ヨハン・ベスティアの力
「ラファ。一つ尋ねるが君は獣化した時、尻尾は最大で何本になるんだ」
「ふふ、六本よ」
「なるほど、銀狐か」
ヨハンが相槌を打つと、ラファが意外にそうに「へぇ」と目を細めた。
「その様子だと、狐人族が獣化した時の変化を知っているのね」
「当然だ。これでも王子だからな。各部族の特徴は把握しているぞ」
狐人族が獣化した場合、術者の魔力量に応じて尻尾の数と見た目が変化する。
僕が対峙したエルバは、あえて尻尾数が少ない獣化をしていた。
術者の実力次第で獣化状態を調整することもできるのだろう。
ヨハンはドヤ顔で答えると、武舞台を見つめていた僕達に振り向いた。
「リッドは、猫人族の獣化における変化を知っているか」
「いや、詳しくは知らないかな」
バルディアにも、ミアをはじめとした獣化できる猫人族の子達はいる。
『猫人族の獣化における変化』というのもズベーラのことを調べた時、僕も小耳に挟んだけど詳細までわからなかった。
今の世界は、ネットで調べればある程度の情報を得られるような前世の情報社会とはほど遠い。
事前に調べられる情報には、どうしても限りがある。
そもそも『獣化』というのは獣人族特有の種族魔法だし、獣王国ズベーラの軍事力にもかかわってくる魔法だ。
詳細が外部に筒抜けになるような真似は国として、種族としてしないだろう。
「そうか。なら、少し教えてあげようじゃないか」
「えっと。それは嬉しいけど、本当にいいのかい?」
猫人族の獣化について知れる機会を得られたことに、僕は心が躍った。
知識を得られれば、バルディアに属する猫人族のミア達を強くできるからだ。
もちろん、僕の魔法に対する好奇心と探究心もある。
しかし、他の部族長達の目もある手前、あまり前のめりに聞くわけにもいかない。
平静を装いながら僕が小首を傾げると、ヨハンは自信満々に胸を張った。
「はは、細かいことは気にするな。私は獣王戦までに対エルバを想定して修行する。リッドは、今から私がみせる力を見て修行してくれ。戦うなら、思いっきりやりたいからな」
「わかった。それなら、遠慮なく聞かせてもらおうかな」
僕は笑顔で頷きながら、心の中ではほくそ笑む。
ヨハンから何を聞いても問題ない下地ができたからだ。
周囲にいる部族長達の表情をそれとなく見やれば、馬人族部族長のアステカ、猿人族部族長のジェティ、審判役で武舞台に立つ兎人族部族長のヴェネはにやにやして楽しそうにしている。
ヴェネの補佐役であるシアは、呆れ顔でため息を吐いていた。
やっぱり、獣化の詳細を外部に漏らすことは基本的にはダメなんだろう。
「じゃあ、そこでよく見ててくれよ」
ヨハンはそう告げると目を瞑り、深呼吸して集中力を高めていく。
そして、その目を見開くと同時に、彼を中心に魔波と突風が吹き荒れた。
「きゃ……⁉」
突然の出来事にティスとシトリーがよろめいてしまう。
「大丈夫かい、ティス」
「あ、ありがとうございます、アモン様」
アモンに支えられたティスは、気恥ずかしそうに頬を赤く染めてはにかんでいた。
その姿を横目に、僕はシトリーを支えていた。
「シトリー、大丈夫?」
「は、はい。リッドお兄様」
何故か彼女の表情が少し赤い。
ひょっとして、体調が悪くなったんだろうか。
「ちょっとごめんね」
「ふぇ……⁉」
彼女を支えて両手が塞がっていたから、額を合わせて確認してみるが熱くはない。
「うん、よかった。熱はないみたいだね」
「え、えっと……」
安堵して微笑みかけるが、彼女の表情はますます赤くなっていく。
すると、シトリーはハッとして勢いよく頭を振った。
「も、もう大丈夫です。リッドお兄様、一人で立てますから」
「そう? それなら足下と魔波に気をつけてね」
支えながらシトリーを一人で立たせると、彼女の背中を控えていたティンクがそっと支えた。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、とんでもないことでございます」
シトリーに笑顔で会釈すると、ティンクはこちらを見やって「ですが……」と切り出した。
「リッド様は罪作りなお方かもしれませんねぇ」
「え、何が?」
「ですから、そういうところが……」
「お、お二人とも、そんなことよりヨハン様を見てください」
ティンクの指摘に僕が首を捻っていると、シトリーが声を発して武舞台を指差した。
見れば、ヨハンの全身が黒い体毛で覆われていく。
その姿は、ミアが獣化した時とよく似ている。
吹き荒れていた魔波が収まると、黒い毛に覆われたヨハンが「さて……」と切り出した。
「さて、これが猫人族の獣化における第一段階で『黒猫』と呼ばれる状態だ」
「へぇ、黒猫か。でも、その姿はバルディアにいる猫人族の子達が見せてくれたことがあるよ」
「ほう、それは将来有望だな」
ヨハンは意外そうに相槌を打つと、白い八重歯を見せた。
「だが、黒猫は第一段階と言っただろう。つまり、まだ上があるということさ。狐人族のようにな」
「上、だって」
僕が聞き返すと、再び彼を中心に魔波と突風が吹き荒れる。
そして、彼の体毛は黒から濃い灰色へと変わっていった。
「この状態は第二段階で『灰猫』と呼ばれる。そして、さらに……」
ヨハンの体毛が濃い灰色一色に染まったかと思えば、今度は体毛が白く変色していく。
やがて、全身が真っ白な毛に覆われると魔波が止まって、ヨハンが「ふぅ」と息を吐いた。
「これが第三段階の『白猫』と呼ばれる状態だ」
「す、すごい」
僕は思わず息を飲んだ。
立て続けの変化も目を引くが、何より驚くべきは彼から溢れる魔力量だろう。
黒猫、灰猫、白猫と段階が変わる度、ヨハンから発せられる魔力量は強くなっている。
電界で察するに、あの状態の彼とやり合うなら最低でも『身体強化・弐式』を発動する必要があるだろう。
現時点でも、第二騎士団の隊長格の子達を凌駕する力をヨハンからは感じる。
そして、とても胸が熱くなるというか。
わくわくしている自分がいた。
父上を始め、僕より強い人達が世の中にいることはよく知っている。
でも、僕と同い年でこれだけの実力を持つ子を身近で感じたのは初めてだったからだ。
そうした僕の感情を察したのか、ヨハンは「ふふ」と笑みを溢した。
「どうやら、リッドの期待には応えられたようだな。ちょっとここで、簡単に説明してあげよう」
彼はそう言うと、猫人族の獣化について語り始めた。
どの部族でも獣化には『位』があるらしく、上から神話級、妖級、一般級に分類されるそうだ。
ヨハンが見せてくれた黒猫、灰猫、白猫というのは、猫人族の獣化では一般に分類される。
とはいえ、一般であろうと『白猫』まで獣化するには相当の訓練が必要であり、その身体能力は人族が身体強化した程度では達せない高さにあるらしい。
「……というわけだな。そして、アモン」
説明を終えるなり、ヨハンは視線を変えた。
「なんでしょうか」
名を呼ばれたアモンが聞き返すと、ヨハンはラファを横目に口元を緩めた。
「狐人族が獣王戦に参戦するには『六尾の銀狐』が最低条件と聞いているが、相違ないか」
「はい、そのとおりです。よくご存じですね」
アモンの答えを聞くと、ヨハンは「ふふ」と不敵に笑った。
「実はね、猫人族も獣王戦に参戦するための最低条件があるんだよ。狐人族でいう銀狐同等の『獅子』と呼ばれる獣化を使いこなせるという条件がね。そして、私はすでにその状態を会得しているんだ。こんな風にね」
ヨハンがそう告げた瞬間、今までとは比べものにならない魔波と突風が吹き荒れた。




