猫人族の獣化
「こ、これは……」
急激に高まっていくヨハンの魔力に僕が目を瞬くと、アステカとジェティが大口を開けて笑い始めた。
「へぇ、やるじゃねぇか。さすが、セクメトスの子だぜ。あの歳で、もう『獅子』になれるのか。こりゃおもしれぇ」
「ほんと、ほんと。セクメトスの英才教育も馬鹿にできないわ。シアは同じ親として、
どう見るのかしら」
ジェティが茶化すように尋ねると、シアは鼻を鳴らした。
「ヴェネのあの年頃は、とっくにヨハン以上の力を扱えていたものだ。あの程度、大したことではない」
彼はそう言うと「それよりもジェティ」と凄んで話頭を転じた。
「な、なによ。急に改まって……」
彼女が訝しむと、シアは好々爺らしく目を細めた。
「そろそろ、お前もいい年頃だ。子を考えておかねば、高齢出産は辛いそうだぞ。あ、いや、すまんすまん。お前のようなじゃじゃ馬どころか、暴れ馬を妻にほしがるもの好きはおらんか」
シアは豪快に笑うが、ジェティはにこやかな顔で「あら、いやだ」とおどけた。
しかし、彼女からはとてつもなく冷たい、凍てついた怒りが発せられている。
よく見れば、額にうっすらと青筋も走っていた。
「四十近くで後継者問題に気付いたからって、慌てて領内の若い子達に見境なく手を出しまくった爺にいわれたかないわねぇ」
「な……⁉」
シアが絶句してたじろいだ。
言われてみれば、彼とヴェネは親子とはいえ歳がかなり離れている。
現状、医療が発展途上にあるから大陸を見渡してみても、平均寿命はそこまで長くない。
ぱっと見た感じだけでも、シアの年齢は長寿の部類に入るだろう。
ティンクがジト目で彼を一瞥すると、咳払いしてシトリーとティスに歩み寄った。
「ここだと魔波で危ないですから、少し離れましょうか」
「は、はい。そうですね」
「う、うん」
きょとんとしていた二人は、ティンクにうながされて武舞台から少し下がった位置に移動する。
ついでに、シアとも距離を取ったようだ。
「待て、ジェティ。その言い方には語弊がある。私は若い頃、領内を安定させることに多忙だったが故に婚期が遅くなっただけだぞ」
ハッとしたシアは慌てて弁解するように口火を切ったが、ジェティはにこやかな顔で肩を竦めた。
「でもその時、領内の豪族から平民にいたるまで、うら若い子達に声を掛けまくったそうじゃない」
「そ、それは、部族長という立場もあった故、止むにやまれずにだな……」
シアが決まりの悪い顔を浮かべると、「ちなみに……」とジェティが被せるように言った。
「私は相手に選ばれるんじゃなくて、相手を選ぶのよ。だから、さっきの一言は余計なお世話よ。この、冷や水爺」
「ジェ、ジェティ。貴様、言わせておけば……」
「あら、喧嘩を売ってきたのはそっちじゃない」
顔を真っ赤にするシア、笑顔で額に青筋を走らせるジェティ。
二人のやり取りに呆れていると、「いいわね。面白くなってきたじゃない」とラファの声が聞こえてきた。
ヨハンから溢れる魔力はどんどん高まって風が吹き荒れ、その容姿にも変化が現れる。
白猫に獣化したことで白く染まっていた体毛は、色を帯びて茶色となった。
さらっとしていた彼の髪は逆立って毛量が増えながら伸びていく。
ヨハンの首回りにも毛が少し生え、尻尾は太く長くなっている。
武舞台から吹き荒れていた魔波が止まると、「ふぅ。待たせたな」とヨハンがこちらを振り向いて八重歯を見せた。
毛量が増えて逆立った長髪と首元に生えた毛によって、正面から見る彼の容姿は鬣【たてがみ】を持つ『獅子』のように見えなくもない。
「これが猫人族の獣化における妖級第一段階とよばれる『獅子』だ。どうだ、格好いいだろう」
「う、うん。そうだね」
相槌を打ちながら、彼から発せられる魔力と気配に内心驚愕していた。
おそらく現時点で『身体強化・烈火』を発動した僕と同等か、それ以上の強さを秘めているんじゃないだろうか。
「そうだろう、そうだろう」
ヨハンは嬉しそうに何度も頷くと、シトリーに視線を向けた。
「シトリー。君も格好いいと思うだろう」
「そ、そうですね。でも……」
彼女は頷きながら武舞台上に立つラファを横目で見やった。
視線に気付いたらしいラファは、笑みを溢して目を細めると右手の親指を鳴らす。
次の瞬間、武舞台上から再び魔波が発生した。
「きゃ……⁉」
突然のことにシトリーはたじろぐも、魔波はすぐに止まって六尾の銀狐に獣化したラファがお目見えした。
その姿は相変わらず神秘的というか妖艶というか、蠱惑的な魅力に包まれている。
「おぉ、いい姿じゃねぇか。今度、俺様の領地にきて酌してくれよ、ラファ」
アステカが囃し立てると、ラファは頭を振った。
「部族長からのお誘いは光栄だけど、接待で飲むお酒なんて美味しくないから遠慮しておくわ」
「そりゃそうだな。じゃあ、俺様が今度飲みにいくとしようぜ」
彼が豪快に笑いはじめると、シアが咳払いをした。
「そういえば、狐人族領にはバルディア領から仕入れた清酒という美味い酒があるそうですな。狐人族領訪問のおりには、ラファ殿と飲みたいものです」
「残念だけど、気取りながら鼻の下を伸ばすむっつり紳士も、下卑た声で笑う開き直った助平紳士も趣味じゃないのよねぇ」
ラファが肩を竦めると、シアが「な……⁉」と目を丸くした。
アステカは「へへ。いいねぇ」とにやけている。
どうやら、さっきのやり取りをラファも聞いていたらしい。
「親父、歳を考えろ。歳を……」
武舞台で審判をしているヴェネが頭を振っていると、女性の笑い声が会場に轟いた。
「あっはは。最高、最高よ。ラファちゃん。今度、私と一緒に飲みましょうよ。もちろん、無礼講で立場を忘れてね」
「それなら、喜んで」
お腹を抱えて大爆笑しているジェティに目礼すると、ラファはヨハンを見据えた。
「ところで、坊や。シトリーは私の妹なのよ。口説くなら、もうちょっと甲斐性を見せてからにしてほしいわねぇ」
ラファの言葉にシトリーは「あ……」と呟くと、すぐさまヨハンに振り向いた。
「や、やっぱり、ラファ姉様とアモン兄様の獣化の方が格好いいです」
「あら、シトリー。可愛いこと言ってくれるじゃない」
「む……⁉」
シトリーの応えに笑みを溢すラファだが、ヨハンは口を尖らせた。
「……口説くもなにも、シトリーは私と婚約したんだぞ」
「婚約したからなんだというの。大事なのは、私が坊やを義弟として認めるかどうかじゃなくて」
「いいだろう。なら、望みどおりに私の実力を披露しようじゃないか」
「えぇ、楽しみにしているわ」
二人が構えて睨み合うと、武舞台上が一気に緊張に包まれる。
互いに出方を窺っているらしく、二人とも言葉とは裏腹にすぐには動かなかった。
だけど、彼等から漂ってくる魔力はどんどん強くなっている。
ヨハンとラファ、二人の間合いがじりじりと詰まっていく。
「……いくぞ」
「きなさい、坊や」
武舞台上で轟音が響き渡り、ヨハンのいた場所で土煙が舞い上がった。
ヨハンが凄まじい勢いで跳躍し、目にも止まらぬ速さで突進攻撃を仕掛けたのだ。
でも、ラファはその攻撃を見切り、身体を翻して回避する。
一瞬の出来事に息を飲むが、ヨハンはすでに次の攻撃を仕掛けるべく四つん這いになって構えていた。
「思ったより、速いじゃない」
「あの初撃を躱すとは、さすがだな。しかし、悪いが次の一撃で終わらせるぞ」
彼が魔力を高めながらそう告げると、ラファの顔から笑みが消えて真顔になった。
ラファが本気になったのだ。
いや、ヨハンが彼女を本気にさせたというべきかもしれない。
ヨハンは、あの状態から一体何を繰り出すつもりなんだろうか。
気付けば、この場にいる誰もが息をするのも忘れたように静まり返って、武舞台上で睨み合う二人を刮目していた。
「馬鹿騒ぎはそこまでだ」
ヨハンの身体がわずかに動き、ラファが身構えたその瞬間、怒号が轟いて会場が大きく揺れた。
あまりの声量に身体がびくりと震えてしまう。
何事かと振り向けば、そこには腕を組み、鉄仮面の上からでも鬼の形相がわかる獣王セクメトスの姿がそこにあった。
「は、母上⁉」
ヨハンは顔を真っ青にして目を丸くした。
彼の獣化は一瞬で解除され、頭の猫耳がしゅんと垂れてしまう。
まるで、怒られた猫のようである。
これ、どこかで見たことがあるような展開だなぁ。
僕は目の前で起きている状況に、何故か既視感を覚えていた。




