腕試し
「坊やの力。お姉さんが見定めてあげるわ」
「はは、よろしく頼むぞ」
武舞台上に立ったラファとヨハンの視線が交差すると空気が張り詰め、二人を中心に何とも言えない重圧と緊張感が漂い始める。
ラファが負けるとは思わないけど、ヨハンから『実力を披露する』と言いだしたんだ。
彼はよっぽど自分の強さに自信があるのだろう。
ヨハンの実力がいかほどのものなのか。
獣王戦で行われる前哨戦で立ち会う可能性がある以上、僕も今後のことも考えてしっかり見極めておく必要がある。
「それじゃあ、始める前に簡単な決まりだけしておこうぜ」
審判役を頼まれた兎人族部族長のヴェネが武舞台上に上がると、二人の間に立って口火を切った。
「試合時間は十分、武器使用は禁止、身体強化や獣化はありでいいと思うがやりすぎには注意しろよ。勝敗はどちらかが場外に落ちるか、負けを認める。制限時間までに勝敗がつかなかった場合は俺が裁定を下す。まぁ、こんな感じでいいか」
「わかったわ」
「了解だ」
「決まりだな」
にやりと笑ったヴェネは、こちらを見やって「おい、リッド」と切り出した。
「はい、なんでしょうか」
「会議で俺達に見せた懐中時計を使って時間を確認しといてくれ」
「わかりました。いいですよ」
僕が懐から懐中時計を取り出して時間を確認できるよう蓋を開けると、傍で控えていたカペラが「リッド様、そちらは私が持っておきましょう」と声を掛けてきた。
「え、どうして」
首を傾げて聞き返すと、カペラは武舞台に立つラファとヨハンを見つめた。
「リッド様は、お二人の試合に集中しておいた方がよいと存じます」
「あ、そうだね。ありがとう。じゃあ、お願いするよ」
懐中時計を渡すと、カペラは武舞台上に立つヴェネに向かって「自分が時間を計ります」と告げた。
彼女は「あいよ」と返事をして、ラファとヨハンに視線を戻す。
「よし、そろそろ始めるぜ。二人とも準備はいいな」
「いつでもかまわないわ」
「あぁ、私もかまわないぞ」
二人が揃って頷くと、ヴェネは咳払いをして周囲を見渡した。
「ではこれより、ヨハン・ベスティア対ラファ・グランドークの試合を執り行う。決まりはさっき話した通りだが、卑怯な手段を使えば部族の恥だぜ。二人とも心して戦えよ」
彼女は高らかに告げて右手を挙げると、「試合開始」と叫んでその手を下ろした。
「リッド、シトリー。私の実力、その目に焼き付けておいてくれよ」
ヨハンは言うが否や、目にも止まらぬ速さで跳躍。
間合いを一気に詰めた彼は、ラファの喉元目掛けて鋭い爪による一撃で襲いかかった。
ラファは上半身を反らして躱すと、その勢いのままバク転に繋げて弧を描くような蹴り技を披露する。
攻撃を避けられ、返し技まで繰り出されたヨハンは目を丸くしたようだが、即座に腕を交差させて蹴りを防御した。
しかし、蹴りの勢いまでは防げなかったらしく、彼は武舞台の端まで吹き飛ばされてしまう。
「あらあら、威勢がいいのは口だけかしらね」
ラファが挑発するように尋ねると、彼は楽しそうに白い歯を見せた。
「さすが、狐人族でエルバに次ぐ実力者と評されたことだけはある。ラファ・グランドーク、その大きな胸を借りさせてもらうぞ」
「可愛いこと言うのね。でも、おっぱいは出ないわよ、坊や」
「はは、それは残念だ」
軽口をたたくと、ヨハンは再びその場を跳躍してラファとの間合いを詰める。
でも、今度は大振りの技は出さず、二人の間で激しい近接戦が始まった。
ヨハンは軽い身のこなしで爪撃を主体とした手数で攻めている。
一方、ラファは流れる水の如く、彼の手数を捌きながら蹴りや拳による返し技で応戦しているようだ。
二人とも獣化はしていないが、身体強化は発動しているらしい。
武舞台上でヨハンとラファの技が打つかりあうと、観戦している僕達のところまで魔波が吹き荒れてきた。
狐人族領や王城でヨハンが見せた動きから、相当な実力を秘めているはずと予想はしていた。
でも、彼が今見せている動きは想像以上に鋭く、素早く、総じて強い。
僕と同い年で、あれだけの実力を持っている子を見るのは初めてだ。
獣王の子というのは、伊達ではないということだろう。
「うわぁお。ヨハンちゃんもなかなかだけど、ラファちゃんもすごいわねぇ」
「あぁ、いい見世物だぜ。酒があれば、なおいいんだけどな」
猿人族部族長ジェティが感心するように呟くと、馬人族部族長アステカが酒を飲む仕草をしておどける。
そして、アステカは何かを思いついたらしく、にやりと口元を緩めて僕達を見やった。
「なぁ、アモン。それに、リッド」
「なんでしょうか」
武舞台を見つめたまま僕達が答えると、アステカが「へへ」と笑った。
「ラファとヨハン、どっちが勝つか賭けようぜ。負けた方が、この後の交渉で相手の言い分を一つ聞くってのはどうだ」
「へぇ、それは面白そうね。やるなら私ものるわよ」
楽しそうにジェティも会話に加わるが、「いや、しかし……」とアモンの渋るような声が聞こえてくる。
「いいですよ」
僕が前を向いたまま返事をすると、アモンが「な……」と驚いた表情を浮かべた。
「リッド、いいのか。そんな約束をして」
「うん。ラファが『いいところを見せる』って言った以上、勝つに決まっているからね」
彼女はいつも飄々として、何を考えているかわからないところがある。
だけど、アモン達を前にして啖呵を切ったんだ。
負けるなんて無様な真似はラファの粋な性格が、矜持が絶対に許さない。
「……⁉ そうだったな」
言わんとしていることを察したらしく、アモンはハッとして頷いた。
僕達のやり取りを横目にアステカが「決まりだ」と口元を緩めた。
「じゃあ、俺様とジェティはヨハンの勝ちに賭けるぜ。シア、お前はどうする」
「面白そうではあるが、ヴェネが審判を務めているからな。補佐役の私が賭けに参加しては、公平性に欠ける。遠慮しておくよ」
「あっそ。相変わらず、おかてぇこって」
アステカは肩を竦めておどけると、武舞台上のヨハンとラファに視線を戻した。
「おい、ヨハン。聞こえてただろ、俺とジェティはお前に賭けたぜ。絶対に勝てよ」
「ヨハンちゃん。一緒にリッドちゃんからご褒美をもらいましょうね」
「おぉ、楽しみだな」
武舞台上でヨハンが相槌を打つと、ティスとシトリーがハッとして顔を見合わせる。
次いで、二人は揃って大きく息を吸い込んだ。
「ラファお姉様、頑張ってください。負けないでください」
「ラファ姉様、狐人族の力を見せてつけてください」
声援が轟くも、ラファから返事はない。
でも、彼女が楽しそうに目を細め、頭に生えた耳が小さくぴくりと動いたことを僕は見逃さなかった。
「な、シトリー。君は婚約者となった私を応援すべきだぞ」
ヨハンが目を瞬いて気がこちらに向いたその瞬間、ラファの蹴りが彼を襲った。
「デート中によそ見は厳禁よ。坊や」
「しまっ……⁉」
咄嗟に蹴りを防御したヨハンだが、蹴りの勢いに負けて大きく吹き飛ばされる。
武舞台を転げながらそのまま場外に落ちるかと思われたが、彼は両手両足を武舞台にめり込ませて何とか踏みとどまった。
「ふぅ、今のは危なかったぞ」
「目の前にいる女性から目を逸らした罰ね」
ラファはそう告げると、ティスとシトリーに軽く手を振って微笑んだ。
二人は「あ……」とはにかんで、大きく手を振り返した。
「姉上のあんな表情、初めてみるかもしれないな」
アモンが感慨深そうに小声で呟いた。
言われてみれば、ラファの表情は以前よりもかなり柔らかくなっているような気がする。
表面上は飄々としている彼女だけど、ガレスやエルバがいた時は心の奥底に不安や恐れがあったのかもしれないな。
「さて、そろそろ身体も暖まってきた。少し本気を見せるとするかな」
ヨハンが衣服に付いた砂埃を払いながら立ち上がると、ラファは口元を緩めた。
「まだまだ楽しめそうね、坊や」
武舞台に立つ二人は視線を交えて睨み合い、不敵に笑い出すのであった。




