど。ということは、リッドは獣王セクメトスと会ったんですね」
僕達の会話を聞き、キールの目が鋭く光る。
さっきまでの軽い雰囲気はなく、皇族としての顔になっていた。
「そうだね。でも、その話は廊下で話すことでもないでしょ」
「確かに、それもそうでしたね」
キールが相槌を打つと、ネルスが咳払いをした。
「皆様、食堂に朝食の準備が整っております。積もる話はそちらでしてはいかがでしょうか」
「あ、そうだったね。実は、その件で皆を呼びに来たんだよ」
キールはハッとすると、忘れていたことを誤魔化すように頬を掻いた。
「もう、それならそうと早く言ってよね。さぁ、皆で早く行こうよ」
メルはキールの手を握って一番に走り出した。
多分、さっきの会話をうやむやにするつもりなんだろう。
ネルスが僕達に会釈して二人を追うように歩き出すと、ダナエも頭を軽く下げて歩き出した。
その時、ふとあることが気になって「あ、ダナエ。ちょっと待って」と後ろから呼び止めた。
「はい。なんでしょうか」
「その、さっき言っていた『良い相手』の件なんだけどさ。ダナエは相手にどんなことを求めるのかなって」
「求めるもの、ですか」
彼女は首を傾げて口元に手を当てると、「そうですねぇ……」と呟いた。




