部族長会議の報告2
バルディア、新屋敷にある新設された執務室。
重苦しい雰囲気の中、僕は父上と机を挟んでソファーに腰掛けている。
僕の背後にはカペラとティンクが立ったまま畏まって控えているが、ダイナスはこの場にいない。
狐人族領を不在にする間、必要に応じてアモンや豪族達との連携役を彼にお願いしているからだ。
新屋敷に到着して早々この部屋に連れてこられた時は、烈火の如く怒られるものだと思っていた。
でも、父上は怒らず冷静に『さぁ、報告しろ』と言って、今は僕の話に相槌を打ちながら耳を傾けてくれている。
「……以上が王都ベスティアで行われた部族長会議の内容です。そして、これが獣王セクメトスから預かってきた親書です」
「うむ……」
僕が差し出した封筒を受け取ると、父上は中身の丁寧に取り出して険しい表情で目を通していく。
室内に沈黙が訪れ、空気が張り詰めていった。
セクメトスから預かってきた親書は父上宛のものだから、僕は内容を知らない。
ただ、大体の想像はつく。
『獣王戦で本戦前の前哨戦に僕とバルディア騎士団所属の者が出ること』
『前哨戦において僕とヨハンが試合を行い、僕が勝った場合にはバルディア有利の貿易条件を結べる。一方、ヨハンが勝利した場合、将来的にバルディア家と時の獣王で政略結婚を行う』
『二ヶ月後に開催される獣王戦にバルディア家を来賓として招待する』
部族長会議でセクメトスが行った発言を鑑みれば、これらのことが記されているはずだ。
父上の視線が親書の右端から左端へと流れていく。
息を飲んで見つめていると、ややあって父上がため息を吐きながら親書を机の上に置いた。
「報告どおりのようだな。また面倒なことになったものだ」
「父上。私も拝見してよろしいでしょうか」
「あぁ、読んでみろ」
「失礼します」
机の上に置かれた親書を手に取ると、僕は中身に目を通していく。
親書は太文字かつ力強い達筆な字で書かれている。
意外にも礼節を重んじた畏まった文章で、セクメトスの緩急ある言動が思い起こされた。
内容は概ね予想どおりだったが、親書の終わりにある文面に思わず眉間に皺が寄ってしまう。
丁寧かつ遠回しな言い方だけど、要約すれば『ヨハンが勝利した場合における将来的な政略結婚は、事前にアーウィン皇帝とマチルダ皇后へ根回しよろしく。結果次第では、両家両国の信頼関係に大きな影響を及ぼすだろうからそのつもりで』ということである。
『両陛下に根回し』と口で言うのは簡単だが、バルディア家は帝国に属する一貴族に過ぎない。
辺境伯故に広大な領地の管理、大規模騎士団組織の保有、他国と国境を構えていることから有事における独自裁量権など、通常の貴族よりも大きな権限は与えられている。
だからといって、皇族に特別強く主張できる立場というわけではない。
仮に両陛下に伝えて許可を得られたとしても、帝国貴族達をどう伝えるかという問題が出てくる。
間違いなく、保守派と革新派の派閥争いに火を注ぐことになるだろう。
昨今、狭間砦の戦いで世間を騒がせたばかりだというのに、バルディア家が再び注目の的になることは避けられない。
それも、この場合は『悪目立ち』だ。
僕がため息を吐くと、父上が「まったく……」と呆れ顔で切り出した。
「帝国内でもすでにお前の血筋は狙われていて頭が痛いというのに。また、とんでもない大物に目を付けられたものだ」
「え……? 僕の血筋が狙われているって、どういうことですか」
きょとんとして首を傾げると、今度は父上がため息を吐いた。
「お前に届く縁談を断り続けた結果、一部の輩が『未来』に狙いを切り替えたらしくてな。『十数年後を見据えた話がしたい』という口実で近づいてくる者が帝都で増えつつあるのだ。今のうちに当家と縁を作っておき、将来あわよくばという魂胆だろう」
「そ、そうなんですね。知りませんでした」
今でも僕宛に数通は縁談が毎月届いているが、もちろん断り続けている。
最近になって手紙の数が少なくなってきたから、ようやく諦めてくれたと思っていたのに。
そのような口実で、父上に近づこうとする貴族がいるというのは初耳だった。
帝国貴族は権力欲が強いというか、商魂がたくましいというか、何というのか呆れるばかりだ。
いや、ここまでくると、むしろ驚愕に値するかもしれない。
「奴等もバルディアまでは押しかけてこんからな。だが、帝都の屋敷には連日書類が届いているぞ。帝都からこちらに転送する費用も意外と馬鹿にならん」
父上はそう言うと、部屋の奥に備え付けられた執務机の上に置かれた封筒の束を横目で見やった。
ここからぱっと見ただけでも、数十通の手紙が括られている。
バルディアと帝都は距離がそれなりにあるから、手紙の転送費用は結構高い。
帝都のバルディア邸に届く手紙や荷物は執事のカルロが確認してくれるが、帝国貴族や他国の要人から父上宛に届いたものはバルディアに転送されてくる。
帝都にいることより、父上は辺境伯の勤めとしてバルディア領にいることの方が多いから当然の処理ではあるんだけど、こんなことになるなんて予想外だ。
「いっそ、バルディアと帝都で被牽引車と連結した木炭車の定期便を月二回ぐらいやりましょうか。クリスティ商会の荷物もあるでしょうし、帝都とバルディアの道路整備も終わっていますから」
「案として一考の価値はあるが、それはまた今度だな。それよりも、獣王戦の一件だ」
話頭を転じると、父上の目が鋭くなった。
「お前も理解しているだろうが、一国の代表である獣王直々の提案、招待となれば当家で出来る判断の分を超える。私は近日中に帝都に行き陛下に状況を伝えてくるが、場合によってはレナルーテにも足を運ばねばならんだろう」
「レナルーテ、やっぱりそうなりますよね」
確認するように問い掛けると、父上は棘のある声で「当たり前だ」と即答した。
「大分先の話だが、ファラの子となればレナルーテ王族の血筋も入るのだぞ。仮とはいえ、他国との政略結婚に巻き込まれる話だ。根回しをしておかねば、無用な誤解や諍いを生む可能性もある」
帝国は密約でレナルーテを属国としており、その関係で僕とファラは政略結婚をすることになった。
今回の一件も皇帝からの密命が下れば、レナルーテは嫌とは言えないだろう。
ただ、それはあくまで机上の論理だ。
密約を結んだとはいえ、王族の血筋を持つ子を政略結婚の道具にすれば、レナルーテは確実に帝国とバルディアに不信感を抱くことは間違いない。
そうなれば、僕達が数年掛けてレナルーテと築き上げた信頼も崩れ去ってしまう。
最悪、レナルーテと結んだ貿易協定も白紙にされる可能性だってある。
協定が白紙となれば、魔力回復薬や魔力枯渇症研究に使用する原材料の入手も厳しくなるだろう。
母上の治療、レナルーテとの友好、帝国での立場、狭間砦の戦いでの勝利。
さまざまな荒波を乗り越えてきたのに、ヨハンとの手合わせに負ければバルディアが今まで築き上げたものが一瞬で瓦解しかねない状況である。
「……一難去ってまた一難ですね」
考えを巡らせていると、思わず口が開いてしまった。
すると、父上の眉がぴくりと動く。
「何を言っている。お前の場合『自ら墓穴を掘った』もしくは『飛んで火に入った虫』であろう」
「な……⁉ いくらなんでもそのような言い方は酷いのではありませんか」
頬を膨らませると、父上は深いため息を吐いた。
「お前のことだ。セクメトスや部族長達の前で舐められまいと、大見得を切ったのではないか」
「それは……少しあったかもしれません。ですがその分、部族長達はこちらの提案には好反応でした。多少の大見得はしょうがなかったかと存じます」
指摘に決まりが悪くなるが、交渉の場において舐められれば足下を見られてしまう。
それなら、舐められないよう大見得を切ったほうがいいに決まっている。
「……以前も言ったことがあるが、能ある鷹は爪を隠す、という言葉を覚えているか」
「覚えています。しかし、それは『獲物』を得る時に必要なこと。相手を威嚇する必要がある場合には、予め爪を見せておくことも重要かと存じます」
「誰に似たのか、よく回る口だ。しかし、だな……」
父上は肩を竦めると、真顔になって凄んだ。
「お前は、一般的にはまだ子供なのだぞ。にもかかわらず、部族長会議という場に呼ばれた。それだけで、お前の力は示されたとは思わんか」
「う……」
言われてみれば、場人族部族長のアステカは茶化してきたが、それ以外の部族長は特に茶化してくるようなことはなかった。
強いていえば、猿人族部族長のジェティと兎人族部族長のヴェネが軽い調子で話しかけてきたぐらいだろうか。
「セクメトスは部族長会議にお前達を呼ぶことで、後ろ盾になったことを誇示する狙いがあったのだろう。しかし、お前の提案と口上はセクメトスの想像以上のものだった。故に『国としてお前がほしい』という考えに至ったのかもしれんぞ」
「そ、そんなことはありませんよ。私ぐらいの年齢でも、優秀な子息はいくらでもいるじゃありませんか。ほら、アモンとかキール。あと、ジャンポール侯爵家のベルゼリアやケルヴィン家のデーヴィド。子息に限らなければファラやメルもいますし、マローネとかエラセニーゼ公爵家のヴァレリもいますよ」
他にも皇太子のデイビッド、エラセニーゼ公爵家のラティガとかもいる。
決して、僕だけが特別優秀というわけじゃないはず。
「ね、そうだよね。カペラ、ティンク」
振り返って壁際に控える彼等に目をやるが、二人は顔を見合わせると揃って頭を振った。
「リッド様が名前を挙げられた皆様は、確かに才能豊かと存じます。しかし、実際にそれを使いこなせるか、となればそれはまた別のお話かと。それでも強いて言うなら、アモン様が一番近いでしょうか」
「カペラさんの言うとおりです。リッド様の場合、すでに『型破りな風雲児』として名を馳せるほどの能力を発揮しておりますから、恐れながら名前を挙げた皆様とは比較できないかと存じます。アモン様は確かに近いですが、あくまで実務能力。型破りな企画力と発想力においてリッド様の右に出る者はいないでしょう」
「あ、あれ……?」
思っていた反応と違い過ぎて戸惑っていると、「それみたことか」と父上の呆れ声が聞こえてきた。
「お前は何も言わずとも、すでに十分な『鷹』なのだ。わざわざセクメトスと部族長達を相手に爪を出す必要はなかった。自身を過大評価することは危険だが、過小評価することもまた危険だ。もう少し、自分を見つめておくことだな」
「か、畏まりました。今後、注意いたします」
僕って、そんなに高く評価されていたのか。
驚きとやり過ぎてしまったという事実にしゅんとして俯くと、頭に父上の手がぽんと置かれた。
「まぁ、次で生かせばよかろう。今回の一件、相手が獣王となれば、私がその場にいても結果は変わらなかったはずだ」
「……ありがとうございます」
優しい言葉に目を潤ませながら会釈すると、父上はにこりと目を細めた。
「気にするな。それより、私とお前にはこれから大変な仕事があるぞ」
「な、なんでしょうか」
ただならぬ雰囲気にごくりと息を飲むと、父上は不敵に笑って凄んだ。
「決まっている。ナナリーとファラにこの件を伝えることだ」
「あ……」
こうして報告は終わったけど、僕と父上はそれから暫く執務室で打ち合わせを続けた。
もちろん、議題はファラと母上にどう伝えるべきかということである。




